5-12 我が北風の騎士に敬意を表し、無慈悲であれ② ……マクシミリアン
一体どれほどの血が流れたのだろうか──いつの間にか、陽は高くなっていた。
戦闘らしい戦闘こそないが、部下たちは忙しく動き回っている。一方、マクシミリアンはほとんど何もしていなかった。吹き荒れる風雪に身を任せ、物思いに耽る余裕さえあった。
気はほとんど緩んでいた。そのとき、思わぬ方向から鼓笛が聞こえてきた。遠眼鏡を向けると、そこには天使の錦旗がはためいていた。
軍靴と鼓笛が大きくなる。行軍の音に混じり、銃声も聞こえてくる。すぐに哨戒部隊から、約三千名の第六聖女親衛隊がこちらに向かって接近中であると報告が入る。
「第六聖女親衛隊は今回の攻撃対象ではありません! 今は騎士団への対応に専心するべきです!」
「しかし、敵は明らかにこちらを攻撃する気だ! 放っておけば後手に回るぞ!」
アーランドンソンが暗に交戦を拒否しようとする一方、イエロッテは現実的に戦局を考える。部隊長以下、幕僚たちの間でも意見は割れる。
「突撃だ! 突っ込むぞ!」
しかし意見が出終える前に、マクシミリアンは即決した。
マクシミリアンはサーベルを抜くと、親衛隊の迫る方向に馬腹を蹴った。ただ、アーランドンソンや幕僚たちには止められた。
「待って下さい隊長! そんな急に言われても困ります! まずは冷静に作戦を立てましょう!」
「そんなもん知るか! もののついでた! さっさと蹴散らせ!」
「相手は〈教会七聖女〉の一人ですよ! 戦うにしても、きちんした手順を踏むべきです! まずは軍使を派遣し、戦闘開始の宣誓を……」
「何が軍使だ!? お前ら、敵に喧嘩売られて黙ってんのか!? 戦も知らねぇ女とその弱兵どもに好き勝手されて腹立たねぇのか!?」
「いや、あの、そんなに怒ることでも……」
困惑するアーランドンソンを振り切り、マクシミリアンは再び馬腹を蹴った。
「ニクラスに伝令! 待機中の兵を全てこっちに寄こせ! それからエイモット幕僚長にも言って、歩兵隊にも動員をかけろ! 間に合わなくてもいいから、とにかく動かせるものは全部動かせ!」
駆けながら、マクシミリアンは背後の馬蹄を確認しつつ命令を出した。
動き出す漆黒の群れがうねり、雪煙が舞い上がる。胸甲騎兵の軍装が厳めしい音を奏で、次なる戦いへの時を刻む。
まとわりつく風が、その冷たさを増していく。すぐに、地平線に天使の錦旗が浮かび上がる。
冷静になれと言われたが、マクシミリアンはそれなりに冷静だった。確かに怒りは渦巻いているが、周りが見えなくなるほどの怒りではないし、制御の仕方もわかっている。
ただ、怒りの根源はどす黒かった。
第六聖女はきっと、
もちろん、それに伴う戦果はある。もし第六聖女を捕らえたともなれば、皇帝は聖女の狩人などと呼んで持て囃すだろう。しかしそれは、大勢の死の上に積み上がった、いわば慰めに過ぎない。
そしてマクシミリアンが第六聖女親衛隊を無視したところで、遅かれ早かれ
もうこの戦争の大勢は決している。辿り着く先、その果てにすら、英雄たちは道を思い描いているだろう。それは大きな流れであり、個の意志がどれだけ強くても、変わらないし、変えられない。
それでもなお、相手が戦う気でいるなら受けて立つ。それがどれだけ血塗られていようと、それ以外の道をマクシミリアンは知らない。
「陛下の言葉を思い出せ! 今日一日、一切の慈悲はない! 女騎士だろうが聖女だろうが容赦するな! 皆殺しにするつもりでかかれ!」
我が北風の騎士に敬意を表し、無慈悲であれ──王の言葉が脳裏を
何が北風の騎士だ……。たかだか一回顔を合わせただけで、あいつの何を知っているというのか。いつも好き勝手なあだ名で人を呼ぶあの男は、どうせヤンネの名前すら呼んでいないだろうに……。
それでも、燃える心臓の男は人々から敬愛され、畏怖され、尊崇されるのだ。ただ英雄であるがゆえに。
そんな英雄と一緒に戦場を駆け、ヤンネはきっと嬉しかっただろう。ヤンネはずっと騎士に憧れていた。伝承の物語に生きる騎士にも、敵として相対した月盾の長にも、騎士殺しの黒騎士と蔑まれる男にさえも……。
かつて、ヤンネは同じだった。無理解な父親、愛情なき母親、逃れられない血統、理不尽な社会構造、無力な子供でしかない自分自身、その全てに怒っていた。だからこそ、同じような大人にはなってほしくはなかった。違う生き方を探し、真の名誉と栄光を知り、希望に満ちた未来を切り拓いてほしかった。だが、マクシミリアンは戦うことしか教えてやれなかった。自分は泥水をすすってまで生きてきたというのに、死ぬなとは教えてやれなかった。
そして北風の騎士は死んだ。その果てに今、マクシミリアンはいる。
もう、何もかも手遅れなのである。
「攻撃だ! 今さら何しに来たのか知らねぇが、誰に喧嘩売ってるのか思い知らせろ!」
情けなくなるほど完全な八つ当たりであるが、マクシミリアンはその感情に身を任せた。
「
マクシミリアンは自らを鼓舞するように叫んだ。そして天使の錦旗にサーベルを向け、先頭を走った。
親衛隊の隊列が火を吹く。銃声が響き、風が耳元を掠める。
怖くはなかった。たとえ銃弾が当たろうとも、死ぬ気はしなかった。自分だけは死なないと、マクシミリアンは本気で思って生きてきたのだから。
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