第12話 辺境のまほろば

 シャクシャインも、この戦いに勝利し、蝦夷地に独立王国を築くなどとは考えていなかっただろう。松前藩の支配がこれ以上強くなれば、それはアイヌの存亡にかかわる。そして、各アイヌ部族の怒りを抑えることもできず、やむにやまれず立ち上がったに過ぎない。

 中央政府、この場合は帝国を意味するのだが、その帝国が乗り出してきた場合、国力と軍事力の差は如何ともし難い。


 蝦夷地だけでなく東北も長く日本の辺境に置かれていた。奈良・平安期には東北に蝦夷エミシと呼ばれる人々がいて、蝦夷エミシは朝廷にまつろわぬ者たちであった。

 東北、この時代は陸奥と呼ばれた広大な地域が和人たちの朝廷に意識されるのは東大寺の大仏の建立による。今では黒光りしたブロンズの大仏であるが、建立された当初は金色に輝いていたのだ。大仏に金色の輝きを与えたのが東北地方から産出された金なのである。

 和人たちは陸奥にさくと呼ばれる陣地を築き、徐々に蝦夷たちの土地を侵略し陸奥を支配下に置いて行った。東北は和人の植民地の如きものであり蝦夷エミシたちも和人と混血し同化されていった。

 七八九年、和人たちの侵略に対して蝦夷の棟梁アテルイとモレが立ち上がる。アテルイの兵は強く、和人たちの軍勢を打ち破った。和人たちの中央政府、すなわち朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍として蝦夷の討伐に向かわせたのだ。

 「シャクシャイン君の戦いはアテルイを想起させるなりね。東北と蝦夷地、蝦夷エミシとアイヌの違いはあっても、構造は和人たちの侵略にあらがう先住民の戦いという点で変わらないなり。」

 ここで「和人」という言葉をあえて使っているのもそのためだ。和人とは朝廷の支配下にある人々という意味で使っている。

 奈良・平安期において、東北も北海道も和人たちの朝廷からすれば辺境に過ぎない。辺境は未だ完全に朝廷の支配を受けていない。日本列島は和人だけのものではなかったのだ。

 和人の大勢力の前にアテルイは降伏し、坂上田村麻呂はアテルイとモレを同行して京の都に凱旋した。戦いを通じてアテルイやモレに心を通わせた田村麻呂は、朝廷に取り成しをし彼らの命だけは助けるつもりだった。だが、蝦夷エミシの勇猛を恐れた朝廷は、彼らを処刑してしまった。

 「坂上田村麻呂はアテルイとモレの墓を作って菩提を弔っているなりね。静かな男の友情を感じるなり。あたしは清水寺に行った時は、必ずアテルイとモレのお墓にお参りするのだ。」

 正確には墓ではない。京都の清水寺にはアテルイとモレの碑があるのだ。


 「平安時代の後期には『前九年の役』と『後三年の役』があるなりね。」

 前九年の役は陸奥に半独立的な勢力を確立していた安倍氏を、源頼義が討伐した長期にわたる戦いである。安倍氏は蝦夷エミシの豪族だったのだ。

 安倍氏は源氏に敗北するのだが、この戦いで安倍氏に味方した藤原経清の子・清衡が後三年の役の主役となる。清衡の母は安倍氏の出であるから、彼には蝦夷エミシの血が流れていた。藤原清衡は、なんと頼義の子・源義家と協力し、豪族の清原氏を倒して平泉に藤原三代の栄華を築くことになるのだ。

 「八幡太郎義家なりね。親同士は戦っても、子どもの代には共同戦線なり。源氏と藤原の不思議な縁なのだ。」

 不思議な縁はこれで終わらない。奥州藤原氏を滅ぼしたのは、源義家の子孫である源頼朝なのだ。

 藤原三代が居を構えた平泉は、この時代では京の都に次ぐ大都市に発展した。中尊寺の華麗な伽藍をみても分かるように最先端の文化を誇る街であったのだ。

 頼朝にはこれが羨望の的だった。彼の築いた鎌倉も中世の都市としては発展したが平泉に及ぶべくもない。

 「平泉には大学の時に旅行したことがあるのだ。今では中尊寺や毛越寺などの伽藍が田舎の風景の中にたたずんでいただけなり。藤原三代の栄華を想像することも出来なかったなりよ。」

 松尾芭蕉が平泉の地で詠んだ俳句を知っているか?

 「夏草や つわものどのが ゆめのあと なりね。」

 平泉は蝦夷たちの楽土だったと、そこに思いを馳せてみるのもいい。

 「つまり、『北のまほろば』だったなりね。」

 古事記に「やまとはくにのまほろば」とある。「まほろば」とは美しい処、良い場所という意味だ。楽土と言い換えてもいいかも知れない。

 「シャクシャイン君たちが『北のまほろば』を作り上げるのは難しいなりか?」

 うん、難しい問題だ。この場合、帝国がどう出るかだ。日本列島の中央政権なら絶許さないだろう。だが一縷の望みはある。中華帝国は既に巨大な版図を持ち、南や西との貿易の富を一手に集めている。従来の政策どおりなら北を無視する可能性も少なくない。

 望みがあったとしてもアイヌは少数民族だ。アイヌだけの力では及ばないだろう。

 「真田幸村君が八幡太郎の役割を果たしたらどうなりか?」

 真田か、アイヌとの交易が真田にとって大きな利をもたらすとしたら、ありえるかも知れんな。

 「つまり、上海の意向と真田の出方次第というわけなりね。『まほろば作戦』の目的は、日本教団の日本国復活の野望を退けて、アイヌたちの『まほろば』を守ることから名づけられたなり。」

 なるほど、これでようやく飲み込めた。


 北の辺境は歴史的風景の中でいつも哀しい。

 上代の和人にとって、北の辺境は植民地のようなものだったのだ。

 辺境は常に虐げられてきた。

 十数年前の東北の原発事故のとき、私はまた東北が犠牲になる歴史を目撃した。

 原発は首都圏に電力を送り続け、事故と共に東北に災厄をもたらした。

 中央の繁栄のためという大義の下、苦しめられるのはいつも辺境であり弱い民衆である。

 「あの原発事故を千年後の後世から見たら、そう見えるかも知れないなりね。」

 そうだ、歴史を学ぶとは未来からの眼差しを持つことでもある。


    *    *    *    *


 オペレーター、上海ラボの李博士を呼び出してくれ。


 サブ・モニターに李博士の姿が現れた。

 李博士、帝国の出方はどうなっていますか?

 「松前藩からの援軍要請は既に上海の朝廷に届いていますわ。評議衆がこの要請を検討しているところです。」

 評議衆か。合議制では決定に時間がかかる。今しばらく時が稼げるということか。

 「いえ、評議衆には幸村のお兄さん、真田幸信がおりますわ。評議衆で真田幸信は北方担当大臣という役割ですのよ。」

 真田幸信が松前藩の要請を握りつぶしているのか?

 李博士の説明では幸信は評議衆に対してこう言っているという。

 「たいした事ではござらぬな。松前殿も民衆の反乱程度で帝国に援軍とはあきれたものじゃ。それよりも、この程度の大名が特許状など振りかざしておることの方が問題ではござらぬか。同じく特許状を持つインドの明智殿やシンガポールの浅井殿がこのような失態をおかしたことがあったでござろうか?」

 評議衆は幸信の言葉に全員うなづいてしまったのだ。

 「北のことは真田に訊け」

 これが評議衆の一致した見解であった。


 だが、三河屋光三郎が上海に乗り込んでいたのである。三河屋は帝国の官僚たちを買収し、幸信が握りつぶしてしまった援軍要請を直接、皇帝・織田信光、もしくは宰相・大河内信綱に届けようとしていたのだ。だが、官僚たちの上申書は必ず評議衆で止まってしまう。

 皇帝への直接ルートを開くには大大名の力が必要である。島津・毛利・長曾我部・上杉・伊達の五家である。南蛮貿易で巨万の富を持つ島津・薩摩には買収工作は効かない。謙信公以来の武門の家である上杉は商人風情の甘言に乗らない。伊達はこの一件の当事者でもある。ならば長曾我部か。


 長曾我部元光は、土佐藩の貿易政策を見直すために上海を拠点としていた。

 元光は長曾我部元親のひ孫にあたる。島津・毛利が南蛮貿易で確固たる地位を築いているのに比べ長曾我部は鳴かず飛ばずである。そのことに忸怩たる思いがあった元光は、三河屋の言葉に耳を傾けた。

 「お殿様、もし松前に御助力いただけたならば、松前公は長曾我部家に忠誠をお誓いめさるでありましょう。さすれば、北の交易が生み出す富はお殿様の物にございます。」

 蝦夷地から土佐までは太平洋岸を船で行けばひと月もかからない。元光の頭の中には、北からの珍品で溢れる土佐の高知の情景がよぎっただろう。


 三河屋の実態は徳川である。調略と陰謀はお家芸なのだ。

 三河屋光三郎を名乗るのは徳川家光。家光は北の大地における徳川家の復興を企図している。この計画は日本教団の日本復活計画と表裏一体なのだろう。

 そのためには松前藩であろうと土佐藩であろうと、利用できるものは何でも利用しようという腹だ。



 「真田殿、大変なことになり申したぞ。」

 評議衆の控えの間で、机に向かって書き物をしていた真田幸信の元に、評議衆筆頭である黄宗義がやって来た。

 黄宗義。改変前の歴史では、清王朝の支配に抵抗し明王朝反攻ため長崎までやってきて徳川幕府に援軍を要請した「考証学の祖」とされる学者である。

 碧海時空では、彼が生まれた頃には信長の帝国、ハイ王朝の世となっており、学問に優れた彼は科挙を最高の成績で突破し帝国に仕えていた。幼少期、織田信光が黄宗義から学問の手ほどきを受けたことから「帝国の師」と称えられる賢人である。


 椅子から立ち上がった真田幸信は、黄宗義に拱手の礼をした。

 「どうなさいました、黄宗義殿。」

 「例の北の反乱の事じゃよ。なんでも松前殿の名代と称する三河屋なる商人が陛下に直訴するとのことじゃ。」

 「して、口利きはどなた様でござるか。」

 「長曾我部殿じゃよ。」

 「ほう、」

 幸信はそう言ってしばらく思案を巡らした。彼の頭脳が大方の事情を掴んだようだ。実に頭のいい男だ。これだけで、三河屋と長曾我部の思惑を察したようだ。

 「長曾我部殿にも困ったものじゃ。この帝国には秩序というものがござろう。それをないがしろにして商人風情を陛下に取り次ぐなどありえん。」

 「黄殿、ここには北の交易の利が絡んでおります。そろそろ北にも新しい秩序が必要になったという事でござろう。」

 「北の秩序か。蝦夷地は化外けがいの地であったと思うておったが、時代が変わったということじゃな。」


 黄宗義の言う時代が変わったとは綿織物の普及の事である。十七世紀初頭の帝国にはインドで生産される綿織物が輸入され、それまで麻の着物を着ていた庶民に広まったのだ。綿は麻に比べて柔らかく染色もし易い。庶民もファッションを楽しむ時代になったのだ。綿の需要はうなぎ上りに上昇し、大陸や半島、日本列島でも綿の栽培が始まったのだ。

 綿花の栽培は土地の養分を著しく奪ってしまう。綿花を収穫した土地は痩せてしまうのである。ここで登場したのが北で捕れるニシンである。ニシンを肥料として土地を肥やすのだ。これを金肥という。つまりはお金で買う肥料なのである。糞尿や堆肥などの肥料に比べて土地を蘇らせる効果が高いのだ。

 ニシンの需要が北の大地の供給を待っているのだ。


 「ニシンでござるか。その三河屋とやらもニシンの利に目がくらんでおるのでございましょう。ここは静観して、三河屋の出方を見るしかござらぬな。」

 真田幸信はあくまで冷静である。

 「しかし商人の分際で陛下に謁見とは由々しき事じゃ。何やら陰謀の匂いがしおるわい。」

 黄宗義はアイヌの反乱の背景にある経済の変動と、人々の間に蔓延しつつあった拝金主義に腐臭を嗅ぎ取っていた。


 

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