Log-098【禁忌の魔石-弐】

 メルランの研究室、その地下に、それは封じられていた。


 図書館の如き地上階、その広さに匹敵する広大な地下室には、埃まみれの古びた書物や、何が入っているかも分からない櫃、今や使われることのなくなった古道具が、所狭しと置かれていた。その様相は、さしずめ蔵といった佇まい。


 地下室の奥に突き進んでいくと、まるで迷路のように入り組む、折り重なって積み上げられたカビ臭い書物や櫃が、山のようになっていた。そんな構造物が崩れたら一巻の終わり。周囲の物に触れぬよう慎重に進んだ最奥には、そこだけを避けるように開けた空間が現れた。


 その中央には、夥しい数の呪文が刻まれた老樹メトシェラ造りの匣。その匣を取り囲むように、緻密に結ばれた魔法陣が敷かれていた。


「アウラの時みたく厳重ね。当然だけど」


 それは厳戒な罠。足を一歩踏み入れた途端、上下階を含めた研究室中の呪文が起動する。ひとたび捕捉されれば、例えウルリカといえど只では済まない。


「うーむ……解く時が来たか。まあ、お主に過去解かれたようじゃがの……」


 メルランは懐から一本の長細い小瓶を取り出す。中には翡翠色と空色の液体が二層となって入っていた。コルク栓を開け、まず翡翠色の液体を魔法陣に垂らす。すると、結ばれた印に沿って液体が瞬時に広がっていく。更に空色の液体を垂らすと、光を放ちながら印は葬られていった。


 魔法陣が跡形もなく消失し、メルランは正方形の匣を拾い上げる。手を匣の天面に添えると、目を瞑り魔力を込める。無数に刻まれた呪文が発光する、蓋と底の隙間から青白い煙を放ち、添えた手を離すと独りでに開いた。


 匣の中には、入れ子となって再び掌大の匣。更にそれを開くと、均等な切子面を備えた黒鉄くろがねの多面体が現れた。それこそが縮退魔境エルゴプリズムと呼ばれる物体のようだ。


「これが……こんな、小さな鉄の塊みたいなものが、国を滅ぼすのか……」


「舐めない方がいいわよ。魔力を込めれば即座に起動するわ」


 鶏の卵ほどの大きさでしかない黒い鉄塊。初めてそれを見て、誰が危険を感じるというのか。


「うーむ……いつ見ても禍々しい輝きじゃのう……」


 メルランの言葉通り、それは光を飲み込む程に闇を湛えているにも関わらず、確かに鈍い輝きを放っていた。そう、今いる地下において、光となるものなど、彼が手に持つランタン一つに過ぎない、全くの暗がりであるはずなのに。


「それも仕方ないことだわ。まだ人と人とが争えてた時代にこれを使った痕跡があったようだけど、そのどれもが丸っ切り更地と化してたって話じゃない。そりゃ恨み辛みも募るってものよ」


 縮退魔境エルゴプリズムは魔石の一つであり、存在自体は古くから魔術師の間で認知されてきた。だが現在、極めて特別な条件を満たさぬ限りは、その所持および使用を禁忌としている。その理由は簡単。ウルリカが先に述べた通り、人類史に度々登場しながら、その都度人々の営みのことごとくを滅ぼしてきたからだ。


「それじゃこれ、万一もあるし匣ごと借りてくわ。いざって時、この匣にねじ込めば被害はあたしとアクセルくらいで済むだろうしね」


「……そうならないことを切に願うよ」


 メルランは深い溜息を吐く。研究室の地下に案内する段階で最早諦めはついていた。とはいえ、心底から来る不安が払拭されるはずもない。


「頼むぞ、ウルリカ。問題児の中の問題児じゃからこそ、儂はお主を信じておる。ヴィルマーも期待しとったぞ、お主がどんな奥の手を見せてくれるかとのう。まさか、それが縮退魔境エルゴプリズムだとは思わなんだが」


 メルランは恭しく縮退魔境エルゴプリズムを手渡す。


「問題児に任せるってのもどうかと思うけど。でもまあぶっちゃけあたしも一度は使ってみたかったのよね、これ。効力強すぎて現状こういう非常時以外用途が思いつかなかったから丁度良かったわ。不謹慎も甚だしいけど」


 受け取った黒鉄くろがねの魔石を、手遊びに放り投げ、宙で勢いよく捕らえる。暴発の危険性をよくよく肝に銘じておきながら、全く意に介していない様子だ。


「お主という奴は……」


「は、はは……元来ウルリカは学者肌ですから……恐怖より、興味が勝るのでしょうね」



―――



 その日の正午、昨日に引き続き、再びのサイレンが都市全土に響き渡る。


 セプテム城郭都市の西門を挟んでそびえ立つ側防塔。その屋上に設けられた胸壁の狭間窓から、移動式望遠鏡で眺める者が一人。前日からセプテム軍兵士が入れ替わり立ち替わりに監視を続けていた。そして遂に、魔物の群勢が重火器の射程距離に侵入――つまり剣線を越えた瞬間を捉えたのだ。


 間髪を入れず、その兵士は懐から丸い網状の無線機を取り出し、力一杯に叫んだ。


「剣線通過! 接敵確認!」


 その緊張と戦慄と闘志とが入り交じった声を拾ったのは、幕壁の歩廊を駆け抜け、各側防塔に指示を出して回っていた、レンブラントとパーシーだった。すぐさま西門の側防塔に戻り、待機する兵士にサイレンを鳴らす合図を送る。


「遂に来たか。パーシー、これであの無線機とやらは配り終わったのだな?」


「そうだね、何とか今日までに用意できた六十七個は配り終えたよ。側防塔が全部で百二十基、二基に一個は配れる計算だから、実用には何とか足るレベルだねぇ」


「ご苦労様だったな。では早速、その最新技術の威力を確かめさせて貰うとし――」


「遅くなったわ! 父上!」


 再び無線機から声が発せられた。それはウルリカのものだった。


「ウルリカ! 間に合ったか!」


「何とかね。このサイレンは接敵の合図ね? ねえ、あたしちょっと一つやりたいことがあるのよ。西門の側防塔屋上一基借りるわよ」


「なっ……いや、分かった。お前が到着したら空けるよう伝えておく。お前のことだ、何か秘策でもあるんだろう?」


「ええ、とっておきがね」


 そう言って、無線は切れた。周囲を巻き込むのはいつも通りのウルリカだった。


「相変わらずだなぁウルリカは。まあ、僕たち僕たちの出来ることをしよう」


 パーシーの呆れ声にレンブラントは首肯し、再び無線機を手に取る。側面に付いたダイヤルを回し、目的の相手へと無線接続を図る。


「こちら八十八番塔レンブラント。ヴィルマー、聞こえるか?」


「こちら九十番塔ヴィルマー、全砲門開放済み。いつでもどうぞ」


 レンブラントに応答したのは、ウルリカの旧友ヴィルマー。錬金術師でありながら軍事オタクである彼は、対魔物兵装の遣り繰りを担当。パーシーと共に無線機量産の手配を手伝ったのも彼だった。


「了解。一二〇〇、これより全軍、状況に移行する」


 そう告げて、レンブラントは更に無線機のダイヤルを回し、全回線への接続を図る。元来軍人ではない彼がここまで取り仕切られる所以、それは偏に、先祖代々魔物と戦い続けてきた名家ローエングリンを継ぐだけの人物であるから、と言う他ない。それを見越した上で、ゴドフリー直々の指名を受けてそこに立っていた。


「敵影距離約二四〇〇〇メートル。一二二ミリメートルキャノン砲、擲射てきしゃ弾道用意」


 城郭の西側に当たる側防塔全てに合図を送る。塔一基につき二門備えた長距離弾道砲による射程外攻撃。そう、魔物に対する人類最大の優越は、豊富な遠距離攻撃の手段に他ならない。


 幕壁から突き出た無数の煙突から、蒸気が一斉に吹き出る。同時に、側防塔の狭間窓が広がっていき、そこから物々しい砲台が姿を現した。一二二ミリメートルの口径、五六五〇ミリメートルの砲身を持つキャノン砲。その仰角を四十五度まで上げ、射程距離を確定する。幸か不幸か、暗雲は立ち込めるも、風は安定していた。


 門外に陣を取る連盟部隊は、既に姿勢を低くして耳を塞いでいた。胸壁の兵士たちは耳栓を装着して砲撃に備える。砲手と指示系統以外の者も耳を塞ぎ始めた。


 ここに、第二次人魔大戦の火蓋が切って落とされた。

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