戦争と革命の時代(ロシア革命・ドイツ革命・ナチスの登場)

北風 嵐

第1話 ローザ・ルクセンブルク

「極東に血が流れる。ツァー政府(ロシア)の犯罪的政策によって、ロシアと日本の間に戦争がひきおこされたのだ。二つの国のはたらく人民は、ツァーと日本資本主義の繁栄のために、互いに殺し合わねばならぬ。世界中のプロレタリアもブルジョワも、不安のまなざしで、戦争のなりゆきを追っている。これはロシアと日本だけの問題ではないのだ。世界資本主義の運命とツァー方式の絶対主義の運命がかかっているのである」と、出だしでローザはこう書いている。


二つの国の戦争とは日露戦争(1904年・明治37年)のことである。

「現在の世界の情勢の中では、二つの国の間のどんな戦争でも、利害をことにする全ての列強の武力衝突に転化し、全面的な流血を引き起こす危険がある・・資本主義の野望の特別の対象となったのは、特に巨大な自然の資源と5億の住民を持つアジアであり、アジアの中でもとりわけ中国であった」

ツァー政府が日本と戦っているのは、中国を手に入れるためであると断言し、この戦争はおそかれはやかれ、資本主義世界全体を渦中に巻き込む危険があると、すでに来るべき世界戦争を予見している。

「たとい、どのような結果になろうとも、この戦争は必ずツァーリズムの埋葬に行きつく」とし、「相手にする日本は、4千5百万人の人口を持ち、国力と生命力に充ちた国、すでに多くを学び取り、近代的な十分に武装された軍隊を持ち、この武力を十分に使いこなせる国である」と、ロシアの敗北を予測している。それによってもたらされる混乱を革命に転嫁せよ!と激を飛ばし、そして、ロシアにおける革命は必ず、ロシアより資本主義が発達しているが、やはり皇帝の絶対主義の尻尾を持つドイツに革命的な状況を作り出すであろうと…

プロレタリアートの革命的な連帯によってしか帝国主義戦争は防げないと、彼女は言う。


ローザ・ルクセンブルクとはどのような女性であろうか?


1871年にポーランドで生まれる。父親は材木商で外国とも手広く商売をしていて、父も母もユダヤ人であった。当時、ポーランドはロシアの支配下にあった。ワルシャワ高等女学校を首席で卒業。卒業後すぐに革命組織の党のワルシャワ支部に入り活動を始め、マルクス・エンゲルスを勉強し始める。ワルシャワ労働者同盟の創設に関わり、当局に睨まれるところとなり、スイスに亡命。チューリッヒ大学で自然科学、政治学、経済学を学ぶ。ここで私生活でも、政治活動の面でも固く結ばれた社会主義者ヨギヘス(ロシア)を知ることになる。1893年チューリッヒで開かれた第2インターの大会で報告を行い、注目を浴びる。若干22歳であった。『ポーランドの産業的発展』の論文で博士号を取得する。活動をドイツに移すため、偽装結婚してドイツ社会民主党に入党する。帝国主義戦争に一貫して反対し、レーニンのロシア革命を熱烈に支持し、ドイツのプロレタリアートが革命でこれに応えるべきと訴え続ける。4年3ヶ月の大戦中3年4ヶ月を獄中で送った。レーニンの論敵として、彼女が亡くなったとき、レーニンは最大級の賛辞を贈った。

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