『正信念仏偈』
諳んじることができるのは、『正信念仏偈』著:親鸞聖人である。
時は平安時代末期、没落した傍流貴族である日野家に生まれた忠範は叔父の家に預けられていた幼少期から浄土宗を興した法然と出会い、流刑地の越後での生活やその後関東で布教し、京都に上り亡くなるまでを描いた五木寛之の『親鸞』について、あーでもないこーでもないと、ねてもさめてもへだてなく南無阿弥陀仏をとなうべし……という物語とは少し違う。
浄土真宗の方々なら、朝のおつとめで目にしたこともいらっしゃるであろう。
浄土真宗開祖・親鸞聖人の著書『教行信証』の「行巻」末尾に所収されている、仏や菩薩の教えや徳をたたえるのに韻文の形式で述べた偈文であり、略して「正信偈」の名でひろく親しまれ、後の世の私たちに伝え示してくださった仏の功徳をほめたたえる詩――偈である。
この世に生きるひとたちは、何かしらの信心、なにかを信じて生きている。
だがしかし、はたして本当に裏切らないものを信じて生きているのだろうか。
生きるとは信じること。なぜなら、わたしたちは信じていたものに裏切られたときに苦悩する。世の全てはみな、未来永劫続かない。やがて滅びゆく。
正しい信心とはどういうことなのか、親鸞聖人が親しみやすい歌にしてまとめたものが、『正信念仏偈』である。
間違えてはいけないのは、正信偈は「お経ではない」ということ。
お経はお釈迦様のお言葉を書き残されたものであり、正信偈は親鸞聖人が書かれたものなので、お経とはちがうのである。
わたしが初めて正信偈を読んだのは、小学四年の夏だった。祖父から、読み方や「これはお経じゃないから」と教わったのである。もともと寺の子だった祖父は、朝昼晩と仏前で経をあげ、ときに写経をするような人だった。祖父と父とわたし、仏前に並び、一緒によく読み上げたものである。
一行七文字、百二十行。八百四十字。
ゆっくり読み上げ、二十分ほどで読み終わる。ふり仮名も節もついているし、読めなくはない。だけれども、書かれてあるものがどういう意味かは、文字面だけ眺めていてもわからなかった。意味を知ろうと思ったのは、それから随分あとになってから。
親鸞聖人の書かれた正信偈の冒頭には、次のように書かれている。
帰命無量寿如来
南無不可思議光
無量寿如来と不可思議光(如来)は阿弥陀仏の別名である。多くの徳を積んでおられるので、呼び名をたくさんお持ちなのである。
阿弥陀仏は大宇宙におられるすべての仏の先生で、仏となられたお釈迦さまにとっても、阿弥陀さまは先生なのである。
帰命は中国の、南無はインドの古い言葉で、どちらも同じ。自己中心的な生き方をしていた自分が阿弥陀如来の本願を聞き、うなずかされ、真実なる生命の声にうながされて初めて阿弥陀如来に全面的に頭が下がる、ありがとうございます救われました、と感謝するというような意味だという。
つまり、「親鸞聖人は阿弥陀仏に救われたぞ」と二回おっしゃっているのだ。
なぜ二回なのか?
もちろん「大事なことなので二回言いました」だから。
喜びのあまり、親鸞聖人はくり返したのだ。特に大事なことを念のためにもう一度言うことはよくあるが、そんなときの本心としては、二回どころかそれ以上、何度もくり返したい気持ちにあふれているものである。
喜びの気持ちは、生きているいま感じているもの。仏教や念仏は、葬式やお盆など死んでからしか必要のないと多くの人が思っているかもしれないけれど、親鸞聖人が阿弥陀仏に救われた喜びは生きているときのもの。死んでから正信偈は書けないのだから。
シラクサの王より王冠に銀が混ぜられていないか壊さずに調べる依頼に悩んでいると入浴中に気づき喜びのあまり「ヘウレーカ!」と叫びながら裸のまま街を走り回ったアルキメデスのような、親鸞聖人の喜びようが思い浮かぶような書き出しではじまる。
書き出しは、どんな書物もまた大切だとおもわせる、そんな作品でもある。
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