気になるふたりの後日譚

旅人

第1話 絵になるふたりの日常感

「宏人、ちょっと手つきがエロいんですが」

 自分の膝に盛大に吹き出した麦茶をタオルで拭いてやっていると、菜生子からクレームが付いた。

「えぇ〜、なんの話?」

 そう言いながらもぼくは彼女の太ももをタオルでせっせと拭く。群青色のワンピースからのぞく膝頭と太ももは、思わず撫で回したくなるほど綺麗だ。

「あんまりイタズラするなら私が自分で拭くもん」

「あ、ダメ。禁止。お姫様はそんなことしちゃダメ。御付きの者がするから」

「宏人はわたしの御付きの者なの? 王子様かと思ってたけど」

 そう言いながら菜生子はニヤリと笑った。

「御付きの者なら、今日は居間で寝てね」

「……えぇ、ひどいなぁ」

「ね、さっきの、こういうことなんじゃないかな」

「と言うと?」

 キョトンとするぼくの前で、彼女は少しはにかみながら言った。

「王子様とお姫様が『幸せに暮らしましたとさ』の後にしたこと」

「えぇ? さっきの映画では『その後はきっとエロ動画だよ』って言ってたよね。えらくウケて、ほら、お茶吹いてたやん」

「……宏人」

 彼女が笑いながらぼくの肩を叩く。

「あ、もしかして今からR18なお時間ですか?」

「またお茶吹くよ?」

「ハイハイ、で、どういう意味?」

 ぼくはそう言いながら立ち上がって彼女の右隣に座った。引っ越してきて8ヶ月になるぼくらのアパートは、白い壁紙がオレンジがかった照明で輝いていて居心地がいい。フローリングはさっき彼女がこぼした麦茶でかすかに濡れて光っている。彼女はその水滴を素足でつつきながら、あごに手を当てて少し考えるように下を向いた。数秒黙り込んでから、ぼくの方を振り向く。長い黒髪がさらりと流れて、彼女はその黒々としたひと房を耳にかきあげた。優しい顔がのぞいて、ぼくを恥ずかしげに見つめる。その少し潤んだ大きな瞳に見つめられて、思わず頰が紅潮した。

「なんでもないことだよ。一緒に映画見たり、ちょっとしたことで笑ったり。そういうことかな」

「……うん」

「冒険もいいけれど、きっとなんでもない日常を過ごすことが本当に最高に幸せなんだと思う」

「……そうだなぁ」

 いつになく饒舌な彼女にぼくは少し黙り込んだ。考えこむぼくに、彼女がもたれかかってくる。

「だぁ〜、名言吐いたし、今日も寝るにゃ〜」

 変なセリフは照れ隠しだ。ぼくの肩にあごを乗せて腕を回してくる彼女の体温を感じながら、ぼくは優しい気持ちに浸った。思わず声が漏れる。

「……このままずっとこうしていたいなあ」

「無理だよ」

 菜生子が即座に否定する。

「……えぇ? 情緒ないなぁ。どうせまた、『だって、そのうちトイレ行きたくなるから』とか言うんでしょ?」

 彼女に向き直って口を尖らせるぼく。その口を、菜生子が唐突にキスで塞いだ。

「???」

 目を瞬かせるぼくを見て、彼女は笑った。

「無理だよ、だってね、すぐにベッドに行きたくなるもん」

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