5-8 全ては騎士団のために  ……アンダース

 敵から奪った酒は、血の味がした。それはやはりうまかった。


 兄ミカエルが〈帝国〉との交渉に出発するのとときを同じくして、アンダースは麾下の八百騎を率い、後方にいた帝国軍を攻撃した。敵はこちらが攻撃に打って出るとは思っておらず、奇襲攻撃は容易に成功した。大した犠牲もなく、戦果は上々だった。そのついでに輜重部隊も襲い、食料や酒も手に入れた。


 帰陣後、すぐに略奪品を分配し、酒宴を催した。

 戦いに出た者も、そうでない者も、みな笑顔だった。二度の大敗を経て、誰もが大きな傷を負った。しかし、今このときはみな忘れた。アンダース自身も、将兵らと酔いに更けた。


 月盾騎士団ムーンシールズの雰囲気は、アンダースが知る限りで最もいいものだった。これは小さな勝利だが、しかし確かな勝利でもあった。


 絶えぬ笑い声は、心地よかった。どれほど飲み明かしたか、気づいたときには、足元はふらつき、声は酒焼けしていた。

「あの……、アンダース様。ちょっとよろしいでしょうか?」

 酒宴が落ち着いたのを見計らってか、下級将校の一人がやってくる。ボルボ平原での敗北後、アンダースの代理として葬送の儀に出席させた者である。

「ルクレールが戻りません。連絡役も消えました」

「あぁ? ルクレール? まぁそのうち帰ってくるだろ?」

 ハベルハイムとの交渉にルクレールを出したことを、アンダースは少し後悔していた。この酒宴にあの軽口の中年男がいれば、もっと楽しかっただろうと思った。

「今回ルクレールが連れていった者は、みな奴の仲間です。それが何の痕跡も残さず消えたとなれば、裏切り以外考えられません」

「気にしすぎだ。ルクレールはアホだが、そんな奴じゃない」

 ルクレールはアンダースが自分で選んで将校にした者である。月盾騎士団ムーンシールズに仕官する前の傭兵時代も知っている。騎士らしい忠誠心など知らない無学な男だが、それでも金を払えばそれに見合った働きはする。

「ですが、奴は元々傭兵で、ハベルハイムとも知り合いです。アンダース様が勝利する前の状況を考えると、昔の縁を頼って逃げ出すのは容易に想像がつきます」

 部下の言動が、無性に癇に障った。ルクレールの存在を否定されたり、楽しいひと時を邪魔されたのもあるが、何よりも気に入らなかったのは表情だった。何を気にしているのか、この者は酒宴が始まっても、ずっと浮かない顔をしている。

「……細けぇことはいいんだよ。それより今は飯と酒だ! お前も部下たちにちゃんと配ったか!?」

 杞憂だろうと言って、アンダースは部下を追い払った。それから、口直しに酒を煽った。

 兄もそうだが、気にしすぎる性格の者が多いのは、騎士団の特徴なのだろうと思った。軍隊に限らず、集団というものは率いる者の性格が色濃く反映される。

 上に立つ者は、常に悠然と構えていなければいけない。何があっても、部下に神経質な面を見せてはならない──それがアンダースの信条だった。


 酒宴を始めて何日目か、ウィッチャーズにも略奪品の差し入れをした。クリスタルレイクでの敗北後からほぼ不休で働き続ける同僚は、最初こそ頑なに断っていたが、最終的には共に飲み明かした。久しぶりの酒と飯に満足したのか、ウィッチャーズは雑談が終わる前に寝落ちしてしまった。


 しばらく、アンダースはぶらぶらと飲み歩いた。野営地は明るく、いつ終わるともしれぬ宴は、昼夜を問わず続いている。


 気分は最高だった。酔いは関係ない。ただ、月盾騎士団ムーンシールズのために何かできたことが、嬉しかった。騎士団長である兄ミカエルは、ずっと部下たちに報いようとしていた。自分にもそれができたと思うと、誇らしくさえあった。


 酩酊に身を任せ、夜を歩く。見上げる冬の夜は、相変わらず陰鬱である。しかし、はためく月盾の軍旗は、いつも通り美しかった。


 気づくと、雪が降っていた。

 くすんだ粉雪が、白い闇に舞う。しかし、肌に触れるそれは冷たくなく、熱かった。それは雪ではなく、火の粉だった。

 一瞬で酔いが覚めた。アンダースは熱源に向かって走り出していた。

 夜明け前、何かが野営地の中で輝いている。

 物資の集積所に着く。煙を上げる天幕をくぐると、夥しい酒の臭いがした。

 燃え盛る炎を見た瞬間、血の気が引いた。どこから出火したのか、原因は何なのか、考えても何もわからなかったが、とにかく炎の中に答えを探した。


「弟君! これは一体何事ですか!?」

 そのとき、背後から怒鳴り声が響いた。振り向くと、杖をつきながら歩いてくるディーツがいた。

「小さな勝利に浮かれ、バカ騒ぎなどしているからこうなるのです! あなた自身の軽率な態度が招いた結果です!」

 突然の積み重ねに、アンダースは狼狽えた。クリスタルレイクの戦いで重傷を負い、息をしているのが不思議な状態とまで言われていた死にかけの老兵が、なぜこんな都合の悪いタイミングでこの場に現れたのか、なぜこんな声を張り上げ怒っているのか、全くもって意味がわからなかった。

「ヨハン様のご子息ゆえに目を瞑ってきましたが、もう我慢なりません! ヨハン様はやはり正しかった! いくら騎士のように振る舞っても、結局はあなたはただの半端者に過ぎなかった! いつも文句ばかりで、兄君に迷惑をかけるだけで、何一つ責任を負おうとしてこなかった! 騎士団長の名代はおろか、ロートリンゲン家の一員であることすらもおこがましい!」

 たかが家臣の分際に、なぜこんなボロクソに言われなければならないのか──アンダースは言い返したかったが、しかし言葉は喉に詰まって出てこなかった。

「何をボサッと突っ立っているのですか!? さっさと火を消しなさい! あなたのような半端者でも、それぐらいはできるでしょう!?」

 なぜか、死んだはずの父ヨハンの姿が炎の中に浮かんだ。頭上から降り注ぐ声も、なぜか父の声に聞こえた。

 気づくと、アンダースはディーツを炎の中に突き飛ばしていた。

 炎が揺れ、火の粉を巻き上げる。耳をつんざく絶叫が、炎の中に燃え上がる。

 アンダースはそばにあった杖を手に取ると、それでディーツの顔を潰した。何撃目かで、声はしなくった。次に、その上から酒をかけ、燃えそうな物を被せて、隠した。

 騎兵帽の被りを直す。手は、指先は、動かすたびに激痛が走った。見ると、皮膚は焼け爛れていた。

 なぜ手を火傷してまでこんなことをしたかはわからない。ただ、燃やしてしまえば誰にもバレないと思った。


 方々から、「火事だ」と叫ぶ声がわき起こる。騎士団の兵たちも、すぐに火元に駆けつけてくる。


 燃え盛る火が、刹那、雑踏をかき消す。

 一瞬の静寂が場を支配する。誰もが固唾を飲み、燃え盛る炎を見上げる。何者か気づいているかはわからないが、焼け焦げる死体にも視線が集まる。


 その一瞬、静寂が途切れる前に、アンダースは大声を張り上げた。

「敵の密偵だ!」

 これは狂信者のやり方である。人は露頭に迷うと、声のでかい奴に自然と靡く──だが、全ては月盾騎士団ムーンシールズのためだ。

「騎士団旗をここへ持て! 各自、武装して敵の襲撃に備えろ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る