第23話 放蕩息子の帰還
「中川、チョコチップ・クッキーを買ってきて欲しいなり。」
「中川、千成餅食堂に電話して、きつねうどんの出前を取って欲しいなり。」
「中川、映画の席を予約して欲しいなり。」
おまえ、中川氏をそんな雑用に使うんじゃない。
「仕方がないのだ。国際救助隊の災害出動も落ち着いたなり。中川が暇だから雑用でも何でも申し付けて下さいって言ったなり。他に仕事が無いから、あたしが仕事を作っているのだ。」
仕事を作るにしても、これでは単なる雑用係じゃないか。
「他にどんな仕事があるなりか?」
中川氏は岩見獣太郎氏の家宰だったんだぞ。おそらく岩見家の財産管理や経理処理もやっていたはずだ。そういう仕事を任せたほうがいいぞ。
「そうなりね。先生、いいことを教えてもらったなり。」
戸部典子は中川氏にけもの財団の資産管理と経理の仕事を任せたようだ。
中川氏は小天守に個室を与えられた。七十に手が届こうとする老人にしてはパソコンの操作も手慣れたものだ。
岩見家の財産を管理してきた中川氏は各銀行の頭取クラスや政財界への人脈もあるようだ。雑用係にしておくのはもったいない。
数日後、中川氏は戸部典子のクレジット・カードを手配して持ってきた。
「ブラック・カードなり。初めて見たなり!」
「お嬢様、こちらはVIZAのブラック・カード、こちらはJBBのブラック・カードに御座います。どちらも利用可能額は無制限となっております。」
「無制限なりか!」
戸部典子が目はとまどいの色である。
「はい、必要な物の購入や交際費はカードでお支払い下さい。」
戸部典子はじっとカードを見つめた後、思いついたように言った。
「先生、天下統一ラーメンをおごるなり。」
おまえ、ラーメン代を財団のカードで払うつもりか?
これはさすがに、中川氏がたしなめた。
「お嬢様、いちおう財団の経費ですから交際費の支払いや、先生との会食なら会議費ということにできます。しかし、ラーメンとなると千数百円です。これでは財団の交際費として計上しづろうございます。」
「チャーシューとビールをつけてもダメなりか?」
「お嬢様は財団の総帥にございます。もう少し高級なお店を使われてはいかがかと存じます。」
わはは、戸部典子の貧乏性が炸裂だ。限度額は無制限だが下限があるということだ。
中川氏は私と戸部典子のために上賀茂茶寮を予約してくれた。
私たちは上賀茂茶寮の座敷に居る。座敷から見える庭は紅葉の真っ盛りであり、ガラス戸越しに紅葉の庭を楽しもことができた。もう十二月になろうとする京都では、紅葉も見納めになる。
上賀茂茶寮の懐石料理はどれも見事なものだった。さすが高級店は違う。
戸部典子は「いちげんさんお断り」の料理旅館「広沢亭」の娘である。懐石料理には少々うるさい。女将さんが料理を運んでくるたびに、調理方法や食材について尋ねてはうなずいた。
美味しい料理を食べながら会議だ。カードで支払われる食事代は会議費として計上されるのだ。
「真田幸村君が真田湊に帰るみたいなりね。」
碧海時空はアイヌの反乱の翌年の夏になってるからな。反乱の後始末も一段落したところで、真田幸昌が呼び戻したみたいだな。
「幸村君は嫌がってたみたいなりね。」
船の上や、馬の上が性に合っているんだろう。放蕩息子のご帰還だな。
「そういうところは真田信繁君譲りなりね。」
そうだな。ところで、例のタイムマシンはどうなってるんだ?
「ニルヴァーナはインドのカルカッタ港に入港したなりよ。ダルメダル博士が新しいプログラムを思いついて書き換えることになったのだ。」
ほう、キム博士が全く新しい時空移転システムだと言ってたからな。だがプログラムを修正しているという事は年内の日本到着は無理かもしれないな。
「幸村君も十八になってるなりね。早く幸村君に会いたいなり。」
真田幸村、私も会ってみたいものだ。
* * * * *
「幸村、待ちかねたぞ。」
真田幸昌は眼下に広がる日本海を見下ろしながら言った。
場所は真田城の天守閣である。この日は晴天であり、日本海の遠くに霞がかった日本列島を対岸に見晴らすことができた。
幸村は天守閣の真ん中に胡坐をかいて座っている。
「父上、蝦夷地の始末に手間取りましてのう。あれこれ忙しくしております間に夏になってしまい申した。」
「言い訳はよい。どうせ暴れまわっておったのであろう。話したい大事があるのじゃ。」
「大事とは?」
「三河屋光三郎を、そちも知っておろう。」
「松前藩に傭兵を送り込んだ商人でござるな。」
「それよ、その光三郎の正体を佐助と才蔵がつかんで来たのよ。驚くな、幸村。三河屋の正体は徳川じゃ。」
これには、さすがの幸村も驚いたようだ。
「徳川でどざりますか!」
「そうじゃ、真田とは因縁浅からぬ徳川じゃ。わしのじいさまは関ヶ原の戦の折、徳川家康の軍に合流すべく中山道を進んでおった徳川信直の兵を足止めして関ヶ原に間に合わぬようにした。徳川の敗因のひとつがこれじゃ。」
「我が曽祖父、昌幸公でござるな。関ヶ原の手柄で信州の真田家は領地を安堵されたと幼少のみぎりに教えられました。」
「石高五万石にも満たぬ田舎大名じゃが、真田本家が未だ健在なのは幸昌公の働きによるものじゃ。」
「確か、現在の当主は真田信政様でございましたな。」
「本家とは違う道を歩いたわしじゃが、徳川からしてみれば真田は真田じゃ。」
「我らは仇ということに御座いますな。」
「その徳川が、お家の再興を企てておるとしたらどうじゃ。」
幸村はしばらく思案を巡らした。帝国はもはや新規に封建領主を認めない。だが、蝦夷地にあって属国となるなら、それは帝国にとっても都合の良い存在となる。
「分かったであろう、幸村。ただ帝国は力のない属国は認めぬ。北の防波堤にもならぬようなひ弱な属国など無用じゃ。満州王国の愛新覚羅のように体を張ってロシアの侵入を食い止める気概を持った国でのうては、北は任せられぬと思うておる。」
「蝦夷地には征夷大将軍・伊達光宗様がおわしますぞ。」
「伊達が奥州の領地を返上して蝦夷地へ移るというなら別じゃ。だが、光宗公とて先祖伝来の領地を手放すわけにいかん。帝国の方針は中央集権じゃ。大名など潰してしまうに越したことはない。」
「父上は、伊達と徳川が争うて、徳川が勝てば蝦夷地は徳川の国になるとお考えか?」
「そこよ、上海の幸信にも探らせておるのじゃが、皇帝は満州王国の独立お決めになったお方じゃ、どのような判断をされるかは皇帝の胸先三寸なのじゃよ。」
「ありえますな。」
「幸村、呼び戻した尻から申し訳ないが、蝦夷地に戻って伊達殿に会うて欲しい。そのうえで徳川の出方を探って欲しいのじゃ。」
「伊達殿は蝦夷地の北辺まで詳しく調べるための探査をされるような事を言うてござりましたぞ。」
「蝦夷地は広い。儂らは海岸部の事は承知しておるが、内陸部は未知の土地じゃ。何が出てくるやら分からぬぞ。伊達殿にも重ね重ね警戒を怠られぬようにと申してくれ。」
幸村の顔が晴れやかになった。
「では父上、さっそく蝦夷地に戻りまする。」
「待て、幸村。その前に母上に挨拶して行け。」
幸村は渋い顔をして、「承知つかまつった」と一言答えた。
「幸村、よう帰りましたな。この母も心待ちにしておりましたぞえ。」
幸村の母、ヨルムは華やかなチョゴリを身に着けて幸村を迎えた。
幸村は、朝鮮風の装飾を施された部屋の畳に座りながら、どこか居心地の悪そうな様子である。その幸村に母・ヨルムは速射砲のごとくしゃべり続けた。
「そなたが蝦夷地に興味を持っているのも母は承知じゃ。じゃが我らには大望があることを忘れてはならぬ。そなた、まさか王家の再興の事、忘れてはおらぬじゃろうな。」
王家の復興とは国を失った朝鮮王朝のことである。
「我が祖父、チェ・ミョンギル殿は苦節六十年の長きにわたって王様に仕えられておる。その目的は王家の再興じゃ。幸昌殿は王家など眼中にないご様子じゃが、幸村、そなたはチェ・ミョンギル殿の血を引いておる。王家の再興は我らの悲願じゃ。」
「幸村君はお母さんが苦手のようなりね。」
幸村にしてみれば、朝鮮王朝の再興が不可能に近いことは分かっている。何しろ山丹から蝦夷地まで股にかけて見聞を広めれば、北の大地がどれほど広大か思い知る。そこでは朝鮮王朝など小さい。真田も伊達も、日本ですら小さい。
「そのことを、いちばん分かってるのが幸村君なりね。」
それでも母の願いは幸村の胸に届いているはずだ。無下にするわけにもいかない。
「難しいなりね。母と子は。」
母のもとに一日逗留した幸村は翌日、母の命によって朝鮮王の宮廷に参内した。
宮廷とはいえ、朝鮮王のそれは粗末なものであった。国も領地も持たず、真田の庇護のもと、かろうじて命脈を保つ王家のやるせなさが、そこにはあった。
幸村の訪問を朝鮮王・孝宗は歓迎した。
「幸村よ、よう来た。予はうれしいぞ! 蝦夷地での鬼神に勝る働きは聞いておるぞ。幸村よ、聞かせてくれ、そなたの武勇談を・・・」
王の左右に控える老臣、チェ・ミョンギルとキム・サンホンも幸村に武勇談を語ることを請うた。二人とも
孝宗は王家再興の日のために、常日頃から武術の鍛錬に明け暮れ武勇を磨いてきたのだが、宮廷から外に出ることもままならず鬱屈した日々を送ってきたのだ。老臣たちは幸村の武勇談がせめてもの王の慰めになるのではないかと思った。
「孝宗ですか。」
おお、びっくりしたキム博士か。
「朝鮮王には珍しい武闘派の王様ですね。孝宗のお父さんんの仁祖が清のホンタイジに屈服して、その恥を雪ぐべく清を討伐するために軍備を増強した王様ですよ。」
ところが、その武勇を清に期待されて、南下するロシアと戦う清の軍隊に参戦することになる王様だな。
「朝鮮の王様は文人肌が多いですが、孝宗が武闘派なのは時代のせいですかね。」
改変前の中国の歴史では、この時代、明王朝が亡び満州族の清が征服王朝を建てる。そして満州と中国の間に存在していた朝鮮は、巨大な勢力の勃興と滅亡の余波を受けて、嵐の中を漂う小舟の如きであったのだ。。
この動乱の時代を生きるはずだった朝鮮王は、碧海時空において無力な存在でしかなかったが、王という権威は時として大義を担保する旗印にもなる。
「奇貨居くべし」
真田幸昌の狙いはそこにあるのだ。
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