第24話 ヒトラーの『わが闘争』・強者崇拝

j)ヒトラーの強者崇拝

ヒトラーに見られるのは異常なほどの強者への憧れである。

『強者が支配しなければならぬ。これをもって残酷と見るのは弱者のみである』

強者としての憧れは、ビスマルク時代のプロイセン王国、そしてドイツ民族を統一する大ドイツ帝国(彼は大ドイツ主義者)なのである。強い国家、それは国軍麗賛になる。

『ドイツ国軍は、国家を救うものが、諸国民の欺瞞的国際親善にあるのではなくて、ドイツ国民の自らの力と団結にあることを個々のドイツ人に教えた学校であった。このようにしてドイツ国軍は毎年35万の真執なる青年を養成した』と、ドイツの官吏は優秀でよく組織化されていると褒める。


強者への憧れは国家から民族、人種に及ぶ。

『我が闘争』の中では、世界には「3つの人種」がいると書いている。

1つは「文化創造種」、2つは創造種の創った文化に従う「文化追従種」。そして、これらの文化を破壊する「文化破壊種」。彼の定義によると、一等種(文化創造種)はアーリア人種のみであり、日本人や他の人種は二等種(文化追従種)に過ぎない(日本の翻訳本はこの箇所は抜いてある)。そして、3番目の文化破壊種はユダヤ人だとなるのである。アーリア人の中でも優秀なのがドイツ民族なので、だからこの民族の純潔は守らねばならないとなる。


『国民生活は種族及び民族の自己保存並びに発展の推進力の表現に外ならぬ』と語り、

『梅毒が青年を蝕んでいる。病原菌をなくすより・・殲滅を。売春婦も、これに役たたない障害者も。ばい菌以下の存在の全ての汚染源であるユダヤ人は無論である』と続ける。

ユダヤ人の前に、実際に断種や障害者の安楽死が実行されたのである。


『標準の一致しない動物の交配は、常にその両者の中間標準の子供を生じ、その混合種は、優位の親よりは劣るが、劣勢の親よりは優れたものになる。自然の法則は劣勢のものを優位に引き上げんとすることはなくて、優位なるものが絶対的な勝利を占めることを求めている。・・種族の純潔を保持せんとする法則は、本能的なものである』

例として、狐は狐と、鶯は鶯、虎は虎と(人間は動物か)を挙げて、『自然は弱き個人と強き個人との配偶を忌避する。また、劣等民族と、優秀民族との結合をも憎悪する』と、彼流の自然法則を述べるのである。


『ドイツ大衆の國民化は、ドイツ国民の精神を獲得するための積極的な闘争とともに、国際的な有害分子をも一掃することによってのみ成功するであろう』


『必要不可欠なのは、一人の指導者の意思。一人が命じ他の人はそれを実行すればよい。統治とは一人で始まり、下で終わるものだ』

『英雄のみが、かかる重大な指導権を把握するに適している。人類の進歩は、天才と個人の精力に依るもので、多数の力によるものではない』と、議会主義、多数決原理は否定さている。ナチ党には選挙はなく、全て上からの指令であった。


読み終えて・・極端に「単純化」されたり、突然「自然の法則」が出てきたりの内容だったが、何より恐怖を感じたのが、書かれていたことが全て実行されたことである。大ドイツの夢はだけは実現できなかったが・・


そして、これらの内容はナチス党綱領で堂々と掲げられていた。例えば・・

綱領3 我々は、我が民族を扶養し、過剰人口を移住させるための土地を要求する。

4 民族同胞のみが国民たりうる。宗派にかかわらずドイツの血を引く者のみが民族同胞たりうる。ゆえにユダヤ人は民族同胞たりえない。



h)水晶の夜事件

反ユダヤ主義には触れてきたが、ユダヤ人虐待はよく知られるところである。ここでは、ユダヤ人迫害のターニングポイントになった、『水晶の夜事件』と語られる一つの例を挙げるに留める。


ナチス政権下、1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地でユダヤ人の居住地区が次々と襲撃、放火された事件である。水晶の夜という名前の由来は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて水晶のようにきらめいていたところから付けられた。

保安警察ゲシュタポ*のハインリヒ・ミュラーの電報での「邪魔をしないように」との命令に基づき警察は暴動をまったく取り締まらず、さらに消防隊も炎上するシナゴーグ(協会・集会場)を傍観しているだけで、消火活動をするのは非ユダヤ人の建物に延焼する恐れがある時だけだったという(突撃隊やゲシュタポが関与した官制暴動の疑いが強いとされている)。驚くのは、ドイツ警察に逮捕されることになったのは抵抗した、被害者であるはずのユダヤ人であったことである。3万人ものユダヤ人が警察に逮捕され、一部は収容所送りとなった。


*注釈

*突撃隊、親衛隊、ゲシュタポとややこしい。

ナチスの突撃隊は準軍事組織で、初期の頃はエルンスト・レームの斡旋により義勇軍から流れてきた者を多く受け入れ組織された。ミュンヘン一揆*の失敗で一時期禁されたが、1925年にナチスと共に再建され、党集会の警備、パレード行進、ドイツ共産党との街頭闘争などを行った。ナチスの政権掌握後は補助警察となり、政敵の弾圧にあたるが、レームの独走が目立つようになり、国防軍などの保守勢力との連携を深めるヒトラーにとって厄介な存在となり、レームをはじめとする突撃隊幹部が親衛隊(SS)によって粛清され(長いナイフの夜)、粛清後はSSの配下となった。


悪名高き親衛隊は、ヒトラーの警護を目的とした党内組織としてスタートした。ハインリヒ・ヒムラーのもとで党内警察組織として急速に勢力を拡大。ナチスが政権を獲得した以降には、政府の警察組織との一体化が進められ、保安警察(ゲシュタポと刑事警察)、秩序警察、強制収容所など第三帝国の主要な治安組織・諜報組織はほぼ全て親衛隊の傘下に置かれた。ゲシュタポは秘密警察組織である。


*ミュンヘン一揆

11月9日朝にヒトラーとルーデンドルフはドイツ闘争連盟を率いてミュンヘン中心部へ向けて行進を開始した。ヒトラーもルーデンドルフも一次大戦の英雄であるルーデンドルフに対して軍も警察も発砲はしまいという過信があった。しかしバイエルン州警察は構わず発砲し、一揆は総崩れとなった。

1924年4月1日、ヒトラーは禁錮5年の判決を受けランツベルク要塞刑務所に収容されるが、所内では特別待遇を受けた。1年で出所。1925年2月27日、禁止が解除されたナチ党は再建された。この年に本『我が闘争』を出版。

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