ある父親の善意
指先で、通信端末の録音機能を起動させる。
青い画面にゼロから始まるタイマーが表示され、一秒毎にカウントが進む。録音が始まった事を示していた。
俺は、すぐには声を出せなかった。
「……あー、自分は、井上健一。公務員をしている。遺言を残そうと思って、この録音をしている」
いざ話してみれば、なんだかぎこちない言葉遣いになってしまった。散々、というほどではないが練習したのに。
緊張したって、もう仕方ないのに。
「……俺達は今、滅亡の危機に瀕している。いや、瀕していると言うより、もうすぐ滅亡するという方が正しいだろうか」
どうせこの録音を聞く者なんて、もう現れないのだから。
地核振動波。
昨今巷を騒がせている、『突然死』の原因はコイツとの事だ。なんでも地核から発せられる独特の震動が、人体に含まれるとある物質と共鳴。その共鳴により物質は発熱し、血液は沸騰。人間が爆死する……という事らしい。
その特定物質の名は、シナプス様ヘモグロビン類似体。
ああ、そうだとも。知能向上のために人類が自らの遺伝子に合成能力を刻み込んだ、あの物質だ。
「この振動波は、海外の研究者によれば五万年前周期で発せられるものらしい。シナプス様ヘモグロビン類似体の起源であるクラゲは、遺伝子解析で三万六千年前に誕生したと推測されている……要するに、災厄後に誕生し、災厄前に俺達人間が見付けてしまったという訳だ」
大切な研究資料としてクラゲは厳重に保護されていたが、地核振動波の影響で生息地の個体は全滅したらしい。残っているのは、研究用として別の国で飼育されていた個体だけ。そしてその個体も、いずれ全滅するだろう。
地核振動波を発する地殻活動は日に日に活発化していて、いずれ地球全土に振動波が放たれると予想されているのだから。
「この振動波で絶滅する恐れがある生物種は、たった二種。ある種のクラゲと、人間だけだ……」
正確に言うなら、人間についてはまだ希望はある。デザイナーベイビー施術を受けていない人々も居るからだ。
だけど、そんなのはごく少数。
デザイナーベイビー施術は遺伝子に施すもの。だから子孫に遺伝する。第二世代施術が編み出されてからもう四百年近く経ち、その影響は世界中に広まっていた。概算だが、世界人口の九割以上が第二世代施術の影響を受けているらしい。
つまり人口の九割以上が、振動波がやってきた瞬間に文字通り吹き飛ぶ。宇宙基地に居る人材は助かるかも知れないが、そんな一パーセントに満たない連中が生き残ったところでただの誤差だ。
今の社会は、人口が急に一割未満になっても動くようには出来ていない。何百何千もの専門職が、複雑に関与しながら成立している。物資を運送するにも人手が必要なのだから、食べ物や資材の流れも止まってしまう。おまけに施術を受けていないのは、貧困故に機会に恵まれなかった人や、原住民ぐらいなもの。
恐らく、今の人類文明は滅びるだろう。
一つの文明が滅びるという事は、歴史上幾度も起きてきた。けれどもそれは全体から見れば一部の事象に過ぎない。その上大規模な滅亡時には、その隙間を埋める別の文明が台頭するのが常。時間にしたって、何十年とか何百年も掛かってゆっくり衰退している。
一瞬で何十億もの人が死ぬなんて、人類史で初めての出来事だ。何が起きるかなんて見当も付かないし、本当に人類は滅びてしまうかも知れない。
だけど、そんな事はどうでも良い。
俺が今、気掛かりなのはたった一つの事だけ。
「……俺には、三歳になる息子がいる。明日はアイツの、四歳の誕生日だ」
可愛い息子だ。目に入れても痛くないとは、この事を言うのだろう。
そしてあの子も、最先端の第二世代施術を受けている。シナプス様ヘモグロビン類似体をたっぷり合成する体質だ。
だから、振動波からは逃れられない。
「小さいけど、賢い子だ。自分がどうなるか分かっている筈だ。なのに、なのにあの子は何時も笑顔で、毎日遊んでとせがんで……」
涙が、出てくる。
どうして俺は、あの子に第二世代施術を受けさせた?
五年前からこれが起きると知っていたら、シナプス様ヘモグロビン類似体が出ないような体質に変えただろう。或いはせめて受けさせなければ、希望があった。俺達夫婦も第二世代施術を受けているから高確率で体質が遺伝するとはいえ、もしかしたら突然変異でシナプス様ヘモグロビン類似体を作らない体質になったかも知れない。
その可能性を潰したのは、俺自身の決断。
俺は、俺はただ、息子に元気で暮らしてほしかったから。俺達よりも賢くなって、もっと暮らしやすい世界にしてくれて、結婚して子供を作れるようにって……
幸せになってほしいと願っただけなのに、どうしてこんな事になるんだ。
どうして。
どうして。
どうし
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