ある浮浪者の善意

 世界は、凄く良いものとなった。

 少なくとも俺が産まれる前よりは、ずっとマシなもんだ。失業率は低くなったし、社会制度も充実している。戦争も先進国じゃ起きる心配なんてないし、核兵器による世界の滅亡もなくなった。

 そして人間関係が嫌になって、河原で浮浪者をしている奴を虐めるような暇人も居ない。国民の九十九パーセントが第二世代施術を受けたデザイナーベイビー、或いはその子孫になった今、最早化石同然である俺のような『旧人類』がその立場にあってもだ。

 俺のお袋とか家系の話を聞く限り、人間ってのは差別が大好きな生き物だと思っていたんだがね。第二世代施術というのは、知恵だけでなく人格まで聖人君子にしてしまうらしい。全く、これじゃあ「穢れた血が流れる!」なんて言って第二世代施術を受けなかった我が家系こそが一番差別的じゃないか。

 ま、そんな差別的なお家は、俺というろくでなしな息子の所為で断絶だ。

 俺はどうにも仕事だとかなんだとか、縛られる生活が嫌いなんだ。こうして浮浪者生活をするというのは、まぁ、悪くない。社会だの文明だの言うが、一部の『原始的』な人間は野っ原で生きる方が楽しいのさ……ボランティアが無料配布していた缶コーヒー飲みながら言っても、説得力はないだろうがね。


「おぅい、アダムじいさーん。まだ、生きてるかー」


 そんな感じに春の日差しが射し込む河原でのんびりしていると、ふと若い男の声が背後から聞こえた。

 知っている声だ。振り返ってみれば、知っている顔だった。

 近所の大学に通っている学生のフリック。俺達のような浮浪者の健康問題について、色々調べているとかなんとか。つまりは興味本位で俺達に近付いている奴なのだが、憐れんだり同情したりしてくる奴よりは余程付き合いやすい。他の連中がどうかは知らんが、俺は好きでこういう生活をしているからな。

 だから、俺はコイツとよく話をする間柄なんだが……


「おう、まだしばらくは生きそうだ……って、なんか妙に顔色が悪いな」


 こんなにも顔色が悪いフリックは、初めて見た。額に脂汗を掻いていて、明らかに体調が悪そうだ。


「あはは……いやぁ、なんか、今日はやけに身体が熱くて……それに、全身が、痛い。頑張って大声出したら、なんか、一層酷くなった、し」


「お前、どう考えてもヤバい風邪引いてるじゃねぇか! なんで此処に来たんだよ!?」


「今日は、チェスをするって、話を……」


「馬鹿野郎、風邪移される方が迷惑だろうが。勉強し過ぎて頭がおかしくなったか」


「……確かに、なんだろう、全身が、痛く、て……考えが……まとまら、な、くて」


 フリックは両手で頭を抱えながら、その場に蹲る。なんだか今にも死にそうなぐらい体調が悪そうだし、病院に連れていった方が良いかも知れない。

 肩でも貸してやろうと俺はフリックに歩み寄った、その時の事だった。


「ごばっ」


 フリックが、破裂した・・・・

 比喩じゃない。本当に破裂した。肉片が飛び散り、たくさんの血で辺りが染まる。フリックだった身体は、もうまるでぐちゃぐちゃの肉塊のようだ。俺の身体にもべったりと、まるで茹だったように熱い血が付いて……


「ひっ!? ひぃっ!?」


 思わず、腰が抜けた。

 正直ビビった。何にって、訳が分からない事にだ。もしもコイツが変な病気に掛かっていたなら、血を浴びた俺にも移るかも知れない。それはとても怖い事だった。

 勿論知り合いが……医師じゃないから診断なんて出来ないが、しかし『中身』が出ているんだぞ……突然死んだ事にも動揺した。あまりに酷い死に方だから、殺人とかを疑われるかも知れない。

 物凄く動揺した。だが、だからこそ落ち着こうと深呼吸をする。

 ……そうだ。まずは救急車を呼ぶべきだ。

 助かるとは思わないが、俺もついでに病院に行けば、病気が移ったかどうか分かるかも知れない。金なんてないが、ボランティア団体の奴等が払ってくれる筈だ。そういう活動をしているというのも聞いたからな。

 兎に角、今は救急車だ。救急車を呼ぼう。

 しかし俺はスマホだなんだは持っていない。人を呼ばなきゃダメだ。だから河原を出て、町へと向かった。河原から町まで百メートルもない。すぐに辿り着く。

 辿り着いて、呆気に取られた。

 町が、真っ赤に染まっていた。

 それが血と、飛び散った肉の塊だと、しばらく眺めていて分かった。朦々と漂う湯気は、血から漂っているのか? 冬なら兎も角、今は春なのに。

 それよりも、一体何人死ねば、こんな事になるんだ? なんでこんな、何時の間にか人が死んでるんだ? この町に、俺以外に生きてる奴なんて居るのか?

 なんで俺は、生きているんだ?


「クゥーン、クゥーン……」


 呆けていると、か細い鳴き声が聞こえてきた。見れば、小さな犬が肉塊の周りをうろうろしている。

 辛うじて残っている肉塊の手には、犬のハーネスから伸びている鎖が握られている。飼い主だったのだろう。

 ……別に、同情した訳じゃない。

 むしろ俺が心寂しかったから。何が起きたのか、何が起きているのか、何が起きるのか、それが分からなかったから。

 俺と同じ境遇に置かれた犬の鎖を、俺は無意識に拾い上げていた。

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