第2話 毛沢東の階級闘争と白猫

今の中国を社会主義の国と思っている人は誰もいない。社会主義らしきものといえば、共産党の一党支配だけである。その共産党員ですら、憲法に規定されていても、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を信じてはいないだろう。


毛沢東が鄧小平について語ったこんな言葉がある。


「鄧小平は階級闘争をしっかりやらず、いまだに『白猫・黒猫』だ。帝国主義でもマルクス主義でもかまわなかった」。でも、どっかのどっかで苦笑いして許している節を感じませんか?


ここでいう『白猫・黒猫』とはあの『黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ』。1962年、農業生産に関する講話の中で、中国のことわざを使って鄧小平が言った言葉である。毛沢東は鄧小平を見抜いていたのである。資本主義の道を歩むもの、走資派の要素たっぷりと。


毛沢東は「安定団結には階級闘争が要であり、その他は細目だ」と語る。文革については「文革は7分が正しく、3分は誤りだった。劉少奇集団や林彪集団を打倒したのは正しかった」と語っている。3分とは行き過ぎた結果混乱が長期化したことを指す。


毛沢東は何が正しいかは明確に語っていない。№2を倒したのが正しいというのならまさに権力闘争であったことになる。毛沢東には、文化大革命は引けない路線闘争であり、権力闘争文革は正しかったになる。たんなる権力闘争なら劉少奇を倒した時点で終わっていい。最後まで文革に拘り長期化した理由はそこにある。


 毛沢東は社会主義革命に対しては理想主義者、イデオロギー主義者といえる。鄧小平は現実主義者、国が近代化し、豊かになればイデオロギーはどうでもよかった。鄧小平は、文革は否定したが、毛沢東は否定しなかった。毛沢東を否定することは共産党を否定することで、それは新中国の建国そのものを否定することになるからである。

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