第20話 大阪をゆく
タイム・マシンで十七世紀がら現代に戻った私たちを迎えたのは李博士だった。
「お久しぶりですわね、先生、典子ちゃん。」
李博士は白いスーツに薄いピンクのブラウスを着ている。いつも黒いスーツの戸部典子にばかり見ているせいか、李博士が実に華やかに見えてしまう。
その日はもう時間が遅かったので、上海の高級ホテルに宿泊した。中国政府のおごりである。中国政府は歴史改変をめぐって世界情勢が変化する中、もう一度私たちを引き戻そうという思惑があるようだ。
だが、お堅い中国政府の接待なんてまっぴらだ。
翌日、私と戸部典子は李博士の案内で上海の観光に繰り出した。上海を離れてから、もう二年になろうとしている。この街は二年も経てば変わる。
李博士は新しくできたショッピングセンターや娯楽施設に私たちを案内してくれた。私たちは上海の発展ぶりに目を見張った。
上海はものすごい速度で成長する経済の街だ。人口は既に二千万人を突破しており東京の二倍に迫ろうとしている。文字通り雨後の竹の子のように次々に高層ビルが建築され、街は拡大を続けていた。ショーウインドウの商品を見ても、どんどん洗練されて豊かになっている。街を歩く人々の姿にも活気がある。
夕食は高級中華料理だ。ここは中国政府のゴチになろう。上海蟹にフカヒレのスープ、どれも美味しい。
「今回も大成功でしたわね、先生。」
いや、今度の作戦は戸部典子君が考えたものだ。私は彼女に引っ張りまわされただけだ。
戸部典子が上海蟹を食べて無言になっている間が、李博士と二人で会話できるチャンスなのだ。
私は、戸部典子と伊達光宗の救援策を探して京都の街をほっつき歩いた経緯を面白おかしく話した。
アーモスト大学の礼拝堂で神の啓示を受けたくだりで、李博士が顔を輝かせた。
「わたし、若い頃、アーモスト大学に留学しておりましたのよ。」
へー、そうですか。それなら京都は私より詳しいかも知れませんな。
「京都は懐かしい街ですわ。あれはわたしの人生にとって夏休みのような時間だったんだと思いますわ。中国では勉強ばかりで大変だったけど、京都では友達を作ったり、遊んだりでしたわ。」
日本の大学は驚くほど勉強しませんからな。その代わり、レベルの高い学生との交流は様々な知識を広げてくれます。どこで役に立つのかも分からない一見無駄とも思える知識を身に着けるのも大学の良さです。
「だから、日本の大学は私にとって夏休みだったのですわ。」
李博士は口に手を当てて笑い、私も笑った。
戸部典子が上海蟹を食べ終わり、私たちの話に入って来た。これで李博士との楽しいおしゃべりは終わりだ。
上海蟹、もう一つ頼もうか?
* * * * *
上海空港発の早朝便で、昼前に関西国際空港に到着した。地震で潰れた滑走路が無残な姿をさらしたままだった。
まほろば作戦も一段落したことだし、ここは大阪の鶴橋で焼き肉を食べるのだ。
南海電車で難波の駅に到着した時、私は大阪の街に活気がないことに気付いた。上海と比べてではない。大阪に来たのは二年ぶりだが、ここは私が知っている大阪とは違うような気がした。
「大阪の景気は日本でも最悪なり。スラムがどんどん広がってるのだ。二年前に大阪改進党という地方政党が『大阪補完計画』を掲げて躍進したなり。今では知事も市長も大阪改進党なり。大阪補完計画は失敗だったなりよ。失敗というよりも、大阪補完計画は一部の企業や金持ちを儲けさせただけなり。」
そうだったな。大阪補完計画は大阪が積み上げてきた歴史を完全に無視していたからな。
「大阪の歴史なりか?」
大阪はつい数十年前までは日本第二の都市だった。経済においては東京以上だったんだ。
これは豊臣秀吉が大坂城を築いたことに始まる。秀吉は日本中の富を大坂に集めた。
徳川政権も秀吉が作った経済システムを踏襲した。例えば米だ。全国の米は大坂に集まるんだ。大名たちは堂島に米蔵を持ち、ここで商人たちに米を売って代わりに様々な物資を買い入れたんだ。
「天下の台所なりね。」
そう大坂は商人の街だった。商人特有の文化もここに花開いたのだ。
「人形浄瑠璃は大坂の文化なりね。」
浄瑠璃本というシナリオ集のような本がベスト・セラーだった。これが文字のテキストにもなっていたんだ。浄瑠璃本で商人たちは文字に親しんだ。
「石田梅岩の心学も、商人たちに広く支持されたなりね。」
石田梅岩は京都の人だが、彼が開いた石門心学は大坂の商人たちの思想的背景となった。商人の身分は低かったが、商業は大切な仕事であり、人間であることは武士も商人も変わらないと説いた。
「商売の倫理についても梅岩は言ってるなりね。」
自分だけが儲かるような商売を厳しく戒めている。商売はともすれば自己中心的になりがちだが、ここに倫理というものがなければ拝金主義に陥ってしまう。
荷物をコイン・ロッカーに預けて、私たちは街へ出た。
御堂筋の一角に行列が出来ている。大阪にも元気が残ってるんだなと思ったら、違った。
「あれはハロー・ワークの行列なりよ。」
失業率も最悪というわけか。
「ハロー・ワークには非正規の雇用しかないのに、みんな藁にもすがる思いなりよ。日本政府は非正規雇用という言葉も使わなくなったなり。」
それなら、何て言うんだ。
「フリーの労働者なりよ。」
全く、すべてが狂っている。
私たちは難波の街を歩いた。中国や韓国からの観光客の姿も少なくなっているが分かった。
「ちょっと前までは、ここで中国人観光客が爆買いしてたなり。でも、この数年で日本で買える商品のほとんどは中国でも買えるようになってきたなり。」
いずれそうなる事は分かり切ったことだったんだ。これが江戸時代の大坂商人なら次の手を考えていたはずだ。いまの大坂にはそういう想像力すら無い。
私たちは千日前のアーケードを歩いている。路上にはゴミが捨てられ散乱している。
「これが『大阪グランド風月』なりよ。」
お笑いの殿堂か。しかし、お客が入っているようには見えないな。
「こんな程度の低いお笑いなんか、もう誰も観ないなり。」
私もテレビで観たことがあるが、笑えないというよりは腹立たしかった。弱い者を虐めて、笑いをとるような芸人ばかりなのだ。
「これが批判精神を失ったお笑いの末路なりよ。」
戸部典子は寂し気に言った。
大阪の芸人たちの元締めである悪元興行は伊波政権にべったりである。伊波首相はことあるごとに悪元の芸人たちを呼び、プロパガンダに使った。低劣なお笑い芸人と戯れる伊波首相姿はこの国の酷い政治をカムフラージュするためのものだった。逆に政権を批判する芸人はテレビから消えて行った。
お笑いというものは庶民の物である。政治に対して庶民が抱くフラストレーションを笑いという形で表現するのがお笑いの源流だ。批判精神なきお笑いは無残である。
「藤山寛美先生がいた頃の大阪が懐かしいなり!」
おまえ、その若さで藤山寛美を知ってるのか。
「お父さんが撮影所で大部屋俳優をしてたから、子どもの頃DVDで見せられたなりよ。」
わはは、それはいいな。おまえが何となく昭和なのはそのせいか。
飛行機の狭いシートに四時間座りぱなしだったんだ、ここは運動と腹ごなしを兼ねて鶴橋まで歩こう。
私たちは道頓堀川を遡るように歩いた。繁華街を離れると、屋根にブールー・シートわ被せた家屋がいくつも見えた。この間の地震の被害にあった建物のようだが、復興の槌音は聞こえてこない。
ひと昔前、この川はどぶ川のようだった。十年前の大阪浄化作戦によってようやくきれいになったが、清流と呼ぶには程遠い。,
そんな川で、十数人が水浴びをしているのだ。季節は秋である。水は冷たいだろう。
「あれも大阪補完計画の結果なり、府と市の水道事業を統合した後、大阪の水道は外国の水道会社に売却されたなり。水道料金は十倍に跳ね上がったのだ。大阪ではお風呂は贅沢なりよ。」
これが、大阪か! これが日本か!
「これが未来の日本の姿なり。」
私は愕然とした。この辺りもスラム化が始まっているみたいだ。街が死に始めている。
スラムは貧しい移民と、移民たちに職を奪われた貧しい日本人が暮らす街だ。いや、移民が職を奪ったわけではない。企業が賃金を下げるために移民の受け入れを要望し、富裕層におもねる伊波政権がそれを実行したのだ。得をしたのは企業と、政治を支配する者たちだけだ。
大阪の街はその犠牲なって死のうとしている。
上町台地の坂を上りきると、鶴橋の街が見えてきた。
焼肉だ。
私と戸部典子は坂を下りながら焼肉の街を目指した。
鶴橋はコリア・タウンである。
数年前、私と戸部典子はここでヘイト・デモに遭遇した。あれは非道いものだった。
「今はヘイトどころじやないなりよ。コリア・タウンが日本教徒に襲撃される事件が頻発してるなり。鶴橋の住人は自警団を作って防戦してるなり。」
さすがに、ここまで来ると暗澹たる思いになる。
しかしだ、焼肉は旨い、ホルモンも最高だ!
焼肉とホルモンでお腹がいっぱいになった。ちゃんと野菜も食べた。
満足した戸部典子は腹をさすりながら、私に質問をした。
「大阪がここまでスラム化したのは移民法が出来てからなり。けど、その前から大阪は衰退してたなり。いちばん問題なのは日本改進党みたいなインチキ政党に政権を取らせた民度の低さなのだ。」
民度が低いか、京都人は大坂に対しては辛らつだな。
「大阪人は京都人を『腹黒い』なんて言ってるから、おあいこなのだ。」
民度が低いという言葉は正確さを欠くかもしれないが、大阪の公教育の学力が最低なのは確かだ。
私は、これは仮説だがと前置きして話を始めた。
大阪がまだ元気だった頃には、大企業の本社もたくさんあった。これが東京への一極集中で東京に移転してしまった。企業のトップというのは、いわばエリートだ。エリートの多くが知識階級だ。その知識階級が大阪から消えたんだ。
民度という観点からみると、知識階級はピラミッドの頂点なんだ。その頂点が無くなると、ピラミッドは頂点を低くして再構成されることになる。
「つまり、知識階級が大衆全体の知的レベルをけん引するなりか?」
あくまで仮説だ。逆に京都を例にとればよくわかる。
「京都は大学の街だから知識階級が多いなり。こういう街では教育レベルが高くなるのだ。文化的なものに対する関心も自然に高くなってしまうなり。」
それに、京都という街には独特のイメージがある。企業にしても京都にバリューがあるから本社を置いたままにしている。
「確かにそうなりね。ピラミッドの頂点の高さが、大衆の民度に大きな影響を与えているなりね。」
教育によって利益を得るのは個人だけではなく、共同体そのものだと言うことだ。勉強というものは単に自分のためにするものではなくて、共同体に貢献するものなのだ。
こういう仮説を披露するとエリート主義だと言われるから表立っては言わないが、当たらずとも遠からじだと思うぞ。
「高校時代、大阪の友達がいて、この娘がいつも言うなり。『典子は勉強かしこい』って。あたしは勉強はできるけど、勉強以外は賢くないという意味を言外に含んでいるのだ。すごく嫌みだったなり。」
なるほど、「勉強かしこい」か。
確かに、勉強以外に大切な事はたくさんある。勉強が出来なくても賢い人間はいる。
ただし、それで勉強をしなくてもいいという事にはならない。知識をないがしろにした頭の良さは、単に頭がいいだけだ。知識をもとに考えることをしなければ、それは知性とは呼べない。
「知性なりか?」
もう少し柔らかい言葉で言えば「教養」だ。
大阪にもかつては知性があり教養があった。大坂商人は石田梅岩の心学をはじめ様々な学問をし、浄瑠璃のような優れた文化を育てた。藤山寛美の松竹新喜劇だって大阪の偉大な大衆芸能だったはずだ。
大阪人はその文化的な歴史を抹殺し、知性を圧殺した。
「勉強かしこい」という言葉は、知性に対する冒とくであり、反知性の言葉なのだよ。
「そういえば、日本教も『知識よりも、日本人としての正しい心を持つことが大事』って説いてるなりね。そういう反知性が、この日本中に蔓延しつつあるなり。」
大衆は何も知らない方が、権力者は支配し易いんだ。だが、国民が知性を失う道は亡国の道でもある。日本教団のようなカルトが日本人の知性を破壊しようとしているのだ。
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