第26話 戦国の残影
蝦夷地の短い夏が終る頃、伊達光宗率いる五千の軍勢が函館を進発した。真田幸村の赤備え部隊・百と、シャクシャインを大将とするアイヌ兵・三百もこれに加わった。
冬が来る前に徳川の勢力を叩いておくという事なのだ。
伊達と真田の船を合わせると五千の兵を留萌まで運び、そこからチュプペトを目指すと言うルートもあるのだが、この度の行軍は蝦夷地の探査を兼ねている。
軍勢は太平洋岸を苫小牧までたどり、そこから内陸部に入って札幌に到着した。
札幌は旧・松前藩の交易場所があった所である。松前藩の圧制に苦しめられてきたアイヌたちは伊達軍の到着を心待ちにしていたのだ。
アイヌたちの歓迎を受けた伊達光宗は、アイヌの首長を陣内に呼び、札幌に交易の拠点を作ることを約束した。札幌の近くには小樽という良港があり、札幌に集められた物資を小樽港から帝国の各地へ送り出すことが出来るのである。
光宗の言う交易の拠点とは、言外に城や砦のような防衛施設を含んでいる。光宗はこの函館を蝦夷地の経済と政治、そして軍事の中心に置こうと考えたのだ。
アイヌたちは、人が集まる処には交易の利があることを知っていた。札幌に都市ができれば、生活も豊かになるのである。
アイヌは自然と共生して生きてきが、この時代には帝国の商品経済に飲み込まれようとしていた。中華という巨大文明の強烈な光が、アイヌたちのささやかな文化に降り注ぎつつあった。その光が強ければ強いほど、アイヌ文化の影は濃くなるのである。
「そういうことを考えると、なんか哀しいなりね。文明というものの恐ろしさを感じるなり。」
文明の功罪というやつだ。アイヌ独自の文化はこうして少しずつ姿を消していく。現代ではアイヌ語を話せる人もごくわずかだ。
「アイヌ語を復活させようと言う動きもあるみたいなりよ。」
うん、古い文化を掘り起こして見直そうという活動は貴重なものだ。そこには、私たちがどこから来たのかを探るヒントがあるんだよ。そして、私たちの歴史に照らして、現代を見直す視点を得ることができる。
「遠い記憶の中に、あたしたちが反省しなければならない多くの事が残されてるなりね。」
そうだ、現代のアイヌは和人と混血して文化のあり方も随分変わってしまった。それでもアイヌは生きているんだ。
「いつかは消滅してしまうんじゃないなりか?」
私は時々思うんだ。混血しようが文化的な変容を受けようが「私はアイヌである」と言う人が、たった一人でもいればアイヌは存在していることになるってね。それは日本人でも同じだ。日本という国が滅びたとしても、「私は日本人です」という者がいれば日本は存在したことになる。その最後の一人が白い肌をしていようが、黒い肌をしていようが関係ない。
「アイヌという概念、日本という概念が残るわけなりね。」
日本にしてもアイヌにしても、そこから人種や民族というドグマを外してみれば、最後には概念しか残らないのかも知れない。
「純粋な日本人は概念の中にしか存在しないなりね。」
そして概念の日本人は人種も民族も超越しているんだ。
伊達光宗は、函館において軍勢を再編成し、先遣部隊五百と、主力軍三千、後詰の千五百に分けた。真田幸村は百の兵から精鋭の三十騎を選び、シャクシャインは内陸の地理に詳しいアイヌ兵数人をと共に先遣部隊に加わった。先遣部隊を指揮するのは片倉小十郎である。
「伊達政宗に仕えた片倉小十郎景綱君のお孫さんなりね。片倉小十郎景長君なり!」
どうだ、この名を聞いただけで萌えるだろう。
「なんか力が入ってきたなり。真田幸村と片倉小十郎なりよ! 景長君のお父さん『鬼の小十郎重長』は、大坂の陣で討ち死にした真田信繁君の遺児を引き取ってるなり。徳川方の伊達からすれば、敵方の、それも徳川家康の首を狙った仇敵なりよ。その信繁君の子どもを、小十郎はかくまっているなり。そこにどんな男の友情があったかと思うと・・・ かぁー、身もだえするなり!」
はははは、歴女の血が燃えるんだな。
「当然なりよ。先代の小十郎君と真田信繁君の間には面識があったかどうかも怪しいのだ。それなのに遺児を引き取ったなりよ。小十郎君が真田の武勇に惚れ込んだとしか思えないなり。」
お互い戦国武将同士として、目くばせで分かり合えるような存在だったんだな。
「哀しいけど、こんな美しい話は無いなり!」
これを美しいと捉えるのが歴女さんなのだろうか。それにしても、真田幸村と片倉小十郎か、まるで戦国の残影を見ているようだ。
戸部典子はメイン・モニターを食い入る様に見ている。
メイン・モニターには黒い甲冑の片倉小十郎と赤備えの真田幸村が並んで馬に揺られている。
「真田殿、武勇はこの小十郎にも届いておりますぞ。クンヌイの戦いでの見事な働き、シャクシャイン殿からお聞きして胸を震わせ申した。」
「いや、あの戦も、この真田銃があってこそのものにございますよ。それにあわやとというところを鬼丸に助けられ申した。」
鬼丸は真田幸村の馬に寄り添うように歩いている。
「この犬が鬼丸にござるか?」
「子犬の頃から鍛錬した忍犬でござる。」
「天下第一の強者の傍らには鬼丸ありとは、なかなか愉快な・・・」
幸村は小十郎に親しみを覚えたようだ。お互い心が通じ合っているのだろう。
片倉小十郎は二十八歳の働き盛りである。この時十八歳の幸村の十歳年長にあたる。
先遣部隊は石狩川沿いの盆地を進んでいく。石狩川の上流にあるのがシャクシャインの言うチュペピトであり、そこは伊達にとっても真田にとっても未知の土地なのだ。
石狩川沿いの盆地ではアイヌたちが豊かに暮らしている。奥地に進むにつれ、アイヌたちの様子は商品経済の波打ち際から離れていく。素朴で優雅なアイヌたちの暮らしを目にした幸村は、村人から話を聞いては、筆を取り出して書き留めている。
「幸村君はやっぱり真田信繁君の孫なりね。好奇心が旺盛なり。」
旅は色々なことを教えてくれるものだ。
「フィールド・ワークなりね。」
実際に現地へ行って学ぶのがフィールド・ワークだ。本を読むだけが学問では無いと言うことだ。
やがて先遣部隊は山あいの道に足を踏み入れる。この山を越えればチュプペトなのである。
アイヌたちと動物だけが行き交う道である。小十郎は細い山道を、隊列を一列にして行軍させた。
幸村は空を見上げている。
空には真っすぐな航跡を描いて飛ぶ鳥があった。
「シーガルなり!」
戸部典子が叫んだ。
なに、自衛隊のドローンが、何でこんなところに!
田中隊長を呼んできて確認してくれ。
私はオペレーターに支持を与えた。
田中隊長は数分後には作戦本部へ入ってきて、メイン・モニターに映る機影を確認した。
「間違いありません。シーガルです。」
自衛隊が、碧海時空にシーガルを持ち込んだのか?
「分かりません。ただ、自衛隊は今、日本教徒に乗っ取られたようになっているんです。」
ならば自衛官の誰かが、シーガルを持ち出して日本教団とともにタイム・トラベルしたというのか。
「今の日本は組織のあちらこちらに穴が開いているような状態なんです。自衛隊だけじゃありません。財務省も経産省も文科省も、この国の官僚組織は伊波政権の玩具にされてしまってるんです。」
私は呆れてものが言えなかった。
だが、シーガルは伊達の軍勢がチュペピトを目指して行軍していることを日本教の奴らに伝えるはずだ。と、いうことは・・・
「幸村君と小十郎君が危ないなり!」
私たちがあの場所に居れば、幸村に警告してやることができるのだが、ここからではメイン・モニター越しに見守る事しかできない。
いや、この様子を撮影している人民解放軍がいるはずだ。李博士を通じて人民解放軍に連絡して幸村に危機を伝えるのだ。
私が李博士に連絡しようとした瞬間、赤備えに身を包んだ若侍が馬を降りて、幸村のもとに駆け付けたのだ。
「幸村様、我らの位置を敵に悟られましてございます。」
「佐助、まことか!」
「あかねちゃんなり。危ないからダメだと言ったのに、軍勢に加わっていたなりか。」
ろくな武装もしてないんだ。なんて無茶をするんだ。
しかし、佐助こと木場あかね隊員の報告を受けた幸村は、片倉小十郎にそのことを告げ、一旦退却することにしたのだった。
「あかねちゃん。おかげで助かったのだ。でも、こんな事は絶対やってはいけないのだ。」
そのとおりだ。だが、私もほっとした。
場所は山と山に囲まれた峡谷である。この山道では退却にも時間がかかる。
伊達の軍勢が反転しているところに、シュルシュルシュルという空を切る音がこだました。
それは恐ろしいスピードで伊達の軍勢を襲い、反転しつつある軍団の前方に飛び込んで爆発した。爆発は伊達兵を吹き飛ばし、死体となった足軽が地面に叩きつけられた。
「バズーカ砲なり!」
日本教団はバズーカ砲を碧海時空に持ち込んだのか。持ち込むだけならグレー・ゾーンだが、それを戦に使ったのだ。こんな事が国連に知れたら日本は大変なことになる。
そして、日本教団が持ち込んだのはバズーカ砲だけでは無かったのである。
山の中腹にある崖の上から、機関銃が火を噴いて伊達の軍勢を襲った。
ダダダダダダダダ、ダダダダダダダダ、
機関銃の音が峡谷に鳴り響き、伊達の軍勢は大混乱に見舞われた。銃撃を受けて、伊達の兵がバタバタと倒れていく。
「小十郎殿、退却はお任せ申したぞ。」
そう叫ぶやいなや、真田幸村は馬を飛び降りた。
「攻勢防御の陣じゃ! 盾を扱える者は、この幸村に従え!」
赤備え部隊の中から九人の大男たちが下馬した。
幸村は赤備え部隊が曳いてきた荷車から鋼鉄の盾を取り出したのだ。人がひとり隠れられるくらいの大きな盾だ。この盾を軽々と持ちあげた屈強な男たちは、幸村を先頭に陣形を保ったまま機関銃の掃射の前に飛び出したのである。
鋼鉄の盾が弾丸を跳ね返し、盾は弾丸の威力で悲鳴を上げている。凄まじい金属音が谷にこだました。
赤い軍団が弾丸の雨を物ともせずに。「おう!」「おう!」の唸るような掛け声とともに前進していくのだ。
その姿を、戸部典子は手に汗握って見つめている。
幸村が、機関銃の掃射の間隙を突いて真田銃を発射した。真田銃の弾丸は真っ直ぐに飛び、機関銃を持った男の眉間に命中した。
男の姿がゆっくりと傾き、そのまま崖から落下してくる。
崖から真っ逆さまに落下した男は、旧・日本軍の軍服を着ていた。
「やはり、日本教の奴らなり。もう許さないのだ!」
しかし、旧・日本軍の軍服とは悪質にも程がある。あれは侵略の象徴のようなものではないか。
幸村の狙撃に怯んだ日本教の攻撃に空白が生じた。
その空白を突いて、赤備え部隊が一斉に狙撃を始めたのだ。
ドン! ドン! ドン!
私はその光景がスロー・モーションのように見えた。
旧・日本軍の軍服を着た男たちがふとりふたりと崖から落ちてくるのだ。
一人目は頭から真っ逆さまに、二人目は途中の木の枝に引っ掛かり体を切り裂かれながら惨たらしく落ちていく。三人目は憶えていない。私の脳が、その光景を記憶することを拒否しているかのようだった。
それは日本教徒の死体である。私たちと同じ現代人のむくろだ。
日本教徒たちは岩陰に隠れて、めくらめっほう機関銃を乱射し始めた。銃弾は空しく空に放たれ、轟音だけが鳴り響いた。
赤備え部隊の正確な射撃に恐怖したのだろう。完全に腰が引けているのが分かる。
実戦で鍛え抜かれた戦国の残影は、武器の差を埋めてなお戦う事を止めないのだ。その覚悟のまえでは、旧・日本軍の軍服など着ている日本教徒が子どもに見えた。お国のためなどとイキがってはいるが、命が惜しいのだろう。
「おまえらのようなアホには分からないなり。戦国武将は命は捨てるべき時に捨てると決めているなり!」
戸部典子は怒りを込めて叫んだ。
「当たらぬぞ、よう狙え! 真田幸村はここじゃぞ!」
幸村は盾を振り上げて叫びながら、日本軍を挑発している。
その隙に、伊達の軍勢が駆け足で退却を始めたのだ。
その姿を横目に見た幸村も、赤備え部隊に号令を発したのである。
「退けぇ!」
伊達の軍勢は山の麓まで退却し、小十郎は本隊に伝令を送った。
その夕刻、
片倉小十郎は幸村を迎え、その働きに礼を言った。
「幸村殿、此度はかたじけなかった。」
「小十郎殿、敵はあの連発銃を持ってござる。あれを封じる算段をいたしませぬとな。」
二人の武将の面持ちは暗かった。
「ずぇーたい、許せないなり! 真田幸村君と片倉小十郎君に機関銃を浴びせるなんて日本教は鬼畜なり。」
戸部典子は怒りのはけ口を私にぶつけている。
さっきからこの調子でうるさいのだ。
だが私は旧・日本軍の軍服が気になって仕方がなかった。あれを世界が見たら、日本人は気が狂ったか、再び世界を征服しようとしていると思われるに違いない。
ドイツではナチスの軍服を着て歩いただけで逮捕されるが、日本ではそういうことは無い。戦争に対する総括が、まだ日本人には出来ていないのだ。いや、あえてしてこなかったと言うべきか。
世界から見れば、これは恐るべきことなのだ。
私はこの映像を公開するかどうかを悩んだ。結論は事実は公開すべきだということだ。これで日本が世界中から叩かれることになっても、それによって国益が損なわれようとも、長い目で見ればそれは日本と世界のためになるのだ。
私がそういうと、戸部典子も大きくうなずいた。
「それが本当の愛国なり。」
時空監視装置を調整していたキム博士が私たちを振り返った。
「ニルヴァーナ、本日、
「今からすぐに碧海時空に行くなり!」
戸部典子の無茶な発言にオペレーターのひとりが答えた。
「まだ無理です。ニルヴァーナはムガンダ王国海軍に所属する艦です。日本の港に寄港するには、いろいろ手続きが煩雑でして。それもムガンダとけもの財団のコネで、一日で済ませます。一日だけ待ってください。」
私は驚いた。ニルヴァーナは軍艦に積んであるのか?
キム博士は頭を掻きながら、私の疑問に答えた。
「まあ、積んであると言えばそうなんですが、まあ、見てのお楽しみにしましょう。」
相変らずスカした感じは気に食わんが、いったいニルヴァーナとは何なんだ。
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