第19話 伊達政宗の遺産
伊達光宗はアイヌの反乱の鎮圧に関して帝国から報告を命じられていた。その際には松前高広が殺害された経緯も報告しなければならない。
松前高広が殺された事は、あくまで奥州探題たる伊達家の失態である。
真田湊の真田幸昌も長男・幸信に使いを送った。評議衆の一員である幸信の力で宮廷工作を行おうとしていたのだ。
真田幸信は評議衆を説得した。
伊達をここで潰すのは得策ではない。北方の守りとして伊達には奥州のみならず蝦夷地の管理も任せるべきではないかと論陣を張ったのだ。
この時代、シベリアからロシアのコサック兵が南下を繰り返しており、いずれ大勢力が北辺を襲う事態を幸信は懸念していたのである。帝国の兵は南方及び西方に偏っており、ロシアが攻めてきた場合、兵を移動させるには時を稼ぐ必要がある。つまり満州王国と奥州探題・伊達藩を北からの攻撃の緩衝地帯にする計画だったのだ。
幸信の理論には説得力があり、評議衆も幸信の意見に賛成であった。
ところがである。皇帝が幸信の策を退けてしまった。
評議衆筆頭・黄宗義は皇帝に何度も翻意を迫ったが、織田信光は頑として聞き入れなかった。信光は太祖・織田信長が示した方針に忠実であろうとしていたのだ。信長の方針は中央集権である。大名は帝国に必要ない。
伊達藩を潰してしまえば、奥州は帝国の直轄地になる。皇帝の判断基準は単純である。
皇帝が満州王国の独立を認めたのは、母からの頼みを聞き入れただけではない。万里の長城の外は化外の地であり、属国として冊封下に置いた方が統治が容易であると考えたからだ。これは中華文明の考え方であり、皇帝である織田信光も中華思想に従って考えるのである。
ところが織田家のルーツである日本列島には大名が残されている。これは帝国にとって気味の悪いものである。中華が封建制をとっていたのは周王朝の時代であり、秦の始皇帝が中央集権制を敷いて以来、中華の歴代王朝は封建領主を潰して直轄地支配を指向してきたのだ
織田信光が、封建領主をひとつでも潰しておきたいと考えたのも無理はない。
真田幸信の使者として佐助こと木場あかね隊員が真田湊へ向かい、父・幸昌に上海の動向を伝えた。
「弱ったのう、これでは伊達殿に面目が立たん。あれほど綿密な計画が蟻の一穴から崩れようとは、この幸昌も思い至らなんだ。」
庭に控えていた佐助が、幸昌に奇妙な情報を伝えた。
「殿、伊達光宗殿に客人があったようでございます。」
「客人とな?」
「戸部典乃介殿にござります。」
幸昌が色めき立った。
「戸部典乃介殿じゃと!」
台湾の役において、まだ少年だった幸昌は父・信繁に従っててゼーランデイア城攻略を見届けた。あの時、信繁にまとわりつくように馴れ馴れしい若侍がいた。不思議な妖術を使い、戦の趨勢を支配していた。父・真田信繁は戸部典乃介を神仏の化身と呼んでいた。
少年の日、幸昌は戸部典乃介が世界へ去るのを見届けた。あの時の寂寥は今も幸昌の記憶のなかにある。
「神仏の化身か・・・」
そう呟く幸昌に佐助が答えた。
「戸部典乃介殿は天下無双の軍師に御座います。」
「佐助、そなた戸部典乃介殿を見知っておるのか?」
「はい。素晴らしいお方にございます。」
その頃、その素晴らしいお方は、伊達水軍の旗艦「梵天丸」の甲板で踊っていた。
♪ なりなりね! なりなりよ! なりなりなりなりなりなりね!
アイヌのリズムに合わせて戸部典子が作曲した「なりなりソング」である。手足をカクカク動かしながら踊る戸部典乃介に、伊達の藩士も船頭も大笑いしている。
伊達政宗の遺産を手にしても、光宗の不安が完全に払拭されたわけではない。皇帝・織田信光の性格を分析すれば、おそらく皇帝を説得できるはずだと誰もが信じていが、「まさか」は何時いかなる時にも存在する。
戸部典乃介は光宗を勇気づけるために踊っているのかも知れない。
「もうすぐ上海なりよ。伊達殿、お覚悟はできましたなりか?」
「戸部殿、政宗公以来の伊達の大舞台じゃ、武者震いがしますわい。」
船が上海の港に入った。
皇帝への謁見は明後日である。
* * * * *
上海城の本丸には石造りの巨大な宮殿があった。ここが政庁であり、庭に面した広間では朝議が行われるのである。
皇帝は玉座に座り、評議衆や官僚たちは玉座を見上げながら立ったまま会議をするのだ。
その日の朝議ではアイヌの反乱が議題に上り、皇帝は静かに聞いている。
評議集が何事かを皇帝に言上する度に、信光は一言だけ答えた。
「デ・アルカ」と。
「本日、奥州探題・伊達光宗殿を朝議に呼んでおります。」
黄宗義が皇帝に言上した。
皇帝が伊達に処分を申し付ける腹であることは誰の目にも明らかだった。
真田幸信は苦し気な顔をしている。父・幸昌の遺志に反して、今、目の前で伊達に処分が下ろうとしているのだ。
「奥州探題。伊達光宗、皇帝陛下にお目通りせよ。」
お小姓衆の声を合図に、伊達光宗はそろりそろりと朝議の席に現れたのだ。
評議衆も官僚たちも、そして宮殿に控えるお小姓衆も息を飲んだ。
伊達光宗は死に装束である。しかも、背中に黄金の十字架を背負っているのだ。
「光宗君、見事に歌舞いたなりね。」
戸部典子が小声で呟いた。
私たちは伊達光宗の近習として宮殿の隅に控えていたのだ。
お前はアーモスト大学の礼拝堂で十字架にインスピレーションを受けたんだな。
「そうなりよ、神の思し召しなり。あそこで伊達政宗の金の十字架のエピソードが閃いたなり。」
まるで冗談のような話だ。
改変前の歴史では、小田原攻めに遅参した政宗が真っ白な死に装束で現れたことは有名なのだが、もう一つ似たような逸話がある。
政宗は、蒲生氏郷から一揆を扇動したことを疑われた。太閤秀吉は政宗と氏郷を上洛させ双方の申し開きを聞くことにした。この時、政宗は死に装束に黄金の十字架を背負って現れたのだ。
「秀吉は、あまりに見事な歌舞伎ぶりに政宗を許してしまったなりね。」
そして改変後の歴史では、伊達政宗が遅参した小田原攻めは織田信長の陣だった。この時、信長も政宗の度胸を買って大笑いしたのだ。
政宗は再び信長の逆鱗に触れた際の備えとして、この金の十字架を作らせていたんだ。
「結局、使うことは無くて、蔵にしまってたなりね。」
そこを見抜いたおまえは偉い!
伊達光宗は黄金の十字架を背負ったまま、恐懼して跪いた。
「陛下に申し上げます。奥州探題・伊達光宗、アイヌ討伐において失態をしでかしましてございます。この罪、万死に値します。いっそ、腹をかっさばいて陛下にお詫び申し上げる所存でございましたが、この咎人に切腹などという生易しい死は相応しくありませぬ。ここは陛下の御処分に委ねるため、死に装束にて参上つかまつりました。」
宮廷を沈黙が支配した。
そして、その沈黙を破ったのは皇帝・織田信光であった。
「わっはっはっは! 光宗、ようも歌舞いた。その黄金の十字架、朕は気に入ったぞ。その覚悟があれば、帝国の北の守りは万全じゃ。光宗、面をあげよ。」
光宗は顔を上げることなく、さらに平伏したのだ。
「恐れ入りてございます。」
光宗もなかなか見事なものだ。伊達政宗の小田原遅参のシーンを過不足なく再現しているのである。
皇帝・織田信光は信長の再来を自認している。
ここで伊達を処分してしまえば、信長に比べて器が小さいことを証明することになる。
大笑いして光宗を許すというパフォーマンスは、織田信光にとっても信長の再来を印象づける大舞台なのだ。
織田信長の名シーンを再現した皇帝は上機嫌である。
「うまくいったなりね。」
上々だ。
織田信光が玉座から立ち上がり、宮殿の奥へ消えて行った。
宰相・大河内信綱が皇帝の自室に呼ばれ、しばらくして出てきた。
信綱は皇帝の決定を伝えた。
「伊達光宗には奥州探題に加えて、征夷大将軍を申し付ける。」
これにより、蝦夷地の反乱及び北方の異民族の侵入に対しては伊達藩が対処することとなった。それは、蝦夷地における兵権を認められという事でもある。
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