三題噺

シャット

「終わったはずの恋、もういないはずの人」

「早朝」「レトロ」「人でなし」




 二十年ぶりに故郷を訪れた理由は、懐古趣味と呼ぶべきかもしれない。


 生まれ育った町を離れて自由に世界を旅したい。そんな夢に目を輝かせていた自分を、昨日のことのように思いだす。

 かろうじて一時間毎に電車が通ってこそいるが、都市圏からは程遠い、閉塞的な田舎の町だ。しがらみばかりが身を縛り、未来も希望もありはしない。旧弊が根深く退屈なこの町を、かつての自分は心底嫌っていて。


 それとは正反対な幼馴染の少女を、いつも不思議に思っていた気がする。


『私は神社の跡取りだから』と、彼女は常々口にしていた。自分がもしもその立場なら恨めしく思うだろう事実を、とても誇らしげに。無限の可能性が待つ未来を唯一に縛る血の因縁を、愛していたのだ。

 その一因は、母親にあったと思う。性格も容姿も、極めて似た親子だった。いつの日だったか見せてもらった、彼女の母の学生時代の写真を覚えている。瓜二つだった母親のことを彼女は素朴に好んでいた。となれば自然と、家系を継ぐことにも好意的になるわけだ。


 どう考えてもまったく逆の価値観を持つ少女と家ぐるみの親交が続く幼馴染の間柄にあったことは、ある意味では自分にとって最も強い束縛かもしれなかった。


 故郷の町を嫌っていた。

 都会で自分を待つ輝かしい未来に焦がれた。

 人生を縛られる家業のない生まれが嬉しかった。

 停滞した田舎で一生を終えると思うと怖気がした。

 家を継いで最期までこの町で過ごすであろう幼馴染とは、真逆の将来を選ぶつもりでいた。


 何度考え直したとしても結論は変わらない。学業でも就職でも、なんでもいいから町を出る理由が欲しかった。ここではないどこかへ旅立てる日を、心底から望んでいたのに。


 それなのに。


 好きな女の子と一緒に生きられるとしたら故郷に縛られるのも悪くないのでは、なんて考えが脳裏をよぎってしまうのは、どうしようもなく避けがたい恋心の業だった。


 どういうわけか不思議なことに、自分とはまるで正反対で違う道を往く幼馴染に、好意を抱いてしまったのはいつだろう。


 とはいえ。

 そのすべては、生前の話だ。


 久々に訪れた故郷は、凛とした静寂に満ちていた。始発すらない早朝だからか、町にはひと気のかけらもない。都会の喧騒とは違う、どこまでも爽やかな朝である。

 忌み嫌っていた郷里とはいえ、懐かしいという感情を抱かないわけにはいかなかった。嫌々ながらも、人生の過半を暮らした町である。否が応でも思い出は生まれてしまうものらしい。


 幼少の頃、腕白に任せて駆け回っていた道を進む。足音がよく響く、子供心には楽しい遊び場だった。わざとらしくも運動靴で甲高い音を立てながら、幼馴染とはしゃいで走ったことを覚えている。

 ときどき聞こえる鳥のさえずりを除けば、町は奇妙なほどに静かだった。それを不思議に思うのは、かつての自分にはこれほど朝早くから出歩くことがなかったからだろうか。見たことのない角度から見る町のはずなのに、心のどこかが郷愁を訴えている。


 程なくして、目的地に辿り着いた。

 停止して見上げた先には、山の中へと分け入っていく、長い長い階段がある。


 百段以上もあるのではないかと疑わせるそれを登っていくことは、かつての自分にとってあまりに困難だった。通い慣れている幼馴染の軽々たる歩調に慄きながら、這々の体で足を踏み締めていたものだ。それが今は苦にならないことに、なんともいえない感慨を覚える。

 ゆっくりと、ゆっくりと。その先に待つものから、自分を焦らすように。ゆっくりと階段を、昇っていく。

 その終着点には、神社と墓地がある。


 階段をあがりきってから、あと少し掛かる。参道を進み、鳥居をくぐる。

 そのなかでふと、音がした。

 一定の間隔で繰り返す、聞いたことのある音。

 地面に落ちた木の葉を払う、箒が擦れる乾いた響き。

 釣られるように、移動を早めた。思わず幻覚を疑ったことを自覚する。誰もいないはずの早朝に聞こえる活動音が、自分だけのものかのような錯覚を抱いてしまう。妄想説を否定するために、境内に入って──。

 紅白の好対照に彩られた、巫女服がまず、目に入った。

 慣れた手つきで箒を遣う彼女の顔を、知っていた。

 かつて見たことのある光景と変わらなかった。

 遠いあの日と同じ光景が目の前にあった。

 二度と見ることはないと思っていた。

 死んで、終わりだと思っていた。

 彼女の瞳が、こちらを映す。

 束の間の困惑と、静止。

 理解と衝撃と当惑。

 どうしてここにいるのかわからない、と強く訴える表情だった。

 それも無理はないだろう。あれほど故郷を嫌っていた人間が戻ってくるはずはない、と考えていたと思う。自分でもそのつもりだった。

 それなのに、この場所を訪れた理由は──きっと、ただの懐古趣味なのだ。

 神社に縛られている彼女に会うことなんて、ないだろうと思っていたのに。まさかあの日の彼女と変わらない姿を見られるなんて、思いもしなかったのに。

 どこまでも予想外ではあるけれど、それでも再会は喜ばしい。

 自然と顔が綻ぶのを感じた。満面に笑って、片手を挙げて。幼馴染の彼女に呼び掛けようとして──。

 そこでふと、思いだす。


 今の自分の声は、誰にも届かないはずだった。


「……どうして、」


 今の自分はもう、生きた人間には関われないはずなのに。


「もう死んでいる、はずなのに──」

『……どうしてお前は、俺が見えるんだ?』

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