"ガッカリなんとか"〜はりまや橋と時計台
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2008年にヨソに書いたものです。当初は広島城のことも書いていたのですが、今になって読むと「ちょっと違うな」と思ったので、その部分は削除。さらに一部加筆しました。
ちなみに、今は札幌に住んでいません。
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昔、いや、あえてわざわざ「昔」と断るまでもないのだが、高校時代の話。
音楽の授業で「この道」という歌をやった時のこと。
北原白秋さんの詞は、札幌のイメージから来ているらしく、音楽の先生は「この歌のせいかどうか、札幌の時計台は、期待して見に来ると、みんながっかりするんだよ」と言いました。
なんでも、みんな、自然豊かな小道をゆるゆると上がってくると、さもロマンチックな風情で白い時計台が見えてきて…みたいな、どこぞのヨーロッパの散歩道みたいな風景を想像してやってくるから、らしい。
『あの丘はいつか見た丘、ああ、さうだよ。ほら、白い時計台だよ』
確かに、歌詞は「丘」と言ってます。
「ほら」ってことは、丘を歩いて少し経ってから、見えてくるって状況か?
この話が妙に心に残ったまま、大人になったわたくし、ある日、高知県出身の人から「日本三大カッガリ観光地」みたいな言い方があって、それは時計台と高知のはりまや橋とどこだかだと聞かされました。
んーむ、高校の音楽の先生が言っていたことは、こういうことだったのか~。
しかし、さらにさらに時間が経ったある日、ハタと思ったんでした。
確か、時計台は、道路整備の際に曳家して位置をずらしているはず。
そして、どんなに周りが高層のビル群となり、そこに埋もれるように建っているとしても、そこまでして、これを保存してることがすごいんであって、がっかりとかなんとか以前に、エライじゃないか。
いや、別に郷土のネタに熱くなってるわけじゃなくて、周りがどんなに新しくなって変わって行っても、これはこのまま残したいんだっていう心意気がよいのであり、歴史あるものを残すってことはそういうことでしょう!
そう思ったら、やっと腑に落ちた感じがした次第でした。
一方、はりまや橋。
その時はタクシーで行ったのだけど、運転手さんがそろそろと言うので進む方向へ視線を向けると、なるほど、それらしい赤っぽい橋が見えてくる。これが「ガッカリ」なのは、それほど見るべき風情のない外観とかそういうことなのかなと思っていると、「これね、違いますから」と運転手さんが言う。
そして、車が停まる。
「こちらになります」
「え?どこ?」
「あれです」
!?!?!?
「えーーーーーーーーーーーーっっっっっっっ!!!!」
大げさに書いてません。
運転手さんに「いや、皆さんビックリとかガッカリとかされますが、ここまで驚いた人は初めてです」と笑われた。
たぶん、あまりのことに私のアゴが地面まで落ちていたからだと思う。
小さい、あまりに小さい。。。
「近くまで来ても、見つけられない人いますから」と運転手さん。これまた、近くにある幹線道路の別の橋を「はりまや橋」にあやかって紛らわしい色と形にしてるのも悪い、という見解だ。
これはもう、ガッカリを通り越して面白過ぎる。この衝撃を体験するために、私は「はりまや橋」を大いにおすすめしたい。
帰ってから、複数の友だちにこの感動を伝えた。
「渡るのに2、3歩だよ!?」
「(手振りで)これくらいしかないんだよ!」
誰も信じない。あまりの感動で、私の記憶も多少大げさに書き換えられていたかもしれないけど、渡るのに10歩は要らなかったはず、これは間違いない。5歩だったかもしれない。
というわけで、確かに、想像とかけ離れていたら、人間、ガッカリもビックリもするものだけど、はりまや橋の方も、どんなに笑われようとも「ちゃんとこのまま」残すんだ、という心意気が感じられて好ましい。
時計台に関しても、何が何でも、曳家してでも残しておきたかったんだよ! っていう心意気を感じ取っていただければ、幸いです。と、一札幌市民は思うわけです。
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