D-rag
咲場大和
第1話 one step back
第1話 one step back(1)
ー頭の中で反復する一瞬の光景が自分を構成する“何か”に多分な影響を与えているー
白い氷が視界に広がり、その上では何人かの鎧を身に纏う人だかりがあった。2階席にいる観戦者たちは絶叫にも似た歓声を飛び交わせている。さんざめく歓声とは裏腹に僕の耳に入ってくる音は自ら発する上がった息遣いと氷の削れる音のみ。僕はこの冷気を発し、固く、そして美しい氷の上でその人だかりから少し離れた場所で集団を凝視している。
「へいっ!」
クリアに聞こえた声は僕の目を惹く。
瞬間、大きくゴルフのスウィングのように天高く振り上げられた『スティック』が美しい弧を描きながら、鮮烈で力強くスイングされ、そいつの元へ流れて来た『パック』を叩いた。
バチンッ!と音と共に放たれた『パック』が真っ直ぐ相手のゴールへと向かい、ネットに突き刺さったのが脳裏に焼き付いている。
その後、けたたましいブザーの音が鳴り響き、そいつが腕を掲げた瞬間、会場が揺れた。僕はこの瞬間を忘れたい。
忘れたくても頭にべったりとこびり付いて離れないのだ…
心地よい柔らかさと温かさに包まれ、しばらく目覚めてからも布団から出れずにいた。閑静な住宅街に聳えるアパートの1室はまだ暗い。
窓でも空いているのか迷い込む隙間風に肩を震わせながらさらに深く布団を被った。布団の中はちょうどよく温みを含み僕を離してくれない。部屋の中は閑散と物音ひとつせず僕が動くと衣擦れの音が聞こえる。そのまま微睡みに呆けていると、ピンポーンっとアパートのチャイムが鳴った。
「誰だろ?今何時だっけ?」
ふと時計を確認すると時間はまだ朝の5時、人が来るには早すぎる時間だった。ピンポーンっとまたしてもチャイムが鳴った、しかも2回ノック付き
「何かトラブルかな?」
急に心配になったのか一気に覚醒した頭と体を起こし、玄関へと向かう。
一人暮らし用の部屋なので扉を開けるまでに時間はかからない。扉を開けるとそこには少し不機嫌になって大きな荷物を肩にかけた男が立っていた。
「早く開けろよ…」
「いや、まだ寝てたし」
部屋に入るよう玄関から離れると男は外の寒さから逃げ出すように玄関に上がるとすぐに部屋へと続く狭い廊下に靴を脱ぎ散らかしながら向かう。
一人暮らし用の1Kのアパートだ、当然男二人が並んで通れる廊下なはずもなく、僕は壁に押しやられて平たくなった。部屋に押し入ってきた男は部屋に入るなり「うわっ、部屋寒っ!」とエアコンの暖房を入れた。
「ここ、僕の部屋なんだけど…」
そう愚痴をこぼしながら脱ぎ散らかされた靴をそろえ、部屋へと向かう。部屋では男が持ってきた荷物を広げているところだった。荷物の中身は鎧のように体に複数取り付ける防具だった。部屋のエアコンからは暖房を入れているはずなのに出始めの冷たい風が出て部屋の中の空気を循環させている。防具から出る汗臭さが部屋にこもって顔をしかめる。
「で、
「ん?さっきまで近くで練習してたから」
「つまり、用事はない…と」
先ほどまで横たわっていたベッドはこの男に陣取られていたので、僕は机の前の椅子を引いて、座りながら部屋への乱入者を盗み見る。
先ほどまでの静けさは嘘のようだ。こいつは外から僕の部屋に悪影響をよく持ち込む。まるで自分の領地かのように悪びれもなくくつろいでるこの男は
「どうせ氷太もこの後練習行くんだし、いいかと思って」なんて図々しさを全面に言い放つと荷物を取り出したカバンの中をガサゴソと漁っている。
「まぁ、別にいいけど。風呂は?」
「もらう、ありがと」
「どういたしまして」
そう言いつつ、僕は風呂を沸かしに行った。
僕、
僕たちは日本の競技総人口約2万1030人と、とても人口が少ないスポーツ『アイスホッケー』の部活、『バッカス』というチームに所属している。
正直、友達にいっても「どんなスポーツ?」と聞かれる程度には日本では人気と知名度がない。そしてその少ない人口の何割かが僕たちの出身地である北海道民である。
アイスホッケーというのは『氷上の格闘技』と表されるスケートリンク場でスケート靴を履いて行う激しいスポーツだ。ルールはキーパーを含めた6対6で『パック』を奪い合い、相手の守るゴールに入れることで得点を競い合うスポーツで戦い方はサッカーと似ている。『パック』というのはサッカーで言う『ボール』と同じようなもので平たく厚みのあるゴム状の物体だ。そしてパックを操るために使われるのが『スティック』と呼ばれる先端が湾曲しているゴルフのドライバーに似た装備で、これらを使ってシュートやパスなどを行う。
風呂場に向かう途中にさっきまで練習していたと言った剛大が持ってきたであろうスティックが風呂場の入り口に立てかけてあった。僕はそれを玄関に移動させ、風呂場の入り口を開けた。蛇口を捻り、お湯を出す。今の僕の住むアパートは便利なことに設定した温度のお湯が蛇口一つ捻れば出て来てくれる。なので熱湯と水で調整しなくてもいいのだ。
「今からお湯張るから貯まるまで待って」
「おう、じゃあそれまでゲームでもしよぜ」
「俺まだ寝たいんだけど」
「今夜は寝かさないぜ☆」
「もう夜もあけてるよ…」
僕は呆れかえりながらも渋々剛大が渡してきたゲームのコントローラーを受け取った。僕が嫌々引き受けたことを嬉しそうに笑いながら剛大は最新の家庭用の据置型ゲームの電源を入れ、カセットを選んでいる。よく訪れているせいで、僕と同等に部屋を知り尽くしている…
その後はしばらくゲームしてから風呂にお互い順番に入り、朝食を済ませた。今日は休日だったが、昼から練習があるのでそこまでゆっくりもしていられなかった。
僕たちは
「何そわそわしてるの?」と声をかけると「な、何でもねぇ」と言った。詮索する気もなかったので「そっか」とだけ返し、それ以上は触れなかった。
「まもなく東伏見、東伏見。お忘れ物の無いようにご注意ください。」
車内で流れる淡々としたアナウンスを聞き、座席から立ち上がるのと電車が駅のホームへ到着するのは、ほぼ同時だった。
電車から出ると暖房の効いた車内との温度差に背筋が少し伸びた。改札を通り、長い階段を下って駅から出ると目の前に大きなスケートリンクが見えた。リンクの入り口に向かうと1人の先輩が既に到着していた。
「「おはようございます!」」
「おう、おはよう」
剛大と一緒に挨拶すると、今年度からキャプテンとなった
僕たちのチームは1月から新チームが発足し、4年の先輩方が引退となる。だが、引退というのは形だけで実際は就活も終わり暇なのだろうか、大体の4年生も練習に参加している。違うのはチームを仕切るのが4年生から3年生、のちの新4年生になる事だけだと思う。挨拶が済み僕が更衣室へ向かおうとすると、なぜか剛大が主将に神
妙な面持ちで近づき口を開いた。
「今日も寒いっすね、温かいもの食べたい気分ですよ」
何言ってるんだ、あいつ。しかし主将はそんな剛大を見て
「お?じゃあ練習終わったらラーメンでも行くか」
と練習後の食事を提案した、剛大は後ろ手にグッとガッツポーズを決め「行きましょう!」と元気な返事で返す。このラーメンとは体育会系ならではの先輩のおごりラーメンだ。あいつ、ただラーメン食いたかっただけだろう!と心の中で突っ込んだがそんな光景を微笑ましくも思った。できれば僕もご
しばらくすると他の先輩方や同期がぞろぞろと集まり始めた。それを確認した主将が全体へと号令をかける。
「集合っ!」
『おう!』
全体が大きな輪になるように集合し、その円はキャプテン、アシスタントキャプテンを中心に広がる。役割的には、チームをまとめるのがキャプテン、試合などでチームの代表となる。そして、それを補佐するアシスタントキャプテンが2人となっている。
「おはようございます、まず今日の練習ですが…」
チームメイトに対し3人が一言ずつ今日の練習の注意点、目的などを確認する。引き継いで間もないため、言葉に少し緊張と戸惑いを感じた。そんな中、主将からある報告がされた。
「そして今日から宮川が1軍に上がる、宮川、2セット目の
「はいっ!」
瞬間周りがざわつき始めたが、その空気を切るように主将が声を荒げた。
「異論は認めん、以上解散!」
その毅然とした態度に若干の戸惑いを孕みながら渋々といった様子で輪が解けた、先ほどの出来事はチームにとって大きな変化である。
僕たちの大学は周りから、いわゆる強豪と呼ばれるチームであり、毎年多くの選手が入部しようとする。だが、このチームでは入部試験を行っており、それがまた過酷なのである…僕も当時、相当苦しめられた。そして無事入部できたとしてもそこからレギュラー争いの場に放り込まれ、1軍に居る者はチームの名を背負って、そうでない者は1軍に上がる為に、ひたすら努力し続けなければならない。そんな中、剛大はもう1年生が終わりに近いといえど2年生、後の新3年生を出し抜き、1軍に抜擢されたのである。
「氷太!」
声をかけられ振り返ると、笑顔の剛大が防具バックを肩に担いで力強く僕に向かって言った。
「先に行くぜ」
そう言ってリンクへの入り口に向かい消えていった、遠くなる後ろ姿を見つめながら、なぜか強い焦燥感にかられて、気がつけば拳が強く握られていた。
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