Sea You.
@moonbird1
第1話 Brilliant Dream
「では、こちらの用紙にご記入ください」
目の前の女性は、透き通るような声で、はい、と言った。その声をどこかで聞いたことがある、と思い顔を見た瞬間、彼女の左目に眼帯がしてあることに気が付いた。彼女の長い前髪に同化するようにして、その黒は静かに存在感を放っていた。黒は僕の思考を沈黙させ、彼女の声の認識を阻害した。そして、見てはいけなかったものを見てしまった、そんな恐怖心のようなものに駆られて、目を逸らした。滑らかなボールペンの音が響く。
図書館は今日も静かで、平和だった。それは僕がずっと求めていた日々でもあった。誰にも邪魔されず、何もかもが沈黙している空間。それに最も近いのが図書館という場所だった。
「確認させていただきます」
夏原
「……久しぶり」
彼女は少し照れたようにそう言った。――ように聞こえた。でももしかしたら、彼女は全く別の言葉を発したのかもしれない。例えば、なんですか? とか、早くしてください、とか。だって彼女は、僕が思うほど再会を喜んでくれる人じゃないはずだから。
それでも僕は、彼女が久しぶり、と言ってくれたのなら嬉しいと思ってしまった。沈黙する本たちは、沈黙する時の中で世界を動かす術を知らずに棚の上でただ成り行きを眺めている。
「図書カード……」
彼女のか細い声にはっとさせられて、慌てて処理に移る。申請書には彼女の住所も電話番号も記載されていて、覚えてはいけないと分かっているのに、脳が求めていたエネルギーを摂取するかのようにメキメキと記憶に残っていく。いや違う、正確に言うなら、これは元々あった記憶だ。一度この田舎町を出た彼女は、僕のよく知る元々の住所――つまり父母と育ったこの町に戻ってきたんだ。
「……これで、借りられますよね、この本」
彼女がどんな本を読むのか知りたかった。けれどそれは洋書で、英語が全くできない僕は自分の不勉強を呪うしかなかった。表紙にはどこか異国の田園風景が広がっていて、金髪の女の子が赤い風船を追いかけていた。のどかだった。彼女が何らかの挫折を経てこの町に戻ってきたことは分かっていたけれど、僕は彼女が近くに戻ってきてくれたことに安堵していた。この町には彼女が追い求めていた輝かしい夢はないかもしれない。それでもこの町はきっと優しく、静かに痛みを包んでくれるだろう。
「ええ。返却日は2週間後、6月9日です」
美海、と声をかけたかった。喉のそばまでやってきた言葉は、ゆっくりと飲み下された。6月9日という日付を、僕は彼女以上に確実に記憶したはずだ。この日までに、美海は必ずやって来る。
開け放たれた窓から、潮風が吹いた。
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