第8話 日本人の起源
シャクシャイン率いるアイヌの反乱は約半年前の出来事に遡る。
松前藩と三河屋のアイヌに対する収奪が激しくなると、アイヌたちは松前藩との交易を嫌い伊達と取引する道を選んだ。伊達はアイヌの物産を言い値で買ってくれる。また、アイヌたちが交易のために持ってきた以上の量を要求しない。
この時代、ニシンが金肥として用いられはじめていて、需要は膨大であった。ニシンも捕りすぎてしまうと稚魚の数が減り、翌年は不漁となるのだ。アイヌは自然と共生する文化がある。松前藩はアイヌの文化などおかまいなしに、ニシンの大量捕獲を命じるのだ。
アイヌたちは松前藩から逃げ、伊達のもとに走ろうとする。松前藩としては看過できない事態になっていた。そこで帝国から下賜された特許状の威光をもって、蝦夷地における交易の窓口を松前藩以外に持ってはならないとのお触れを出したのだ。
このままでは、アイヌはすべからく松前藩の奴隷とならざるを得ない。
シブチャリの首長だったシャクシャインはアイヌの各部族に協力を呼びかけ松前藩に対して反乱を起こしたのだ。
アイヌと和人の抗争は室町時代から何度も繰り返されてきた。しかし、これ程の規模の反乱はかつて無かったのだ。
松前高広はアイヌ討伐軍を送るとともに、上海に対して救援の使者を送った。宗主国である中華帝国に援軍を求めたのである。
ところが帝国の反応は鈍かった。なにしろ北には関心を示さないのが信長以来の伝統なのだ。
松前高広は業を煮やし、三河屋光三郎に助けを求めた。
「ようございます。この三河屋、金で解決できることなら何なりといたします。」
当時、戦国の世は終われども、まだまだ市中には浪人たちが溢れていた。腕一本でひと稼ぎしようという猛者たちが至る所にいたのだ。これを金で雇うのだ。
「アイヌ軍二千に対して、松前の兵力は七百くらいなり。ここに傭兵部隊が加わっても数ではアイヌ軍が優勢なり。」
だが、和人には鉄砲がある。ここが問題だ。
「改変前の歴史でもシャクシャインは松前藩に勝っていたのだ。幕府が援軍を送ったから負けたなりよ。帝国の援軍なしで松前藩は勝てないはずなり。」
帝国の反応が鈍いのが幸いしているが、三河屋の傭兵がどれほどの物かによるな。
「伊達光宗君はどう動くなりか?」
難しいところだな。伊達としてはアイヌに加勢したいところだが、奥州探題という役目上そういう訳にもいかないだろう。帝国が援軍を差し向けるとしたら伊達に命が下ることもありうる。
「伊達が松前の援軍に向かうなりか?」
なにしろ蝦夷地にいちばん近いのは伊達だからな。
「光宗君も難しいところなりね。」
光宗としても、ここは静観せざるを得ないだろう。
「先生、ご教授願いたいのですが・・・」
キム博士だった。
「アイヌ民族というのは日本人の祖先なのですか?」
韓国人には耳慣れない民族かも知れないな。
「私は日本人のルーツは朝鮮半島にあると思っていました。」
そうだろうな。日本人ですら日本を単一民族国家だと言う輩がいるくらいだ。韓国出身のキム博士が知らないのも無理もない。
「あたしもよく分かっていないなり。アイヌと縄文人は同じだと考えて正解なりか?」
私も専門外ではあるが、できるだけ分かり易く説明しよう。
アフリカ大陸で発生した人類はグレート・ジャーニーと呼ばれる壮大な旅を通じて世界中に広かった。アフリカからヨーロッパへ、そして中東から東アジア、アメリカ大陸へと移住を繰り返したんだ。その間に、気候や生活形態、食べ物などの違いで、より生存条件に適した形質を獲得していく。つまり生存条件の差が様々な地域に民族の特徴を形作るわけだ。
例えば、熱い地域では人間の肌が黒くなる。寒い地域では白くなり、我々東アジア人はその中間になる。濃い肌の色は紫外線を遮断しするからだ。赤道直下では肌が黒いほうが生存に適している。つまり、人間の形質は気候を始めとする生存条件に左右されるんだ。
縄文人はシベリアに到達した人類が、南下して
縄文人はシベリアからマンモスを追って日本列島にやってきた。一万年前まで日本列島は大陸と地続きだったから、海を渡る必要も無かった。この人々が縄文人と呼ばれる先住民になるんだ。
そして縄文時代だ。縄文時代は一部で稲作が行われた形跡はあるものの基本は狩猟採取の時代だ。だが、日本列島の狩猟採取は定住型だったのが大きな特徴なのだ。
山に行けば木の実が豊富に実り、狩猟に適した動物たちもいる。海には魚介類がにじりよるように浜辺にやってくる。食料には困っていなかった。どんぐりが主食だったらしい。
「どんぐりなりか? あまり美味しそうじゃないなり。」
どんぐりも煮るとアクが抜けて美味しく食べられるようだ。それに縄文の遺跡からが栗の林も発見されている。
「栗は美味しいなりね。あたしも丹波の栗は大好物なり。」
おそらく縄文人たちは、世界でも最も豊かな狩猟採取の民だったのだろう。縄文式土器や土偶など、文化の質も高い。
縄文人たちは日本列島に広がり、南千島から沖縄まで現在のの日本の領土に重なる地域に分布している。これが日本という国の成り立ちだと思う人はもう少し勉強した方がいい。この時代の日本列島は部族社会で国のかたちは微塵もない。
日本に国の原型を作るのは渡来人である。つまり、日本に国を作ったのは古代に日本列島に移住してきた移民たちだ。
同じ時代、中国は王朝の時代が幕あけ、国と国が激突する戦国時代だ。朝鮮半島にもこうした文明の余波が押し寄せ国家の原型が姿を現すのだ。
彼らは複雑な統治機構や、稲作という共同作業なしに成立しない作業を行うことで文明化していったんだ。
そして、彼らが日本列島にやってきた。渡来人だ。これを仮に弥生人と呼ぶことにしよう。弥生人は稲作と共に海を渡って日本列島に入ってきたのだ。
ここでは縄文人と弥生人を便宜的に区別しておくが、どちらも多くの種族の混血であり、元をただせば同じルーツに行きつくことを頭に置いておいて欲しい。民族などと言っても明確な区分があるわけではなく、全てはグラデーションだと考えた方が正しい。
「大和王権が、弥生人の代表的なものなりね。」
大和王権はおそらく朝鮮半島に由来している。しかし、半島は大陸と地続きだ。その昔は大陸から朝鮮半島にやってきた人々の末裔だと考えてもいい。
渡来人は朝鮮半島からだけでなく、中国からも多数渡ってきた。最近の研究では、むしろこちらの方が主流だったと考えられている。中国は広い。中原と呼ばれる中国文明が生まれた黄河流域や、南の揚子江流域、それに今の香港あたりからも渡来人がやってきているんだ。縄文時代の中国は春秋・戦国の戦乱のなかにあった。戦いに敗れた勢力が楽土を求めて海を渡ったと考えると、古代史が非常に豊かな物語を掻き立てる。
これは私の考えだが、最初に大和王権が日本列島に現れた時、日本は朝鮮半島の出先機関のようだったのではないかと思うのだ。そして次第にウエイトが日本列島に傾いていくわけだ。これもグラデーションだ。古代において大和王権は東北や北海道よりも、朝鮮半島の方が民族的にも文化的にも近しかったと考えてもいいだろう。
例えば九州の豪族の多くは大和王権に従っているように見えて、実は朝鮮半島の王国・百済とも深いつながりがあった。場合によってはルーツである朝鮮半島からの影響力が強かったと考えていい。
「朝鮮半島と西日本は弥生人、東北と北海道は縄文人なりね。国のかたちが今とはぜんぜん違うなり。」
乱暴な解釈だがそう考えた方が古代の情勢に近いだろう。そして人々は交流し混じり合い、境界はどんどんあやふやになっていく。
「朝鮮半島と日本列島の民族の境界もあやふやのグラデーションだったなりね。ところが白村江の戦いに敗れて、半島から叩き出されてしまったなり。」
半島から日本が離れてしまった分岐点がどこにあるのかは諸説あるが、白村江は決定的だった。
それ以降、大和王権は東日本に進出していくことになる。
奈良時代とか平安時代を見てみると、東北には
平安時代には坂上田村麻呂が征夷大将軍となり
ここでキム博士が不用意な発言をした。
「日本人は古来から侵略が好きだったのですか?」
何を言っているんだ。私は笑いながら答えた。
ここでいう大和王権は朝鮮半島から来た民族だ。半島から来て先住民を侵略していったんだよ。
「あっ、そうでしたね。とんだブーメランでした。」
そうなんだ。私たちはつい近代以降の国民国家や民族を前提に考えてしまう。古代には国民国家もなかったし国民もいなかった。近代的な意味での民族もなかったんだ。
「あたしたち日本人には稲作をする人の血とマンモス・ハンターの血が流れてるなりね。」
「韓国にマンモス・ハンターの血がないのは、ちょっと寂しいかな。」
キム博士はマンモス・ハンターがお気に入りのようだ。
誤解を恐れずに言えば、
大和政権は彼らを懐柔し同化しようとした。その方法が稲作キャンペーンのローラー作戦だ。
「稲作は素敵なりよー、って宣伝して回ったのか?」
奇妙に思えるかも知れないが、戦争するよりもコストがからないからな。
東北地方にも次第に稲作が根付き、
日本人のルーツは大陸や朝鮮半島からやってきた弥生人とシベリアからやってきた縄文人の混血だと考えていい。純粋な日本人などというものは存在しない。
そして、江戸時代になっても一部の例外を除いて稲作が行われなかったのが蝦夷地だ。徳川幕府は米作を国家の根本に据えていたから、蝦夷地はほったらかしだったんだ。
蝦夷地では狩猟採取の縄文人が生き残っていた。ただし、この人々も和人と交流し文化的な影響を受けた。樺太や大陸の北方で暮らす人々と混血して新しい民族になっていった。アイヌ民族は鎌倉期から室町期に成立したというのが通説だ。
アイヌを縄文人がそのまま継続していたと考えるのは間違いだ。他種族との交流で文化も変化するし、混血によって新しい遺伝子が混じっていくのだ。
江戸時代になると松前藩がアイヌを搾取の対象とし、奴隷の如く扱うようになる。
江戸後期の探検家・松浦武四郎は「アイヌの男子は飯場に売られ、女子は性の奴隷として扱われる」と記録に残している。
明治になってからもアイヌは「土人」という蔑称を与えられ、差別されたのだ。
近代以降は日本人との混血による同化が進み、今ではアイヌ語を話す人はほとんどいない。
私の話を黙って聞いていたキム博士が言った。
「アイヌの話を聞いて、『ノンマルトの使者』を思い出しました。」
ノンマルト? ウルトラセブンの話かね?
「そうです。ウルトラセブン第四二話です。私は特撮は大好きなんです!」
何を胸を張って言い出すかと思ったら、やっぱり、キム博士もオタクだったのか!
「ノンマルトの使者」は私も子どもの頃、再放送で観た。子ども心にトラウマを残すような異色作だった。
地球にはノンマルトという先住民がいて、人類はノンマルトから地球を奪い取った侵略者ではないかという疑問が提出される。モロボシ・ダンことウルトラセブンは両者の間で悩むのだが、ノンマルトの反攻作戦が始まり、やむなく人類の見方をする。地球防衛軍がノンマルトの海底基地を爆破しキリヤマ隊長が悪魔の如く笑うのだ。
キム博士は人類を和人に、ノンマルトをアイヌに重ねているのだ。面白い想像力だ。
この脚本を書いた金城哲夫は沖縄の出身だ。当時、沖縄はアメリカの占領下にあり日本に返還される前のことだ。
「ノンマルトの使者」は寓話である。優れたクリエーターは寓話に自らの体験を込めるのである。
沖縄もまた、日本列島の中央政権からすれば南の辺境である。アイヌと遺伝子的に最も近いのが琉球人であると言われている。琉球人もまた縄文人の末裔であり、和人や大陸、朝鮮半島から来た人々と交雑して独自の文化を築いて来たのだ。
太平洋戦争では大日本帝国の盾とされ、アメリカの攻撃で多くの琉球人が殺された。
その後も沖縄には米軍基地が置かれ、今また新たな基地を作るためサンゴの海が埋め立てられようとしている。
辺境は常に虐げられる歴史を押し付けられる。
「そうですね。」
と、キム博士は言った。
「私からみれば沖縄は日本の植民地のように見えます。今から七十年以上前の植民地はもっと酷かったでしょうね。」
キム博士は大日本帝国の朝鮮半島に対する植民地支配を言っているのだ。
「では先生、日本人と韓国人の違いは何ですか?」
日本人のルーツの半分は朝鮮半島にある。そんなに違わない。私たちは少なくとも半分以上の遺伝子を共有している。
ただ、縄文人と弥生人、この区別も便宜的なものだが、特徴はある。
縄文人はシベリアで分岐しているから寒冷な気候で生き抜けるような特徴がある。肌の色は白く、毛深く、二重瞼がが多い。
弥生人は反対で肌が黄色で、体毛が薄く、目は一重だ。
キム博士がズボンをたくし上げている。
「なるほど、私にはすね毛が全くないです。」
「きれいな脚なりね。女の子見たいなりよ。」
「ええ、ダルも僕の脚はきれいだっていつも言ってくれます。」
何を頬を赤らめているんだ、キム博士。
これは笑い話でもあるが、縄文人の肌の白さをして、日本人
「あっ、それ韓国にもありますよ。イギリス人韓国起源説というのがあります。」
まったく日本人と韓国人は悪いところまでよく似ている。
「しかし、どうして日本では韓国が嫌われるのですかね。」
これも難しい問題だが、江戸時代、日本は朝鮮を優れた国だと尊敬していたんだ。
日本人という概念が発生したのは明治になってからだ。日本人というアイデンティティーを作らなければ国民国家が成立しないからだ。
日本人のルーツが韓国にあったなんて言うとどうかね。
「日本人のアイデンティティーがあやふやになりますね。」
そうだ、日本人のアイデンティティーも元来あやふやな物なんだ。そのあやふやに一本の線を引くことで日本人というフィクションを成立させたんだ。碧海時空の帝国では、一本の線は別の軌跡を描くことになる。
「日本人とか韓国人とかいっても、政治的な意図で引かれた仮構の線に過ぎないということですか。」
我々は何所から来て何者であるかとの問いは、遠いところから来た人々の混血であるという答えに行きつくわけだ。
だからこそ、我々は個人としてアイデンティティーを確立し、自分自身に誇りを持たねばならない。
日本教は個人のアイデンティティーを圧殺しながら、日本人の誇りを説く。そういうものはナンセンスなんだ。
「だから戦うんですね。」
そうだ!
見たまえ! メイン・モニターのなかのシャクシャインは自らの誇りをかけて戦おうとしている。
アイヌ勢と松前藩との激突の時が、刻一刻近づこうとしていた。
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