Log-110【終わりなき戦い】

 夜の帳が下りたセプテム城郭都市の静寂を、警告を伝えるサイレンが引き裂く。


 安らかな眠りに落ちていた人々を、夢の淵から引きずり起こす。穏やかな暁闇ぎょうあんに沈む白雪の街は、たちまち人々の喧騒で溢れ返っていった。先刻の白昼が再来したかのように。


 側防塔の屋上に設置された観測機器を覆う帆布はんぷを翻し、望遠鏡のレンズに眼を当てるウルリカ。微動ハンドルを手早く操作し、鏡筒を地平に向けた。蠢く魔物の影をその視界に捉える。こめかみに手を当てて、精神感応テレパシーを飛ばした。


「アレクシア! 起きてる!? 地平線上に敵影を観測したわ!」


「ああ、聞こえてんぜ! 規模は!?」


「規模は恐らく……昨日と同じくらいね。そう思ってもらって差し支えないわ」


 愕然とする報告、だが、アレクシアにとっては消化不良な蟠りを払拭する好機と捉えていた。されど、正面から迎え撃てば、敗北は必至。「さて、どうしたもんか……」と頭を抱える。


「……分かった。一先ず、昨日と同じく総力戦体制を整える。その間に解決策を模索する。俺かお前か、結論が整い次第連絡する。それでいいか?」


「ええ、それしかないわ。切り札だった縮退魔境エルゴプリズムは失われた……泣いても笑っても、ここで人の叡智って奴が真っ向から試されるわ。宜しく頼むわよ」


 その言葉を最後に、精神感応テレパシーを切断する。アレクシアはベッドに放り投げた装具を身に纏い、一斉に飛び起きてきた部下を引き連れて、外に出る。そこには既に連盟部隊の面々が顔を連ねていた。


「たった今、総統のウルリカから連絡が入った。地平の向こうに敵影を捕捉したそうだ。規模は、昨日と同等。今や俺達に、あの異次元なまでの切り札は存在しねえ。ならば、どうするか? 決まってらぁな、腕っ節でねじ伏せる他なくなったってことよォ!」


 闊達かったつなる威風を言葉に乗せて、拳を天に掲げる。総司令官の堂々たる煽動に、否応なく喚声かんせいが飛び交った。無論、士気の多寡程度で勝利を引き寄せられるほど、甘い戦いではないことは誰もが理解している。だが、奮起のあるなしでは、大きな違いがある。


「いくぜ野郎共! ウルリカの奴に全部持ってかれた名誉、俺達が挽回する番だぜ!」


 肩掛けの外套が寒風にはためく、颯爽と先頭に立ち、一軍を率いるアレクシア。粉雪を纏った大通りの道を、堂々たる威勢でもって闊歩する。すると彼女の横に一列となって、ローエングリンの面々が顔を連ねていく。


「威勢は結構。ですが、どうされるおつもりですか? アレクシア姉様」


 隊員たちの熱に浮かされることもなく、冴え冴えとした表情で意見を仰ぐイングリッド。


「先ずは総力戦体制だ。昨晩までに王城の武器庫からありったけを搬出した。全部使い切るつもりでなげうつ。レギナも……傀儡かいらい部隊を出すっつってた。人道にゃもとるがよ、背に腹はかえられねえよ」


「でもさ、それじゃ昨日とあんまり変わらないじゃん。決め手に欠けるよね」


 イングリッドの隣で顎に手を当てて考えあぐねるエレイン。彼女の指摘通り、武力状況はさして昨日と変わりが無い。つまりは、魔物の群勢の掃討にはほど遠い、ということ。


「ああ、その通りだ。最悪、お前達が言っていた、ゴドフリーの秘密兵器、なんつうのもあるようだけどよ……俺は飽くまで神頼みの範疇だと考えている、どれほどのモンかも分からねえし。今は何とか明日まで持ち堪える方法を探さねえと。グラティアの援軍が到着するまでのな」


「……とはいえ、王城からの兵站には、最新装備もあると聞き及んでおります。私の機関銃を筆頭に、集団戦闘では有利となるかと」


「それもそうだ。昨日は中距離戦闘の段階で事を終えた、接近戦で俺達の力がどれほど通用するかは未知数。だが、俺が身体を張って受けた、自動小銃っつう武器はとんでもねえ代物だったぜ。魔力全開でなきゃ、今頃蜂の巣になってたところだ」


 アレクシアが“煙霞の鉄城”の玉座の間で激戦を繰り広げた傀儡かいらい部隊。それが用いた自動小銃とは、三十口径もの銃弾を亜音速で秒速三十発射出する銃器、有効射程はおよそ五〇〇メートル。彼女のような飛び抜けた武人でなければ、決してしのぎきること叶わぬ殲滅兵器だった。


「では、我々は今まで通り、砲撃に専念しよう。その間で、お前とウルリカは戦闘の段取りを模索してくれ。可能な限り時間は稼ごう」


「老体に鞭打つようで悪いな、親父。この歳で脛囓すねかじらせてもらうぜ」


「馬鹿を言うな、生涯現役がローエングリンの掟だ。脛など幾らでも生えてくるというものだ」



―――




「教授? 聞こえる? 教授? 応答しなさい。メルラン・ペレディール!!」


 側防塔の屋上で望遠鏡のレンズに眼を当てながら、こめかみに手を遣って、メルランの名を叫ぶウルリカ。すると、それまで全くの音信不通となっていた翁から、返事が来た。


「おお、ウルリカか、息災で何よりじゃ。件の活躍は聞き及んでおるぞ、随分派手にやらかしたようじゃな。全く、お主は無茶に無茶を重ねおるのう」


「あ、ん、た、ね! こっちが命辛々戦ってるってのに、何してたのよ今まで!」


 これまでの鬱憤うっぷんをぶちまけるウルリカ。援助なし、説明なし、姿なし、全てを丸投げして、のうのうと答えるメルランに、彼女の堪忍袋も緒が切れてしまった。


ほうけるのも大概にしなさいよ! どうせ何か奥の手があるんでしょ!? 包み隠さず話しなさい!」


「わ、分かった、分かったから怒鳴らんでくれんか、頭に響くでのう……」


「言い訳は聞き飽きたわ、さっさと話しなさい。昨日何してたか、何を企んでるのか、あんたが渡したこの鍵は何なのか、魔物は何に引き寄せられているのか」


「お主、そこまで推測しておるのなら、儂の口から聞き出すまでもないじゃろうに……」


「いいから早く。時間がないの」


「うーむ、そうじゃのう……まぁ、これだけは、伝えておかねばならんかのう」


 メルランは一つ、息を吐く。そして、男は沈着な声色で、静かに告げた。


「此度の戦い……勝敗の是非を問わず、お主は課せられし旅路を進めよ」


「は? あんた、何言ってんのよ。そんなこと出来るわけ――」


「――それ以外に、人の存続する道はない。断腸の思いじゃろうが、それだけは肝に銘じておくんじゃ。お主の仲間にも、理解者がおる。お主が動かねば、どのみちその方らが導いてくれるであろうよ。儂からは、以上じゃ」


「……え? いや、ちょっと待っ」


 ウルリカの言葉は終始遮られ、一方的に精神感応テレパシーを切断された。再度、接続を試みるも、手応えはない。結局、メルランからは何の説明もなかった。ただ、この人魔大戦を差し置いて、勇者の功業を続けろ。その一言だけを残して。


「……いつか、ぶっ飛ばしてやる」


「う、ウルリカ……そう物騒なことを言うもんじゃないよ……」


「五月蝿いわね。どうせあいつは自分のはかりごとしか考えてないエゴイストなのよ。今を生きる人々の事なんかこれっぽっちも頭にない。ハプスブルクといい勝負だわ――」


 悪態を連ねるウルリカ、その時、背後から女の声が聞こえてきた。

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