居場所

三日月

 僕は外にでた。

たくさんの人が僕の前を足早に通り過ぎていく。みんないったいどこに向かっているのだろう。その目的地に着いていったいどうなるというのだろう。道を歩く人たちの歩みを止めるように僕はその道を横切る。眉と眉の間に深い皺をつくって僕の方をじろっとみるスーツ姿の少し老けている男性。僕はその男性の方を見返えそうとしたがもうその男性は前を向き歩いていた。そして僕はもういいやと道に立ち自分の家に歩みを進めた。

家まではそう遠くないのだが人が多く、思うように前に進まないものだから少しいつもより時間がかかってしまった。だからどうということはないのだが。

僕は上着のポケットから小さい熊の鈴がついた鍵を取り出し安っぽいドアを開けた。カーテンを閉めて家を出たものだから部屋の中は真っ暗だ。部屋に入るとすぐに左右にカーテンを寄せる。

まぶしい朝の光が僕の身体とひんやりとした部屋を暖める。

僕はそれを心地よく感じながら近くにあるベッドに転がり込んだ。そして天井を見上げながらつぶやく。

「今日はなにかうまれそうだ。」

そしてうとうととしてきた僕はそのまま眠りについた。

 

 


 あぁ今日も僕は起きてしまったと目と頭だけを動かして思う。さっきまでまぶしい光が射していた窓からはおちついたオレンジ色の光が部屋の中を薄暗く照らしていた。もうすぐ夜になる。僕は立ち上がりお風呂に入ったり歯磨きをしたりと習慣事やある程度の家事をそそくさとしていく。そして一通り終えた僕は、薄めのカーディガンを羽織り、荷物が入ったショルダーバッグを下げて家を出た。鈴の音がチリンと鳴る。

 

外に出ると朝と比べて歩いている人はずいぶんと少なかった。家を出るのがもう少し早ければきっと朝のような多くの人と、ぶつかったりしながら歩くことになっていただろう。もしかしたらあのスーツ姿の睨んできた男にも会えたかもしれない。

そして僕は建物と建物の間に小さく建つ古い雑居ビルに着いた。入り口のすぐ横の壁には、そのビルの中に入っている事務所やテナントの名前がいくつか書かれてある館銘板かんめいばんがあるが、実際にいまこの中にあるのはある一つの会社だけである。

外壁の壁は全体的に黒ずんでいて、床にあるレンガは踏むとがたがたと動き、なかにはレンガが外れてしまって固まったモルタルが見えているようなものもあり、古びていてどこか奇妙なビルだ。

この中になにかがあるなんてこの前を通る人は誰も考えないであろう。あるようでないようなまるで僕のようだ。


僕は中に入り、エントランスホールを通って、古くて今にも壊れそうなエレベーターに乗りゆっくりと上がった。

そしてガクンとエレベーターが動くのを合図に扉が開く。一人の男がいた。

部屋には倒れたオフィス用のデスクやイスが散らばっていて、床には水がいくつもの分岐点をつくりながら流れていた。

右手の奥にある洗面器の蛇口から水が止むことなく流れているようだ。蛇口から出る水の音が静かに響き渡る。

男は部屋の壁の大部分を占める窓から外を眺めていた。綺麗な景色が見えるわけではないその窓からはきっと君のことだ。地上を歩く、人を見ているのだろう。人を上から見るということがその男にとっては最高なのだ。

僕は人を殺すという力を得た。

だからなにも恐れるものはない。

その男は僕に気づき少しの間じっと見ていたがなにもなかったかのようにまた窓に向きを戻した。僕はこんな弱りきった男を殺すために来たのではない。


 その男のつくった事業は以前まで成功していた。特に裏では広く名が通っていたらしい。しかし、この荒れ果てた部屋を見る限り、ここ最近でなにかがあったのだろう。だからといって僕は殺すことを止めるわけにはいかない。そんなことであっさり止められるのであれば今頃…僕は幸せになれていただろうか?

今までの道のりはどこまでも続くような暗く淀んだものであった。だけれど、道を一つ二つ変えてもきっと僕に幸せが訪れることはなかったと思う。僕は弱者だ。

僕は少しずつ、床に散らばったものを避けながら彼に近づいた。そして彼のすぐ後ろまできたが彼はびくとも動かない。

僕は彼を後ろから抱きしめた。右手にはエレベーターの中でショルダーバッグから出してずっと握っていたナイフがある。左手で彼を抱きしめながらそれを僕は彼の心臓に刺した。ぼくはその男をころした。 こうするまでいったい何年かかったのだろう。 ものすごくあっけなくて、血の色にだんだんと染まっていく床と吸収していく水をみながら少しの間、ぼーっとその場に立っていた。男の身体からでる血は止まることを知らないかのように水をどんどんと濃い、真っ赤な色に変えていった。

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