5-2 凍てつく息② ……ミカエル
遠くを見つめる兄弟の視線が雪の間に交わる。
拘束された帝国軍の捕虜を横目にアンダースが
「帝国人は捕虜にするとして、蛮族どもはどうします?
「いや、彼らも捕虜として確保しておく。蛮人とて人道的に対応しろ」
「お国の絶滅政策に反しますけど、いいので?」
「生きて帰るため、今はできる限りの選択肢を残しておきたい。責任は私が取る」
ミカエルが言うと、アンダースは素直に
「国のお偉方からすればここは北部の辺境だ。多少のことはバレやしないさ」
思わず、弟のような台詞を呟いていた。ミカエルが自嘲気味に笑うと、アンダースもうっすらと口元を歪ませた。
「選択肢を残しておくにしても、いずれは決断が必要ですよ」
弟の青い瞳が、また遠くを見つめる。
「まぁ、アンドレアスが無事に国境に到着できていれば、近いうちに援軍も来て、少しは状況も改善するでしょう。……ティリー卿を説得できていればの話ですが」
他人事のように鼻で笑うアンダースが騎兵帽を目深に被る。ただ、口調こそ聞き慣れたものだが、その顔に笑みは見られなかった。
騎士団の上級将校アンドレアス・アナスタシアディスが援軍要請に出て一ヵ月が経過している。当初の予定ではそろそろ援軍が到着してもおかしくはない。兵士たちにとってはそれが一縷の希望にもなっている。
月牙の騎士と称されるアナスタシアディスが道中で落伍するとは考え難く、仮に義父であるティリー卿の説得に失敗したとしても、彼なら何かしら対策を講じる。ただ、依然として音沙汰はない。ゆえに過度な期待もできないのが現状である。
弟と同じように、ミカエルも遠くに視線を移した。
街路の先に道が続く。しかし、降り積もる
*****
クリスタルレイクの戦いで敗北したものの、教会遠征軍は壊滅したわけではない。その点では、全軍潰走に陥ったボルボ平原とはやや状況が異なる。ヴァレンシュタイン元帥率いる第二軍は依然として三万から四万の兵力を擁し、第六聖女親衛隊と父ヨハンが率いた本軍の残存部隊も引き続きヴァレンシュタイン元帥がまとめている。
ただ、
ミカエルはヴァレンシュタイン軍との合流を願い出たが、ヴァレンシュタイン配下のハベルハイム将軍に阻まれた。ハベルハイムは銃を撃ち、「近づくなら寸刻みに殺し尽くす」と言って攻撃の構えを取った。怒り狂うハベルハイムと交渉の余地はなく、陣に近づくこともできなかった。ヴァレンシュタイン元帥に謝罪の書簡も送ったが、返事はない。
取りつく島もなかったが仕方なかった。しかし、独立遊撃部隊とはいえ、主力の支援なしではやっていけない。ボルボ平原での敗北以来、それは痛いほど理解している。
今は何もかもが不足している。食料、馬の飼料、武器弾薬、そして情報……。人馬も消耗しており、かつては五千騎いた騎士団の総勢も、とうとう二千騎を下回った。
全ては自らの不徳が招いた事態である。立場に驕り、己の力を過信し、助言を無視し、神を妄信し、大義に先走り、いたずらに戦火を煽り……、そして血に呑まれた。
〈第六聖女遠征〉も事実上終わった。しかし冬はまだ終わっていない。
*****
部下たちが撤収の準備を始める。ミカエルも新たな外套を羽織り、荷物の入った
「兄上。あの……、ちょっといいですか?」
アンダースが騎兵帽を取り、躊躇いがちな視線を向ける。かつては小綺麗だった青羽根の騎兵帽は随分とくたびれている。
「申し上げ難いことではありますが、誰も言わないので言います。……生きて帰るだけならば、降伏してしまうのが最善です」
弟の口調は落ち着いていた。ミカエルを見つめる青い瞳に、いつものような軽薄な笑みもない。
アンダースの進言は現実的な妥協案である。殺し合いとはいえ、戦争は外交の手段であり、騎士道という暗黙のルールもある。何より、その最低限の人間性なくば、戦争は破壊と殺戮しかもたらさない。
「もちろん、交渉する相手は選ばねばなりませんが……。皇帝派の連中はともかく、古くからの北部諸家は父上やロートリンゲン家との繋がりもあります。降伏の恥辱、裏切り者の誹りは免れませんが、しかし部下たちを生かすことだけを考えるならば、それが最善だと思います」
言い終えると、アンダースは一息つき、また騎兵帽を目深に被った。
「それについては、またみなで相談しよう……」
決めかね、ミカエルは言葉を濁した。アンダースもそれ以上は言及しなかった。
道は確かにある。しかし、残された選択肢は多くない。降伏か、撤退か、反攻か……。どのような結果になるにしても、いずれは決断のときは来る。
ただ、今はまだそのときではない。上級将校のウィッチャーズは健在であるし、重傷とはいえ副官のディーツも意識はある。時間はある。そのときが訪れたとき、士官も兵士も含め騎士団の全員が納得できるような道をミカエルは進みたかった。
廃墟と化した町を出て、
開けた雪道を南へと進む。一歩足を踏み出すたび、雪がブーツにまとわりつき、雪が体に降り積もっていく。
ずっと戦場で生きてきたつもりだったが、しかしこのように地べたを歩き回るのは初めての経験だった。常に馬上から見下ろしていた歩兵の苦労をミカエルは二十歳にもなってようやく知った。
軍靴が雪を踏み締める。胸に抱く月盾の徽章だけが、騎士であることを偲ばせる。
雪道を進む足取りは重かった。雪は冷たく、呼吸さえもが痛かった。
ずっと燃えていた炎は消えている。信念と呼ぶべきものも折れている。心すら、一度は失った。それでもまだ立っている。
こんな愚か者につき従い、命を懸けて戦ってくれた月盾の騎士たち。みなを、国へ、家へ、故郷へ……。
「生きて帰還せよ」──ボルボ平原での戦いで、父ヨハンはそう言い残し、去った。
必ず生きて帰る──ミカエルは何度も心に誓った。
家長であり、教会遠征軍の元帥でもあった父ヨハンはすでに亡い。
どれだけ道に迷おうとも、煩悶が心をかき乱そうとも、進まねばならない。冬に呑まれる前に。北風が、再び吹き荒れる前に。
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