第9話 シャクシャインの戦い
クンヌイ平原においてアイヌ勢と松前勢が激突した。
三月の蝦夷地である。平原は未だ雪で覆われており、両軍とも雪の上に布陣している。
戦いは、数で勝るアイヌ勢が一斉に矢を射かけたのを合図に始まった。アイヌ勢が空に向けて放った矢は放物線を描いて松前勢の頭上に雨あられと降り注いだ。
松前勢は盾で矢を防いだのだが、これだけの数をおいそれと防ぎきれるものではない。頭を射抜かれた侍がもんどりうって雪の上に倒れ、足をやられた者が白銀の上を転げまわっている。
松前勢は体制を立て直し、鉄砲の射撃を開始した。凍てついた空気を鉄砲の轟音がつんざいた。鉄砲の弾を受けたアイヌ勢が打ち倒されていく。
「松前勢の鉄砲は旧式の諸葛銃なり。数で押せば勝てるなり!」
松前藩は貧乏藩だからな。最新式の鉄砲は持っていなようだ。これなら十分にアイヌ勢に勝ち目がある。
アイヌ勢が再び矢を射ると、松前勢が逃げまどい陣形が崩れた。
その時、シャクシャインがあらかじめ潜ませていた伏兵が松前勢の背後を襲ったのだ。アイヌ刀で武装した突撃部隊だった。この攻撃で松前勢はアイヌ勢に包囲される形となった。
「勝敗は見えたなり。シャクシャイン君の勝ちなりね。」
戸部典子は戦いを静かに見つめている。
ここで安心はできない。三河屋の傭兵部隊がどこかにいるはずだ。
私をたちを振り返ったオペレーターが叫んだ。
「いました、アイヌ軍の左後方、草むらの中に傭兵部隊を確認!」
ドドーン!
傭兵部隊の放った銃弾がアイヌ軍を襲った。
「諸葛銃はヨンパチ式です!」
オペレーターが人民解放軍からの情報を伝えた。
「ヨンパチ式は帝国歴四八年のモデルなりね。十年以上前のモデルだけど、命中率が高いから狙撃銃として使われることが多いなり。やっかいな銃なのだ。」
シャクシャインは防御の構えを取り、アイヌ勢の矢が傭兵部隊の潜む草むらに放たれた。
だが、傭兵部隊は草むらの中に散開していた。アイヌの弓矢による攻撃を予測して鉄砲隊をばらばらに配置していたのだ。矢は空しく草むらに落ち雪の地面を貫くのみだった。
草むらからの鉄砲がアイヌ勢を襲い、シャクシャインが一時退却を命じた隙に、松前勢は再集結し陣形を立て直していった。
「アイヌに鉄砲が無いのが悔しいなり。」
これはまずいな。傭兵部隊は草むらのなかを移動しながら狙撃してくる。
「傭兵部隊からはアイヌ勢が見えてるなりね。うまい戦法なり。」
シャクシャインは投石器を使って油の入った壺を草むらに投下し、同時に火矢を放った。雪が残っているとはいえ、この数日の晴天で草木は乾燥していた。草むらが炎を上げて燃え上がり、傭兵たちが燻りだされていく。
「シャクシャイン君、見事な攻撃なり。なんだかワクワクしてきたなり。」
だが敵もさるものだ。傭兵部隊の退却も見事な用兵だ。
「あの武将は何者なりか?」
傭兵部隊の大将だな。不敵な面構えをしている。
「傭兵部隊が草むらの向こうの丘の上に集結していくなり。」
まずいな、ざっと数えても兵の数は三百以上だ。丘の上からはアイヌ軍が丸見えになる。ここから鉄砲を撃たれればシャクシャインの本隊が危険だ。
「放てー!」
敵の大将と思しき武将の号令で鉄砲が火を噴いた。
「敵ながらあっぱれな戦いぶりなり!」
戸部典子は手に汗を握って、悔しそうな表情を浮かべている。
「人民解放軍より入電! 敵の大将は由井正雪、繰り返します敵大将は由井正雪!」
オペレーターの報告に、私も戸部典子も驚きを隠せなかった。
由井正雪。改変前の歴史では「慶安の変」の首謀者である。幕府の政治に不満を抱き、浪人たちを集めて徳川に弓引いた男である。
その油井正雪が、徳川に雇われたというのか。
「由井正雪は太平の世に不満を抱く浪人を集めて挙兵したなり。言ってみれば遅れてきた戦国武将みたいなものなり。ここで出てきても不思議はないのだ。」
確かにな。浪人たちを集めて武装集団を作ったという点ではまったく同じだ。
シャクシャインはアイヌ勢に突撃を命じた。アイヌの剽悍な兵たちが丘を目指して駆けていく。鉄砲隊に打ち砕かれようとも仲間の死を乗り越えて突撃していくのだ。
アイヌの
しかし、敵にも強者がいた。丸橋中也、槍の使い手である。槍が、一閃二閃ひらめいてアイヌ兵をなぎ倒していく。
これは時間稼ぎだ。松前勢が体制を立て直せば、今度はアイヌ勢が挟み撃ちされることになる。
「シャクシャイン君、力押しでは勝てないなり!」
戸部典子の声は悲壮である。私としてもここはシャクシャインに勝ってもらいたいのだが、碧海時空の監視を開始したばかりでは何ら介入することもできない。
現地の情報収集や映像の送信も人民解放軍にお願いしているくらいなのだ。
シャクシャインは、もはや撤退しかないか・・・
その時だった。戦場の状況を確認していたオペレーターが叫んだ。
「戦場の南南西、四時の方角から騎馬隊、接近! 」
オペレータの声が張りつめている。
「赤備えなり・・・」
メイン・モニターが恐ろしい速度で接近してくる赤備えの騎馬軍団、およそ三十騎を視界に捉えた。
三十騎のうち、十騎がさらに脚を速めて先行し、傭兵部隊が陣地にしている丘に回り込んだのだ。
敵か? 味方か?
十騎の先行部隊は、高速で移動する馬上で銃を構えている。
ドン! ドン! ドン! ドン!
銃弾は傭兵部隊を襲った。それも百発百中である。
丘の上に並んだ傭兵たちが、右から順番に倒れていくのが確認できた。
「神業なり!」
戸部典子の頬が「にまり」と緩んだ。
由井正雪の号令で傭兵たちの鉄砲が赤備えを狙ったが、十騎の騎馬部者たちの速度が勝っている。
速い、速いぞ! 通常の三倍の速度だ。
そのうえ後続の二十騎が追いついてきて、またもや連続狙撃を開始したのだ。
後続部隊の狙撃に傭兵部隊は逃げ惑っている。敵の陣地はパニックだ。
赤備えの騎兵軍団は彗星のように接近し、瞬く間に傭兵部隊を圧倒していく。
狙撃に恐怖した傭兵たちは、身を低くして銃弾から身を守ろうとした。もはや攻撃どころではない。戦意を失った傭兵は使いものにならない。
由井正雪と丸橋中也が撤退を決断したとき、決断は既に遅かりしだった。
赤備えの武者たちが、一気に丘を登り傭兵部隊の陣地に踊りこんだのである。
大将と思われる武者は馬上抜刀して、名乗りをあげた。
「真田幸村、見参!」
なんだと、真田幸村だと!
「ゆきむらくん・・・」
戸部典子が呆然として、目に涙をためている。
真田幸村は、若き日の真田信繁そっくりではないか!
真田幸村率いる騎兵は傭兵部隊の陣地に突入し、逃げ惑う傭兵たちを斬りまくった。真田幸村が狙うのは大将の首のみ。一気に決着をつける勢いだ。
だが、雪に身を伏せていた一人の傭兵が、鉄砲を構えて背後から幸村を狙っている。ここで幸村を仕留めれば、褒美は思うがままだ。傭兵にとってはまたとないチャンスなのだ。
「危ないのだ、幸村君!」
戸部典子の叫び声と同時に、狙撃兵に向かって真っ白な雪が襲い掛かった。
「ワンちゃんなり!」
戸部典子が息を飲んだ。
雪の中から真っ白な犬が傭兵に飛び掛かり、口にくわえた短刀で喉首を掻き斬ったのだ。
真っ赤な鮮血が白い雪の上に飛び散った。
「鬼丸、ようやった。」
幸村が忍犬・鬼丸を振り返り、鬼丸は「わん」とひと吠えした。
「鬼丸君、見事なり! 誉めてつかわすなり!」
幸村が敵の大将を見つけたようだ。一直線に馬上の由井正雪に向かっていく。
正雪も刀を抜き、幸村と相まみえる覚悟だ。
幸村の刀が正雪に振り下ろされ、正雪は渾身の力で跳ね返した。その反動で正雪の馬がよろけた。その隙を突いて幸村は再び切りかかったのだ。
この必殺の一太刀を跳ね返したのは、丸橋中也の槍だった。
中也は馬と馬の間に仁王立ちとなり、正雪を守ろうとしたのだ。
「この若造めが、この丸橋中也の槍の露としてくれる!」
丸橋中也は真田幸村を睨みつけ、頭上で槍をぶんぶんと振り回す。
幸村は不敵な笑みを浮かべて、懐から短銃を取り出した。
ズトン!
眉間を撃ち抜かれた丸橋中也は、何が起こったか分からぬまま絶命した。
丸橋中也の体が崩れ落ちる向こうを、由井正雪を乗せた馬が戦場から離脱していく。
幸村は遠ざかる由井正雪に鉄砲の照準を合わせた。
ドン! ドン!
二発の弾が続けて発射され、一発は由井正雪の兜を割り、もう一発は肩に命中した。
「しぶといなり、由井正雪! 致命傷には至らなかったなりね。」
運の強い武将とはああいうものだ。
「幸村君も笑ってるなりよ。」
あれは苦笑だ。一発は頭に命中したのに仕留められなかったのだからな。
「追うつもりもないみたいなりね。」
傭兵というのは大将を潰してしまえば烏合の衆だ。幸村はそのことを心得ていて敵の大将を強襲したんだ。
「ほんとなりね。傭兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったなり。」
傭兵部隊が壊滅したことでアイヌ勢は体制を立て直し、再び松前勢に襲い掛かった。松前勢は不利を悟り退却を余儀なくされた。
クンヌイの戦いはアイヌ勢の勝利に終わったのだ。
シャクシャインはこの勝利を神に捧げ。アイヌたちは神の助力に感謝した。
「この勝利は大きいなり。松前藩は力ではアイヌに勝てないことを思い知ったなりね。」
そうだな。この後、和戦いずれになろともアイヌ側が有利に事を進めるだろう。
戦いが終わったクンヌイ平原では、アイヌたちが赤備えの武者たちを迎えている。
フレ! フレ!
アイヌ衆が叫ぶ「フレ」とは赤い色のことである。
フレ! フレ!
アイヌ衆は両手を振り上げて赤備え部隊の活躍を称えているようである。その叫びは次第に大きくなり、幸村たちは力強い歓声のなかをゆっくりと進んでいく。
喜びの声を上げるアイヌの軍団が二つに割れて、馬に乗ったシャクシャインが姿を見せた。
「幸村君にお礼を言いに来たなりね。」
戸部典子は嬉しそうだ。
幸村の馬と、シャクシャインの馬は円を描くようにして近づいていった。
幸村もシャクシャインも相手を睨みつけているではないか。
「二人ともどうしたなりか? なんかケンカごしに見えるなり。」
幸村とシャクシャインは交易を通じて顔見知りの仲だ。心配することはない。
睨みつけていた幸村の顔がにやりとなった。シャクシャインも白い歯を見せた。
そして二人は右腕をガッチリとクロスさせたのだった。
「幸村殿、かたじけない。」
シャクシャインの言葉に、幸村は「おう!」の一言で応えた。
「ひえぇぇぇぇ、男の、友情なりー。」
戸部典子が卒倒してしまったではないか。
シャクシャイン! シャクシャイン!
アイヌ衆の叫びは「シャクシャイン」コールに変わっていった。
メイン・モニターがアイヌ衆のコールで埋め尽くされているなか、サブ・モニターに李博士の姿が映った。
「驚いたでしょ、典子ちゃん。真田幸村の事はサプライズにしていましたのよ。きっと典子ちゃんは大喜びだろうって。」
「心臓に悪いのだ。死ぬかと思ったなり。」
李博士がコロコロと笑っている。この笑い方が可愛いのだ。
「真田一族の消息についてはこれから資料を送りますわ。『まほろば作戦』において真田一族が鍵を握ることになるとわたしたちは推測していますのよ。先生の分析を楽しみにお待ちしていますわ。」
そう言い終わって、李博士の姿はサブ・モニターから消えた。
真田か。確か幸村の父・真田幸昌は沿海州を拠点としていたはずだ。私たちは沿海州というと遠いロシアだと思ってしまうが、地図の上で見ると蝦夷地からそう遠くはない。
北の海にも交易の船が行き交う時代となったのだ。
李博士から送られてきた資料にはこうあった。
真田はこの海を「我らの海」と呼んでいると。
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