Log-145【神に仇なす魔王-壱】

 時空間に穿たれた虚ろな穴が次第に閉じていくかのように、魔王が撃ち放った久遠くおんの闇が晴れていく。その軌道上に存在したはずの巨神の頭蓋は、跡形もなく消失していた。頭部を失った肢体のみがそそり立ち、微動だにせず。ただ寂寞とした風が吹くのみ。


「……倒、した……?」


 禁忌を口にするかのように、恐る恐る言葉を発するイングリッド。あらゆる出来事が一瞬のうちに過ぎ去っていく渦中で、もはや予測し断言できる結果など存在しない。形而けいじ上と呼ぶに相応しい事象が、目の前で巻き起こっているのだから。


「……!? 復元……して、いく……!?」


 間違いなく胴体からそぎ落とされた巨神の頭蓋は……しかし、たちまち復元されていく。イングリッドが復元と表現したのには、理由がある。巨神が地上に顕現する際に現れた線形の幾何学きかがく模様が、元あった頭蓋の形状に沿って再び描かれ、まるで複写されていくかのように元通りになっていくのだ。薄紙に写る図形をなぞるかのように、版面に描かれた絵画を刷り写すかのように。文字通り、元々そこにあった物体を復元しているのだ。


「復元……魔術に……似て、いる……?」


 魔術による肉体の治療には、大別して活性と除去と復元なる方法が存在する。活性とは自然治癒を促進させる治療を、除去とは体内の毒を取り除く治療を、そして復元とはかつて在ったものを複製する治療を指す。いずれにせよ、巨神は魔術を行使できないはず。にも関わらず、人類だけが持ち得る力と瓜二つの事象を立て続けに現したのだ。正しい意味での魔術ではないにせよ、やはり神の名を冠するだけの力を携えていると考えていい。


 だが、そんな神の御業みわざを目の当たりにしてもなお、闇纏いの魔王はあたかも神を嘲笑あざわらうかのように攻め手を止めず。再び闇で象った右腕を――振るう。久遠くおんの闇が放たれた、それは、頭蓋を失おうとも魔王を握り潰さんと迫る巨神の腕を飲み込んだ。拳から肩口までを黒く塗り潰し、その残滓さえ残さず消滅させる。


 戦闘力はもはや、圧倒的と言って良い。霊峰と形容するに相応しい超大質量を誇る巨神を、まるで赤子の手をひねるように迎え撃つ。自らは実体のない影の如く立ち回り、文字通り指一本触れさせることもなく。


「あれ、が……魔王……」「だが……私の、目には……青年の、ようにも……」「……神に……仇なす者……」「魔物を……束ねし……」「……おとぎ、話……では、ないのか……?」「一説、には……魔王を、倒すため……勇者が、あると……」「……だが、傍らには……」


 巨神と魔王、両者の威圧によってひざまずく連盟部隊。戦闘状況の遷移とともに、その状態にも比較的順応してきたか、思考を巡らし考察を許すまでには復帰していく。同時に、正常な思考が弊害へいがいとなってか、彼らの胸中に極めて初歩的な疑問が浮かんできた。


 ――神とは、勇者とは、魔王とは、魔物とは、一体なんなんだ?


 形而けいじ上学にも似た問いに見えるが、この問いはそこまで解明困難な問題じゃない。これまでの人魔大戦で見えてきた、当然の疑問だった。つまり、なぜ存在するのか? という答えのない疑問じゃなく、それとはまた逆説的な、なぜ余りにも理屈的で意義的な存在としてこの目に映るのか、というもの。


 人とは、動物とは、生命とは、そもそもが意味を抱いて生まれ落ちてくる存在じゃない。対して人類が編み出した文化や文明、そこから派生する道具や機械は、意味や必要性が先行して存在し、それらを汲み取るモノとして生み出される。そう、そのような在り方の違いを、人々は何か予感めいたものとして感じていたのだ。眼前の神と魔王を通して。


(私達には、共通した奇妙な感覚がある。それは、有意味感。開戦後、戦いの中で少しずつ無意識的に増していった感覚だったけど、今なら確かな実感を以て断言できるわ。彼らには、存在する意味があると。紛れもない理由があって存在しているのだと)


 イングリッドは、とても感覚的な認識ではあるものの、一つの確からしさを掴んでいた。それは、勇者や魔物から連なり、神や魔王という超常の存在を含む、この戦場において重要な役割を担う相手が内包する、絶対的な意味合いだ。理性的解釈じゃなく、感性による。


(彼らに対して抱かざるを得ない有意味感。それが無ければ、みな互いの反応に疑問を呈しているはずよ。それほどまでに、本能が訴えかけてくる違和感なのだから)


 イングリッドは自身のその奇妙な感覚が、戦場に並び立つ者がみな抱くものだと判断していた。なぜなら彼らの反応は、確信がなければ口走るのもはばかられるような言葉だから。


(予備知識がなければ、あの両者を神や魔王だなどと確信を持って呼べるはずもないわ。これはともすると、人類の中に脈々と受け継がれてきた記憶の因子が、呼び起こされようとしている? 神と魔王とが同時に存在するという異常事態によって……?)


 イングリッドにはメルランによる入れ知恵が事前になされていた。エレインも同様。だから比較的に素早い状況判断が可能だった。なら他の者は? 恐らく知らされてはいないのだろう、勇者に纏わる世界の真相を。にも関わらず、彼らもまた真相へと近づきつつある。それはまだ抽象的なものだが、いずれは具体性を帯びてくる違和感。神がなぜこの世界を創造し、人類がなぜ創造主に反旗をひるがえすのか。それは、現人類の成り立ちを紐解くことで見えてくるもの。そこに、いずれ必ず辿り着くだけの示唆しさが、胸中でざわめくのだ。


     *


 もはや巨神に、抗う術はなく。四肢はもがれ、頭蓋は復元を待たず消滅し、残るは丘のように横たわった胴体のみ。失われた部位の復元は続く、だが魔王の圧倒的な力の前には遠く及ばず。勝敗はここに決したようだ。


 無残な姿の巨神は、やがて身に纏っていた復元のための幾何学きかがく模様さえも消失してしまった。敗北を悟ったからだろうか? 神は見かけ上、一切の動作を停止した。それを認めたからか、宙に浮いていた魔王が高度を下げて、地に降り立つ。横たわった巨神の胴体に向かって、闇でかたどった右腕を伸ばす。止めを刺すつもりだろうか。


 魔王の完全勝利を予想していた人々――その認識は、突如として崩れる。

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