ひこうき雲

名無しの群衆の一人

第1話 飛行機少年のジャン、ベスパ、それから少女のカスティヨッサ、の巻

 村の外れから、カーニバルの楽器隊が軽やかに鳴らすシンバルが聞こえてくる。

 パン! パン! と、空には白い雲と、花火の音。

 照りつける太陽は平地と違ってさんさんと輝いており、空気は軽やかで薄く、真っ青な空と、乾燥した地面、寒いのに熱く焼けた皮膚がひりひりと神経をいらだたせた。

 ジャンは両手で思い切り頬を叩くと、ヨシと気合いを入れて立ち上がる。

 湿度もない。気圧も安定。今日は絶好の、滑空日より。

今日は年に一度の、飛行大会の日。

少年ジャン・マルクは決めていた。

この大会で、父の遺してくれた飛行機を使って一位を勝ち取ると。


日焼けした少年ジャンは小さな自宅格納庫から出ると、親方から借りてきたトラックに自分の飛行機が乗っているのを見て大いに胸を高鳴らせた。

「じゃあ行ってくるね母さん!」

「ジャン!」

 少年ジャンが手を振って家を出ようとすると、家の中から年取った未亡人の声が聞こえてきた。

「ジャン、あんまり無茶するんじゃないよ! あなたのお父さんみたいに、そんなに無茶をして空を飛べばいいというものではないわ!」

「大丈夫だよ母さん! じゃあ行ってくるね!」

 少年ジャンはそういうと家の中から一歩も出てこない母に腕を振り、そのままトラックの運転席に乗り込むとエンジンを吹かす。

「チェッ、家から出てきて俺の飛ぶのを見てくれてもいいのに」

 ジャンはそういうとトラックのギアを一速に入れて、ゆっくり、慎重に、トラックのタイヤを動かしてトレーラーを進ませた。

 ゆっくりと、トレーラーの進みに合わせて格納庫の中から機体が出てくる。

 白い翼。細長い胴体。鋭いテーパー翼が縦に折られて機体に張り付いている。

 それから小さなコクピット部。ピトー管先には赤い布を撒いて、ジャンの飛行機はゆっくりと太陽の下に姿を現した。

 ジャンのトラックはさらに前へ進む。するとすぐ家の前の上り坂にさしかかり、ごとごとと揺れながらジャンの飛行機は、その坂道をトラックに引かれて前へ前へと進んでいった。

「ジャン! 本当に気を付けて、ちゃんと無事に家まで帰ってくるんだよ!」

「行ってきまーす!」

 母の声は、ジャンにはすでにほとんど届いていなかった。


 長い村の坂道をどんどん上っていくと、この珍しい飛行大会を見ようと村までやってきたらし観客達がめいめいに道ばたで空を見ていた。

 空にはすでに午前の部に出ているらしい飛行機ヤロウ達がいて、めいめいに自分たちの翼を広げて堂々と空を飛び交っている。

 スモークを焚いている者、気球でレースを観戦している者、世界でも珍しい翼を着けた奇人変人も中にはいて、あっと驚くようなパフォーマンスをレース中に披露して総合点を狙っている人間も。

 ジャンが出場するのは午後のレース、様々な形の機体をそれぞれが持ち寄ってパイロット個人の技を披露して競う、サバイバルレースだった。

 緊張しながらトラックで機体を運んでいると、ちょうどラダー渓谷の会場に向かうらしい車列の一台に見覚えのある機体と人間を見つけた。

 向こうもジャンのトラックを見つけて振り返り、すると中から人間が出てきてジャンのトラックにポケットに手を入れながら寄ってくる。

「よう村の恥さらし、ピヨール・マルクの息子で弱虫のジャン! おまえん家、飛行禁止処分が出てるの知らないの?」

「うーなんだよベスパか、今忙しいんだから邪魔すんなよ」

「ベスパ・ピジャンツ様と呼べよただの平民出がっ」

 ベスパはそういうと、ジャンの運転するトラックのボディをどんどんと乱暴に叩く。

 ジャンは慌ててトラックを止めると、窓を開けてベスパが叩いたボディの部分を振り返った。

「おいやめろ! 借り物なんだから手出すなよ!」

「ヘンッ、借り物だろうが何だろうが、おまえがこーんな高級車に乗ってるってのが信じらんねーぜ。なあジャン!」

 ズイッと、ジャンが窓を開けた縁にベスパが腕をねじ込んできて、そのまま憎たらしそうにジャンの顔を覗き込む。

「なあジャン。おまえどうして空飛ぶんだ?」

 ジャンはそう言われて怒ってぶすりと頬を膨らませていたが、あまりのしつこさにアクセルを踏む力を抜いてブレーキを踏んだ。

 トラックが止まると、ベスパはさらに顔を車内に突っ込んでくる。

「まだ何か用?」

「てかどうしておまえは空飛べるんだ? なんでなの?」

「俺が空飛んじゃダメなのかよ」

「いや不思議で不思議でしょうがねえよ、あのハナタレがさ。お前が今まで空飛んでたのなんて見たことねーもん」

「飛行禁止処分なんて何十年も前の話だし。しかもそれ濡れ衣だってあとで分かったじゃねーか!」

「いや違う違う」

 ジャンがアクセルを踏み込んでトラックを発進させようとすると、ベスパは執拗にジャンのトラックにしがみついて前へ進ませないよう迫ってきた。

「まだなんかあるのか?」

「俺知ってるぜ。お前ん家、金が無いから飛行機だって持ってないって、だから今までずっと飛べなかったのも知ってる。けどよ、この後ろのでっかいグライダーどっから持ってきたんだ?」

「オヤジの格納庫からだよ」

 まだ自分のトラックに捕まって離れないベスパにいいかげんうんざりしてきたジャンが、やや投げやりにそうやって答える。

「オヤジの格納庫、開けてみたらいっぱいあったんだよ。それこそ新しい機体作るのだってできるくらいいっぱいあった」

「マジで!? だって、おめえのオヤジってその飛行機乗って空中分解起こしておっ死んでるんだぜ!?」

「だからそれは濡れ衣だって言ってるだろ!」

 ジャンは小憎たらしい、この村の有力者の一人息子のデブの首を締め上げると強引に車の外へと引きずり出す。

 だがベスパは、太い首に、太い腕、ぎろりと鋭い細長い目でジャンを睨み付けてジャンの細い腕を軽くたたいた。

「あ? いったい誰に手ぇあげてるんだ? しばくぞおいコラ」

「ベスパだって何だって、俺のオヤジのことバカにしてみろ! 今すぐ絞めて殺してやるんだからな!」

「おーおーやれるもんならやってみろ! そのままサイドブレーキ引かないでブレーキから足離してみな! おまえは離陸すらできないまま、車に乗って坂道落ちてドカンだ!!」

「なにーっ!?」

 二人が互いに胸ぐらをつかみ合い引っ張り合い、トラックがずるずると坂道を下り駆けようとしているところへ、今度は本物の高級車がやってくる。

 プップーとクラクションが鳴り中から人が顔を出すと、その顔はにっこり笑って腕を振った。

「べーすーぱーちゃん! あ、ジャンくんも!」

「!?」

「!!!」

 運転手付きの黒い高級車、その窓辺から見慣れた女の子の顔が覗く。

 着飾った上着に、軽く化粧をしているかわいい女の子。

黒くて長いしなやかな髪をふりほどいて、出てきたのはジャンやベスパたちの幼なじみだった。

この村にベスパやジャンが住んでいて、もう長い間二人はお互いに殴ったり殴られたりいじめたりいじめられたりしていたが、そうなるといっつも間に割って入って来て二人を離す。

「今度はなんのケンカ?」

「ケっ、ケンカとかしてねーしっ」

かわいらしい女の子は戸惑うベスパをみて、にっこり微笑む。

ちょっと挑発的なところとか、あとたまに世間知らずな所なんかもいいとおもう。

そう、思いながらジャンも少女のことを見ていると、そのジャンの顔を見て少女も笑った。

「あははははっ、二人ともヘンな顔っ!」

 少女の名前はカスティヨッサ・シャハランと言った。

 このラダー渓谷の麓にある、地方の飛行大会だけで廻っている小さなフラップ村に病気療養として来ている少女は、ベスパはジャンたちとは住んでいる家も、家柄も何もかもが違った。

 車を運転していた執事の人が、まるで仕方ないなあとでも言いたそうに肩を落とす。だがカスティヨッサ嬢は特に気にする風も見せずにジャンの飛行機に駆け寄った。

「すっごい! ジャンくんこれで今日飛ぶの!」

 ジャンは慌てて車のサイドブレーキを掛けて車を出ようとした。

 と、ここでいつまでもドアの窓辺に手をかけてだらしなく笑っているベスパに気づいて、ちょっと乱暴に肘鉄を食らわせてどかせる。

「すっごいね! やっぱりジャンくんもひこーきやろーって、やつなんだね!」

「おう! 俺なんてこの谷の中でいちっばん早い飛行機持ってるんだぜ!」

「ふん、今まで一度も飛んだ事無いやつがよく言うぜ」

「名前は何て言うの?」

 カスティヨッサ嬢はベスパの悪口がまるで聞こえなかった様子で、ジャンの機体をあちこちからへばりついて中を覗きだした。

「これ、やっぱり早いのね!」

「そうさ、こいつの名前はな! えーっと……」

「ん?」

 ジャンがすぐに飛行機の名前を言えないでいると、その一瞬の間にまたカスティヨッサ嬢があちこちとことこと歩いていく。

 そのうち飛行機に名前がない事にベスパの方が気が付いて、呆れたように口を開こうとした瞬間をジャンがみて慌てて口を開いた。

「し、シルフィード!」

「んだよ、なにその名前」

「うるっせーなー昨日できたばっかなんだよ! でもそれこそ、さらっさらだぜ! 超綺麗だろ!」

「シルフィードかあ。うん、すごいはやそうだね!」

「だろ!? 俺のこのシルフィード号は、しかも速いだけじゃねーんだぜー! このはね、翼! 設計から何から、材料だって全部自分で作って用意したんだ! これだけでもすごいのにあとは組み立てから何からも、全部自分一人で……」

「ベスパくんの飛行機は?」

 ジャンが一人とうとうと自分の新作を説明していると、カスティヨッサ嬢はひらりと身とスカートをかわして、ベスパの乗っていた高級車の方へと歩き出す。

 もっとも、カスティヨッサの乗っている車とは段違いでランクは違うが。これでもベスパはこの村の有力者の一人息子だった。

「へへへっ、俺様の飛行機はここにはない」

「じゃあもう会場の方に運んであるんだ?」

「どっかの誰かみたいに、俺の飛行機はそんなプラスチック製じゃないからな! てか重いんだよ、俺の飛行機は」

「フン、ベスパの場合は自分の肉の方が重いから、軽いグライダーに乗れないから機体が重くなったってだけだろ」

「ナニー!!」

「やるかーっ!?」

「やっぱりベスパくんの飛行機もはやいんだね!」

「……おおう!」

 殴り合いのとっくみあいになりかけて二人で胸ぐらをつかみ合った格好のまま、ふたりはカスティヨッサ嬢のまったく疑いの念を持っていない目に、うなずいた。

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