令和ちゃん危機一髪

一ノ瀬メロウ

令和ちゃん危機一髪

 令和ちゃんの華々しい元号デビューからすでに一か月が経過した。記者会見で官房長官ちゃんと一緒に姿を現した時、令和ちゃんはその名前の響きから、国民ちゃんたちからクールな印象を持たれていた。


「なんたって和暦の最先端を行く元号だもの。令和生まれはcleverクレバーなのよ」


 令和ちゃんは涼しげな表情でそう言った。生後一か月とは思えないその大人びた雰囲気に、人々は驚きを隠せない。実際、元号の成長は早いため、令和ちゃんの見た目はすでにホモサピエンスでいうところの十四歳くらいにあたる。


「いやあ令和ちゃんは可愛いなあ!」


 そう言いながら令和ちゃんの背中をばんばんと叩いたのは昭和ちゃんだった。背後から太平洋戦争と高度経済成長の重みが一気に伝わり、令和ちゃんはよろめいて倒れそうになった。このセーラー服を着崩した快活な元号は、令和ちゃんにとって二つ上の先輩だ。


「ちょ、ちょっとやめてよ昭和ちゃん……。相変わらずフィジカル強いよお」

「困った表情もいいなあ!」


 令和ちゃんは困惑した表情で昭和ちゃんに言ったものの、彼女は親切でやっているつもりなので聞く耳を持たない。根はいい子だが、昭和ちゃんにはそういうところがある。


「まあまあ、その辺にしておいてあげたら? 昭和ちゃん」


 気だるげな声が、昭和ちゃんをたしなめた。ファストファッションをラフに着こなす彼女は、つい先日まで現役の元号だった平成ちゃんだ。平成ちゃんは令和ちゃんの方に近づいて、「調子はどう?」と尋ねた。


「上々よ。連日みんなが私のことを話題にするわ。ちょっと何か起こるたびに、『令和初の』って枕詞が付いた報道が飛び交うの。まあ私は庶民の動向なんて、これっぽっちも気にかけてないけどね、ふふん」

「そっかあ。それは良かったね、令和ちゃん」


 平成ちゃんはにこりと笑って、令和ちゃんの頭を優しくなでた。平成ちゃんにとって、自分が元号に就いた直後の思い出は、どれも苦々しい物ばかりだった。だから、改元後に令和ちゃんがみんなから温かく出迎えられているのが、たまらなく嬉しいのだ。

 

 令和ちゃんは頭をなでられたのが嬉しくて、つい顔が緩んでしまった。平成ちゃんの手からは、優しさだけではなく、どこか祈りのような寂しさを感じる。令和ちゃんはその寂しさの原因は分からなかったものの、ただ今は、自分の誕生が喜ばれているのが心地よかった。


「あ、顔が緩んでる」


 平成ちゃんは令和ちゃんの顔を見て言った。「そんなことないわ」と焦って答えた令和ちゃんだったが、昭和ちゃんが令和ちゃんの頬を軽くつまんで茶化した。


「あはは、クールじゃない令和ちゃんも可愛いなあ」

「もう、昭和ちゃん!」

「ははは、面白い顔」

 

 平成ちゃんも一緒になって笑った。さらに平成ちゃんは、ポケットから取り出したスマホでその様子を自撮りして、すぐさま「#令和ちゃん」でSNSに投稿した。令和ちゃんは恥ずかしくなってしまい、顔が真っ赤になった。幼い元号は体温の調整が苦手なところがあるため、令和ちゃんの体温は上昇していった。三十度を超える真夏日が日本各地を襲い、国民ちゃんたちは「暑すぎる」と苦悶くもんの声を上げはじめた。

 

 そんな時、突然三人に白い影が襲いかかった。


「和暦、死すべし!」


 白い影は令和ちゃんめがけて猛ダッシュで近づいて、強烈なパンチを食らわせた。


「ぐっへぇ!」


 汚い声を上げて令和ちゃんは吹っ飛んだ。先ほどまであったキャッキャウフフな空間が破綻してしまった。申し訳ないが、そういうエモい話を期待していた方々は、他をあたってほしい。


「何すんだテメー!」

「うわ令和ちゃん口わる」

「あ、あなたは!」


 昭和ちゃんが驚いて、襲い掛かってきたを見た。


「和暦……許さない……」


 みなさんご存知、西暦ちゃんだ。

 身に纏った格調あるローマ式の白布をひらめかせて、西暦ちゃんは元号たちの前に立っている。頭に着けたいばらの冠に咲く赤い薔薇は、彼女のトレードマークだ。


「西暦ちゃん! なんてことするの!?」

「令和ちゃん、あなたには死んでもらうわ……」


 昭和ちゃんの声にはまるで反応せず、西暦ちゃんはそうつぶやいた。


「もう痛いじゃない! 何なのこの暦は!?」

「令和ちゃん、彼女は西暦ちゃんだよ。私たち和暦とは生まれがだいぶ違うけど、結構長い付き合いなんだ。でもなんだか、いつもより様子がおかしいみたい……」


 平成ちゃんが説明した。西暦ちゃんの体からは、得体のしれない黒いオーラが煙のように立ち昇っている。これまでも西暦ちゃんが元号たちにちょっかいを出してくることはあったものの、基本的には仲良くやってきていて、ここまで直接的な行動に出たことはない。


「私こそが世界標準なのよ!」


 西暦ちゃんはそう叫んで、再び令和ちゃんの方に襲い掛かった。


「きゃあ!」


 令和ちゃんが声を上げたが、攻撃は受けなかった。


「令和ちゃん、ここは私たちが!」

「食い止めるからね!」


 平成ちゃんと昭和ちゃんが盾になって攻撃を防いだ。

 和暦と西暦、世紀の対決が始まった――


「食らえ!終戦記念キック!」

「必殺、バブル経済パンチ!」


 元号二人はそれぞれ得意の攻撃を繰り出した。


「その程度で私に勝てるわけないわ!」


 西暦ちゃんは右手を掲げて光とともに一本の剣を発現させた。一振りすると衝撃波が放たれて、平成ちゃんと昭和ちゃんの攻撃とぶつかり爆発した。

 『激動の時代』とまで評される昭和ちゃんに、『失われた三十年』と恐れられる平成ちゃん。二人とも現役を引退しているとはいえ、屈指の実力者だ。しかしそれでも、西暦ちゃんのに対抗するには十分ではなかった。

 

「だ、だめだ……昭和ちゃんと私でも太刀打ちできない……」

「このままじゃやられちゃうよ……!」


 二人はその後も西暦ちゃんと熾烈な攻撃を交わし合ったものの、西暦ちゃんを打倒するには及ばなかった。西暦ちゃんはボロボロになった彼女たちの姿を見て、高らかに笑った。


「ははは! この私こそが世界最強の暦よ!」

「そんな……先輩二人がやられちゃうなんて!」

「残るはあなたよ、令和ちゃん。あなたを倒して和暦は終わりを迎えるの……!」

「令和ちゃん逃げて!」


 西暦ちゃんが令和ちゃんの前に近づき剣を高らかに掲げると、刀身が黒いオーラをため込んで禍々まがまがしく輝いた。西暦ちゃんお気に入りの武器であるこのグレゴリウスの剣は、十六世紀に、自分と実際の太陽年との間に出来ていた十日分のずれを斬って消滅させた逸品だ。以来、グレゴリオ暦は世界各国で広く採用されている。


「そこまでにしてくれねーかな」


 突如、西暦ちゃんの背後から声が聞こえた。


「だれ!?」


 西暦ちゃんがはっと振り向いた途端、強烈な爆発を伴う攻撃を食らった。


「まったく世話の焼ける後輩たちだ」

「あら、大正ちゃん。あなただって人のこと言えるほどしっかり者ではないでしょう?」


 吹き飛ばされた西暦ちゃんは、衣服の汚れをはたきながら立ち上がった。


「久しぶりに聞く声ね……。大正ちゃん、明治ちゃん」


 一撃を放ったのは大正ちゃんだった。その隣には明治ちゃんもいる。いや、正確に言うと他にももっといる。


「二人だけじゃないよぉ!」

「私たちもおります」

「戦と聞いて駆けつけてきました!」

「ここが現世か~「令和ちゃん大丈夫?「西暦ちゃん中々やるねえ「徳川のおっさんいねえの?「うわ暑いなあ」


 そう、よくよく見るとたくさんいたのだ。

 慶応けいおうちゃん、元治げんじちゃん、文久ぶんきゅうちゃん、万延まんえんちゃん、…(中略)…大宝たいほうちゃん、朱鳥しゅちょうちゃん、白雉はくちちゃん、そして一番古い先輩の大化たいかちゃんまでいる。

 令和ちゃんのピンチと聞いて歴代の元号たちが駆けつけたのだ。総勢248の元号が集まり、画面はもう一杯だ。


「こ、こんなに集まるなんて卑怯よ!」


 西暦ちゃんが狼狽うろたえたが、元号たちは容赦しなかった。持ち前の必殺技を繰り出し、西暦ちゃんを攻撃していった。


「もう……さすがに無理……」


 しばらくは攻撃を耐えていた西暦ちゃんだったものの、次第に限界が近づき、ついに倒れてしまった。多勢に無勢といったところだ。。さすがに集まった元号全員が戦いに参加する必要もなかったので、余った元号たちは花札をしたり、蹴鞠をしたり、和歌を詠んだり、マリオカートで対戦したりしていた。


「あ、西暦ちゃんの体から何かが出てきたよ!」

「不吉な予感……きっとあれが…西暦ちゃんを暴走させた……」


 そう指摘したのは宝暦ほうれきちゃんと安政あんせいちゃんだった。倒れて意識を失った西暦ちゃんの体から、オーラが抜け出て、空中で固まっていき黒い球体になった。

 宙に浮いたままの球体は、急に令和ちゃんの方に向かって突撃した。「あっ」と声を上げて元号たちが驚いた。

 球体がまさに令和ちゃんにぶつかると思われたその時、大きな破裂音がして球体が砕け散った。


「……終止」


 甲冑姿の元号が火縄銃を下ろした。銃口からはもくもくと白い煙が吐き出されている。天文てんぶんちゃんだ。彼女が十二年目の時、種子島に漂着したポルトガル人から伝わったのが、この火縄銃だった。


「いてて……。あれ、ここは?」


 西暦ちゃんがむくりと上半身を起き上がらせて周りを見渡した。自分の行いを思い出して、とんでもないことをしてしまったと青ざめた。


「ああ私、なんてことを…」

「正気に戻ったんだね、西暦ちゃん」

「まったく改元早々ひどい目に遭ったわ」

「平成ちゃん、令和ちゃん……それに他のみんなも、ごめんなさい」


 令和ちゃんは西暦ちゃんに優しく手を差し伸べた。その手を取って西暦ちゃんは立ち上がった。仲直りの合図だ。他の元号たちも、みんな喜んで拍手をした。令和ちゃんは嬉しくて興奮したためか、体が熱くなった。列島はさらに気温が上がり、北海道で三十九度を超える気温が観測された。


「でも、どうして西暦ちゃんは暴走してたの?」


 昭和ちゃんが問いかけると、西暦ちゃんは頭を抱えながら自分の身にあったことを話した。


「実は私、悪い人たちに捕まって操られていたのよ。その人たちは私を捕まえて、『改元対応が間に合わなかった…こうするしかない……』と虚ろな目でぶつぶつ呟いていたわ。あの黒い球体が私に取り憑いて、気が付いたら体が勝手に動いてたのよ」

「もしかしてその悪い人たちって、パソコンをずっと触ってた人たちのこと?」

「平成ちゃん、何か心当たりがあるの?」

「きっとエンジニアのおじちゃんたちだよ。改元の少し前から、日本中のシステムを変更に対応させるために頑張ってたんだけど、多分間に合わなかった人たちが、いっそのこと令和ちゃんを倒してしまおうと思ったんだろうね」


 平成ちゃんの言う通りだった。日本政府ちゃんが元号を発表してから改元まで一か月の猶予があった。

 不幸にも、その間に改元への対応が間に合わないほど柔軟性のないシステムに携わっていたエンジニアちゃんもいたのだ。不幸なエンジニアちゃんたちは、仕事が終わらない悲しみを黒いオーラとして西暦ちゃんに憑依させて、西暦ちゃんを凶行に走らせた。令和ちゃんを倒してもらえば、和暦は終わり、改元対応なんて必要なくなる。

 もっとも、そうなったら今度はシステムの日付表記を西暦に対応させる仕事が生まれるだけなのだが……。


「令和ちゃん、今日はごめんなさい。私から言うのもなんだけど、これからも和暦のみんなと仲良くしていきたいと思ってるの」

「ええ、私は大人だから許してあげるわ! よろしくね、西暦ちゃん!」


 令和ちゃんは大人なので許してあげた。西暦ちゃんは手を振って去っていった。他の元号たちも、古い順に令和ちゃんに挨拶をして帰っていったが、なにぶん数が多いので相手をした令和ちゃんはほとほと疲れてしまった。


「じゃあ私も帰るね!」


 そう言って昭和ちゃんも手を振って帰った。

 最後に平成ちゃんが帰ろうとしたとき、令和ちゃんはやけに落ち込んでいた。


「どうしたの、令和ちゃん?」

「あのね、みんなと挨拶するうちに気づいたんだけど、私だけ二文字とも漢文が由来じゃないみたいで、なんだか仲間外れな気がしてきたの……」

「そんなことないよ令和ちゃん、『令』の字は由緒ある万葉集から選ばれた素敵な漢字だよ」


 平成ちゃんが励ましたが、どうにも令和ちゃんはナーバスなところがあるらしい。幼い元号は体温調節が苦手なところがあり、また、気分の浮き沈みが激しかったりする。何事も、最初の方はなかなか安定しないものだ。


「それにね。SNSを見たら『令和つ』とか『令和18年ってR-18だよね』とか、しょうもないこと言う人ばっかりなのよ……!」

「SNSなんて見たらだめだよ! あれは良くない情報ばっかりだから…」

「は? 平成ちゃんに言われたくないんだけど!?」

「うーん、それは確かに……」


 スマホ中毒の平成ちゃんは納得してしまった。

 平成ちゃんはそれからもなんとか令和ちゃんをなだめようとしたものの、令和ちゃんは膝を抱えてぶつぶつと文句を言ういじけモードになってしまった。じめじめとした空気が列島に近づいてきた。もうすぐ梅雨になるだろう。







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