終章 

果ての地の邂逅

 戦いが終わり、そして北風は哭き止んだ。


 色のない冬の陽が、果てなく広がる白い地平線を照らし、包む。

 冬晴れの雪原に、〈帝国〉の黒竜旗と〈教会〉の十字架旗、そして天使の錦旗が向かい合う。その色は、互いに血と煤に塗れている。布陣する両軍のすぐ近くには、夥しい数の首と肉塊が無造作に晒されている。

 筆舌に尽くし難い光景だった──どこまでも変わらぬ雄大なる自然と、凍りついてもなお生々しい冒涜的殺戮が入り混じる冬の情景──そして全てが終わった地に、セレンは今生きている。


 ミカエルらが帰らぬまま一夜が過ぎた。陽が落ちるまで、遠くの空で何かが騒めいている気配はあったが、その日の夜は恐ろしいほどに静かだった。

 ヴァレンシュタイン元帥に支援要請を出したものの、結局味方は来なかった。ヴァレンシュタイン軍が敵の攻撃を受けたからだとか、ハベルハイム将軍が命令を黙殺したからだとか、そもそも助ける気がなかっただとか、いろいろな噂が飛び交ったものの、結果的には同じだった。その間に、騎兵単独だった帝国軍は歩兵や砲兵を動員し、セレンらが立て籠もる村を素早く包囲した。


 ただ、その後の戦闘はなく、交渉により戦いは終結した。


 戦闘能力のない月盾騎士団ムーンシールズに残された道は無条件での全面降伏しかなかった。一方、第六聖女親衛隊は降伏こそするが、軍旗掲揚の名誉は認められた。

 実務的な交渉は、月盾騎士団ムーンシールズの後任騎士団長となったジョー・ウィッチャーズと親衛隊の軍使らが務めた。セレンは〈教会〉側の代表として交渉の場に同席したが、後ろで見ているだけで、特に何かするということはなかった。


 交渉は粛々と進んだが、〈帝国〉側の高級将官数人を除けば、敵も味方も、誰もが傷を負っているように見えた。


 やがてウィッチャーズが跪き、降伏の証として剣を手渡す。

 交渉の中心となっていた相手指揮官がウィッチャーズの剣を受け取る。誰よりも血と泥に塗れた漆黒の胸甲騎兵は、焼かれた騎士の家紋が描かれたボロ切れの同然のマントを羽織った騎士殺しの黒騎士は、剣を受け取ると、ウィッチャーズの前に膝を着き、労りの言葉をかけた。

 騎士殺しの黒騎士と呼ばれる男が、騎士の敬意を示す。だが、その横にいる半裸の大男だけは、空気も読まずゲラゲラと笑っていた。

 神を犯す冒涜的な刺青いれずみを、夥しい数の古傷を、赤黒く乾いた血糊を全身に迸らせる熊髭の大男──強き北風ノーサー

 強き北風ノーサーの大男の存在のせいで、降伏交渉の席は終始不穏極まりなかった。全員が武装解除しているにも関わらず、場の空気は極度に張りつめていた。他の帝国人が寛大な態度を示す一方、敗者である教会遠征軍を容赦なく罵倒する強き北風ノーサーは、一人だけ明らかに話をする気がなさそうだった。

 時折、燃えるようなその眼光がセレンを舐めたが、そのたびにレアが前に出て庇ってくれた。ただその狂獣の目は、脳裏に焼きつく恐ろしい眼光とは少し違い、どことなく悲しそうにも見えた。


 そんな不穏な空気が臨界点を迎えつつあったときだった。突然、黒騎士が強き北風ノーサーの顔面をぶん殴った。


 そこからは子供の喧嘩だった。途中からは巻き添えをくったウィッチャーズも加わり、三つ巴の殴り合いとなった。最初こそ両陣営の部下たちが止めに入ったが、疲れていたのか、呆れていたのか、三人の狂気に気圧されたのか、無理に止めはしなかった。

 しばらくの間、「死ね」「殺すぞ」など、知性の欠片もない罵詈雑言が飛び交った。やがて喧嘩が終わると、強き北風ノーサーは捨て台詞を吐いて去っていった。


「あんな連中に我らは負けたのか……」

 セレンと一緒に様子を見ていたレアは心底悔しそうだったが、セレンはなぜかすっきりした気分だった。

 〈教会七聖女〉の一人として人々の告解を聞くのは仕事だったし、〈第六聖女遠征〉の旗印となってからは、戦場で命を懸ける兵たちの心に少しでも寄り添えればと思っていた。しかし、この期に及んで子供のような喧嘩をする男たちを見て、それを真に理解できることはないだろうと思った。

「お見苦しいところを見せて申し訳ありません」

 交渉の場から戻ってきたウィッチャーズは額には、大きな青痣ができていた。

 ウィッチャーズが降伏交渉の内容を報告する。セレンは相づちこそ打ったが、すでに何度も確認したことなので聞き流した。

「それと最後に、敵将のマクシミリアン・ストロムブラードが個人的にあなたと話したいと言っています。どうされますか?」

 思いがけない言葉に、一瞬、空気が固まる。全員が表情を曇らせる。即座に、レアが断るよう促す。侍従長のリーシュをはじめ、誰もが断れと口を尖らせる。

「過度に恐れる必要はありません。さっき隣にいた半裸の男、強き北風ノーサーのオッリはともかく、ストロムブラードはいきなり取って食うようなことはしませんよ」

 相手が強き北風ノーサーの場合は取って食われるのか──その様は容易に想像がついた。

「それに、奴も変わりました。昔は確かにその異名に違わぬ男でしたが、今は随分と変わってしまった……」

 幕僚たちを自陣に返し、独り雪原に残る黒騎士を遠目に、ウィッチャーズがどこか寂しそうに呟く。それでもなお周囲の者は反対したが、セレンは自発的に前に進み出ていた。


 なぜ了承したのかはわからない。もちろん印象はよくない。恐怖もあったし、危険も考慮していたが、同時に好奇心もあった。何を話すのか、今は単純に好奇心の方が勝っていたのかもしれない。

 かつての自分なら、教皇や高位聖職者たちの影に隠れ、判断すらしなかっただろう。それを思うと、たった一冬ですら隔世の感があった。


 心配する声はあったが、セレンの心は決まっていた。

 出立前、リーシュが再度着付けを直してくれた。交渉前にも身支度は整えてもらったが、白の僧衣に染みた血はいくら洗っても落ちなかったし、儀礼用甲冑パレードアーマーにこびりついた戦塵も消えることはなかった。それでも、剣を振るって戦ったレアや他の兵たちに比べれば遥かに綺麗ではあったし、辛うじて残る威厳は気持ちを引き締めてくれた。


 セレンはみなに別れを告げると、独り雪の上を歩いた。


 冬晴れの雪原に、どす黒い影が浮かぶ。すぐに、どろりと澱んだ黒い瞳と目が合う。そして、マクシミリアン・ストロムブラードと相対する。


 人々は言う──騎士殺しの黒騎士、成り上がり者の下級貴族、父親を処刑した不道徳者、薄汚い下っ端の胸甲騎兵、蛮族どもを使役する恥知らず、〈黒い安息日ブラック・サバス〉の冒涜的殺戮者。


 そして今、新たな殺戮を終え、その果ての地に独り立つ騎士殺しの黒騎士は、やはり確かな死の臭いを帯びていた。

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