5-5 息子の死 ……オッリ
息子が死んだ。
クリスタルレイクの戦場から戻ってきたヤンネは、死んでいた。
数十の同胞の遺体とともに、息子の遺体が運ばれる。ヤンネの体を乗せた輿が、
治療を試みたであろう首筋の銃創には、まだ火薬の臭いが残っていた。赤々とした血肉が飛び散り、うっすらと骨の見える傷口は、ほとんど首の皮一枚で繋がっている状態だった。
敵も味方も、好きな奴も嫌いな奴も、死は見慣れていた。
戦場は確実に銃火が支配しつつある。そんなことは、学のないオッリでもわかる。だが銃など、誰でも使える。決められた火薬の分量を守り、銃口から弾丸を込め、引き金を引けばいいだけである。力も技術も必要ない。銃は兵士の武器であり、戦士の武器ではない。そんな物に頼るなど、真の男の戦い方ではない。
ヤンネは生意気で反抗的だったが、一人の男として、その強さは本物だった。まだ十五歳の子供でしかなかったが、確実に部族を率いる戦士の資質を備えていた。しかし、銃に撃たれ死んだ。
こんな死が、跡継ぎとして育てた子供の死に方なのか──男の死に方ではない。こんな死は、戦士として相応しくない。
雪の中に、仰々しい葬列が続く。燃える心臓の黒竜旗がはためき、整列する
そして、皇帝グスタフがやってくる。
誰よりも戦塵に塗れた皇帝に続き、皇帝の半身と呼ばれる若き元帥オクセンシェルナ、
ヤンネの遺体の前に皇帝が立つ。弔問の場にいる第三軍団の将官、オッリを除く全員が、一斉に跪く。
まず、キャモラン軍団長が皇帝のご機嫌伺いをする。いつものように、
話もそぞろに、皇帝がオクセンシェルナを呼びつける。キャモランはまだ話し足りなさそうだったが、オクセンシェルナに連れられ人垣の外へと消えていった。
オッリは突っ立ったまま、皇帝グスタフと向かい合った。周囲の空気は明らかに張りつめていたが、どうでもよかった。相対する皇帝も、跪かぬ非礼について特段気にしている様子はなかった。
このように皇帝と話すのは、二度目だった。それは、思い出したくもない過去であり、心火に焼きつく記憶だった。
*****
三十年前、グスタフ三世の先帝が統治していた〈帝国〉に、
まだ祖父が部族を率いていた頃であり、オッリは五歳の子供だった。だが当時の記憶は、三十年経った今も鮮明に残っている。
幼い頃から喧嘩で負けたことはなかったし、狩りも一人でできるようになっていた。だが、部族の命運を決する戦には出なかった。そして負けた。
悔しかった。雄々しい祖父が、猛々しい父が、荒々しい
その日を境に、オッリは〈帝国〉の大地に縛られた。だが、僅かな時間でも味わった自由は、忘れることなどできなかった。
〈帝国〉へ臣従してすぐ、祖父は病で死んだ。跡を継いだ父は、部族の方針を決められぬまま、やがて〈教会〉の同盟国との戦で死んだ。二十年前、〈半島戦争〉の最中、十五歳でオッリは部族の長となった。
マクシミリアンとは、〈半島戦争〉の従軍時に出会った。出会った当初は、すぐ野垂れ死にそうな奴だと思った。しかし、大して強くもないこの帝国人は、どんな逆境でも諦めぬ不屈の闘志と、己の生き方を貫き通そうとする鋼の意志を持っていた。そして、共に地獄のような死線を戦い抜いた。
やがて、死地を戦い抜いた功績を評価され、オッリやマクシミリアンは皇帝グスタフ三世に謁見することとなった。
謁見した瞬間、共に血と泥に塗れ戦った黒騎士は、簡単に跪いた。好き放題に皇帝や王侯貴族たちを小馬鹿にし、鼻で笑い、憎悪していた戦友は、しかし結局、他の帝国人と同じだった。
それもまた、悔しかった。死をも恐れぬ男たちが生きるのを諦めるような状況下で、マクシミリアンは文字通り泥水をすすりながら戦い続けた。そんな不屈の男が膝を折る姿は、見るに堪えなかった。何よりも、共に戦っていながらその意志に力添えできない自分に、
誰もが、跪けとオッリに言った。皇帝の側近や軍の高官たちはもちろん、当時の騎兵隊の上官であったニクラスの父のクリストファー・リーヴァや、マクシミリアンや生き残った仲間たちも同じように催促した。だが、オッリは決して跪かなかった。
そんなオッリに、同じ年齢の少年王は言った──それでいい、と。心まで跪く必要はない、と。我が国の
そのとき、オッリは心に誓った。力を示し続ければ、膝など折らずに済む。自由でいられる。ならば、最期まで力を示し続けてやる。かつて先祖たる〈
*****
何もかもが癇に障った。焼きついて離れない過去に、それを蒸し返す皇帝に、勝手に死んだ息子に──。
オッリの前でヤンネの名を口にする皇帝は、泣いていた。
(なんでこいつが泣いてんだ?)
理解できない皇帝の言動に、オッリはまた腹が立った。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ」
思わず、手が出ていた。苛立ちのあまり、オッリは皇帝に殴りかかっていた。ただ、握り拳は顔面にめり込む寸前で、受け止められた。
刹那、殺気が迸る。
グスタフ帝がオッリの拳を受け止めるのとほぼ同時に、近衛兵たちが一斉に剣を抜く。無数の剣先が、オッリの体に突き立てられる。血こそ出ていないが、剣先はほとんど皮膚に食い込んでいる。
周囲の殺気に、オッリの殺意も燃え上がる──多分、一撃で死にはしないだろうが、致命傷は免れない。それでも、いくらか暴れることはできる。皇帝やその取り巻きの半数ぐらいは、道連れに殺してやれる。
「近衛兵! 剣を収めよ!」
しかし、迸る殺気を、凍りつく空気を、王の声がかき消す。
「我は今、この者と話をしておる! 邪魔立て無用! さっさと下がれ!」
雷鳴の如き一喝で、近衛兵たちが即座に剣を収める。ただ、依然として殺気は漂っている。
オッリも拳を振り解こうとしたが、しかし皇帝はオッリの拳を握ったまま離さなかった。苛立ち、力任せに振り解こうとしたが、拳はどうやっても微動だにしなかった。
「陛下! どうか部下の非礼をお許し願います!」
後ろから飛び出したマクシミリアンが、皇帝の前で跪く。下げる頭は、ほとんど地面に触れている。
「お前はまだ呼んでいない! 下がっておれ!」
一瞥すらせず、皇帝がマクシミリアンを下がらせる。頭上からの一喝に、マクシミリアンが頭を下げたままズルズルと後退する。
涙に濡れてなお燃え盛る皇帝の眼光が、オッリの目を覗き込む。拳を受け止める手が、食い込む指先が、静かにその力を増していく。
「我が
王は高らかに咆哮すると、ようやくオッリの拳から手を放し、そして抱き締めてきた。
男に抱きつかれるなど、気色悪かった。オッリはすぐに振り解こうとしたが、その前に抱擁は終わった。
「我が騎士殺しの黒騎士よ! 来い!」
次に、皇帝がマクシミリアンを呼びつける。
マクシミリアンが再び皇帝の前に膝をつき、平謝りする。深々と下げるその頭は、やはり雪に触れている。
「上辺だけの謝罪はよい! 顔を上げよ!」
皇帝の眼光がマクシミリアンを捉える。対して、マクシミリアンは上目遣いにはなるが、決して目を合わせようとはしない。真冬だというのに、頭髪には汗が滲んでいる。
「いずれ、我が北風の騎士を弔うための機会を与える! そのときまで、しばし沙汰を待て!」
また、雷鳴の如き一喝が轟く。それだけ言い残すと、グスタフ三世は風のように去っていった。
皇帝旗が、近衛兵たちが、皇帝に続き去っていく。野営地から騒々しい人馬の息遣いが消え、死んだような静寂が訪れる。
弔問が終わると、オッリは捕虜の牢車へと足を向けていた。
感情の赴くまま、雪の中を歩いた。ずっとむしゃくしゃしていた感情は、爆発していた。後ろからマクシミリアンの声がしたが、うるさいので無視した。
牢車に近づくと、捕虜の少女と目が合った──やつれ憔悴していても、育ちの良さが滲み出る、うら若き乙女──目が合った瞬間、小さな悲鳴が聞こえた。少女の声なき悲鳴は、とても女らしい響きをしていた。
牢を開け、目が合った少女を探す。大人の女たちは邪魔してきたが、手当たり次第に外に投げ飛ばした。
「おい、弔いの宴を始めるぞ! 今夜は血を絶やすな! 好きなだけ飲んで食え! 好きなだけ女を犯しまくれ!」
捕虜の女たちを押さえつけながら、
オッリはお気に入りの少女の首根っこを掴むと、捕虜の牢から引きずり出した。
「おい何やってる!? さっさと放せ! 殺す気か!?」
怒鳴るマクシミリアンが、胸倉を掴んでくる。
手元の少女は口から泡を吹き、白目を剝いていた。それでもオッリは服を脱ぎ、服を脱がせ、怒張するものを
「てめぇいい加減にしろよ! 寒さで頭がイカレたか!? 好き勝手やりやがって! 何がやりてぇんだよ!?」
マクシミリアンがまた怒鳴る。怒りに燃える黒い目は、なぜだか赤い色に滲んでいる。
鬱陶しかった。オッリは少女を抱いたまま、マクシミリアンの体を突き飛ばした。
ヤンネはずっと帝国人になりたがっていた。長男として、部族の後継者として、そう生きると決めたのならば、自分が死んだあとは勝手にすればよかった。だが結局、その道を進む前にヤンネは死んだ。子供さえ残さず、女さえろくに抱かず、死んだ──。
「何するだぁ!? 寝ぼけてんのかてめぇは!? まずは弔いの宴だ! それが終わったら、俺のガキを殺した奴を見つけ出してぶっ殺す!」
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