3-3 ある冬の日の聖女①  ……セレン

 今、北の冬は穏やかな色をしていた。


 礼拝に集まった兵士らとともにセレンは祈りを捧げた。見上げる冬の太陽が何か答えることはなかったが、陽の光は暖かかった。


 北陵街道から王の回廊に落ち延びて、一ヶ月は過ぎたのだろうか。冬の訪れとともに降り続いた雪が、長く辛かった吹雪が、ようやく治まった。初めて過ごす北の冬と混乱する戦火は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。


 久しぶりに太陽を見た気がした。その温もりは事あるごとにセレンの睡魔を誘った。


 しかし眠るのは恐ろしかった。

 ボルボ平原での敗北以降、眠れぬ夜は続いている。雪が止んでも、吹雪が哭き止んでも、心身を苛む白い闇は決して穏やかな眠りを許しはしない。

 束の間、白い闇に落ちるたび、黒竜が唸り、極彩色の風が吹き荒ぶ。黒い人影はこちらを掴もうと追いかけてくる。眠りの中、そこから必死に逃げる。そして目覚める。その繰り返しである。


 もういい加減に疲れた──そんな思いを押し殺しつつ、笑顔を作る。


 集まった者たちを見渡したが、礼拝に集まる人数は少なかった。

 ヴァレンシュタイン元帥が後衛戦闘を務める中、セレンは最も戦場から離れている地点に常に置いてもらっている。とはいえ、後方部隊といえども野営地は臨戦態勢を取っている。常に人が出入りし、非番以外の兵士は何かしら仕事をしている。

 非番の兵士たちで礼拝に集まる者は、月盾騎士団ムーンシールズ、第六聖女親衛隊の者がほとんどで、ヴァレンシュタイン麾下の兵士は目に見えて少なかった。

 騎士が主力だったヨハン・ロートリンゲン元帥の軍と違い、ヴァレンシュタイン元帥の軍は傭兵が主体である。将軍から兵卒に至るまで、何から何までまるで毛色が違う。その違いが何なのかはわからないが、ともかく深海の玉座というよくわからない軍旗にはあまり馴染めそうになかった。


 それでも、〈教会七聖女〉の一人として、〈第六聖女遠征〉の総帥を務める者として、セレンは〈神の依り代たる十字架〉に祈った──それがみなを支える力になればと信じて。


 神よ、我らを助けたまえ。神よ、我らを守りたまえ。


 神託は聞こえなかった──そもそも聞こえたことはないのだが──握る十字架は冷たく、青空から降り注ぐ白光はただひたすらに眩しかった。


 やがて定時礼拝が終わる。セレンと従軍司祭らの前から、人が散っていく。

「ミカエル様がいらっしゃらないなんて、珍しいですね……」

 人が粗方いなくなったのを見計らい、セレンは親衛隊長のレアに呟いた。

 今日の礼拝にミカエルの姿はなかった。いつもなら士気と規律の維持も考慮し必ず姿を見せる。

「軍務との兼ね合いもあります。特に今はヨハン元帥亡き後で混乱が続いていますから」

 答えるレアはいつものように落ち着いていた。


 レアはどんなときでも気丈に見えた。前を行くその大きな背中は頼もしかった。彼女がいなければ自分はきっとボルボ平原の戦いで死んでいただろう。

 同性だが、セレンとは何もかもが違う。男にも劣らぬ大柄な体躯、身の丈よりも大きなハルバードを軽々と扱う膂力、そして親衛隊を束ねる胆力。

 〈教会〉という国において、女性の地位は総じて高いとはいえない。多くは男たちの添え物程度にしか思われていない。〈教会七聖女〉からして、本質は教皇や大司教の手先あり、民衆を誘導するための偶像でしかない。

 そんな中で、女騎士という存在は女性ながらに文武を修めた稀有な存在だった。

 女騎士は〈教会〉では公認されているとはいえ、比率でいえば決して多くはない。男たちも、内心は見下しているだろう。しかしレアやその部下の女騎士たちは、セレンにとっては憧れだった。

 自分も、この人たちのように強くあれたら……。しかしどんなにそれを願っても、同じようになれないことなどわかっている。

 だからこそ、誰よりも祈った。〈教会七聖女〉として、その第六席として。誰が為の祈りは、同時に自分自身を支えるための祈りでもあった。


 レアを先頭に親衛隊が隊列を組み、宿営地に向け歩き出す。だが、セレンの歩みに合わせた足取りは重かった。

 雪は深く、足はもつれた。白銀の甲冑は重く、体はふらついた。そのたびに侍従長のリーシュが体を支えてくれた。

 身の回りの世話をしてくれる侍女たちも目に見えて減ってしまった。殺された者、傷病で亡くなった者、行方不明の者……。多くが冬の戦地に消えた。

 イリーナの死体はどこかの雪原に埋葬された。

 シャナロッテは未だに行方不明である。帝国軍の捕虜になっていれば、あるいは生きているかもしれない。どこかで生きていれば、また会えるかもしれない。そう思うしかなかった。


 澄み渡る青空と白銀の雪景色はきれいだった。しかし気は晴れなかった。


 そのとき、雪を蹴って月盾の騎士が近づいてきた。

 白銀の世界に月盾の紋章が光り輝く。ロートリンゲン家の血脈を示す金色の髪と青い瞳が、颯爽とその姿を現す。

 その姿を見てセレンは思わず喜んでいた。

「セレン様。礼拝に間に合わず、申し訳ありませんでした」

 やってきたミカエルが跪き、頭を下げる。

「礼拝については私の職務です。ミカエル様も軍務でお忙しいでしょうから、こちらは私たちにお任せ下さい」

 礼拝のときよりも声は弾んでいた。不眠からくる疲労もいくらか和らいでいる。

「お心遣いありがとうございます。ところで、今後の動向についてご相談があるのですが、お時間をよろしいでしょうか?」

 こちらを見上げる月盾の騎士が、深々と頭を下げる。ミカエルはいつものように礼儀正しかったが、今日はいつもに増して畏まっていた。

 その言葉に流されるまま、特に何も考えず、セレンは了承した。

「こちらへ」

 ミカエルが立ち上がる。セレンが差し出した手に月盾の長が口づけする。一連の動作は単なる形式ではあるが、その態度は非常に紳士的で、いかにも騎士然としていた。


 しかし、その青い瞳と目が合ったとき、セレンは言い知れぬ違和感を感じた。


 その眼光は痛いほど力強かった。ミカエルの青い瞳の奥には爛々と何かが燃え盛っていた。

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