Log-081【その瞳に映るモノ-壱】

 パーシーとレンブラントをメルランたちに預け、ウルリカはルイーサと共にゴドフリーらの居る拠点へと戻ってきていた。


 懐中時計を見る。時刻は既に午後八時を回り、陽は既に落ちていた。街道には水銀灯が浅葱色あさぎいろの光を灯し始めていた。夜の帳はセプテムの都市をより一層陰鬱とさせる。


 鉄鋼の外壁が重々しさを醸し出す集合住宅が立ち並んだ小路、その中の一棟に入り、地下へと降りて行く。重厚な鉄扉を開くと、待っていた、と言わんばかりに、ゴドフリーがウルリカを見遣る。根城には、側近のサルバトーレと、先に到着していたイングリッド。


「待たせたわね」


「問題ない。しかし貴様、また厄介な男を連れてきたものだ」


 そう言って、ゴドフリーが指し示した先、暖炉の前に設けられたソファの上には、麻布を掛けられて臥床するエレインとレギナ。ソファの向かい、部屋の隅で椅子に座り、頭を抱えたアクセルが見える。


「ええ、だいぶ迷惑掛けちゃったみたいね」


「俺たちが気づいた時にゃ、隣家の手術室は木っ端微塵。設備投資には随分掛けたんだがなぁ。その上、レギナの姉御も憔悴しちまった。全く、テメェは厄介事しか持ってこねぇな」


「貴様……!」


「やめてルイーサ。いいのよ、当然責任はあたしにあるわ」


 サルバトーレの看過できない悪態に、ルイーサが躍り出る。ウルリカは彼女の袖を掴んで引っ張り、すんでのところで制止した。


 そんなサルバトーレの顔や衣服は、よく見ると、焦げ付いたように煤けていた。その様は、手術室の機器類が、爆発を伴って壊れてしまったのだろう事情を物語っていた。ソファの上の二人も鑑みるに、惨状だったのは想像に難くない。


 ウルリカはゴドフリーに歩み寄り、一枚の紙を手渡す。


「これは……貴様なぜこれを」


「明日の件に役立つでしょ? それは後で目を通しといて頂戴。あとこれ」


 ウルリカは更にもう一枚の紙を手渡す。そこには、損害賠償請求書と記されていた。


「どうせこんなこったろうと思って貰ってきたわ。後でそこに本件で被った損害内容の列挙と賠償請求額を書いといてくれるかしら?」


「ほう、殊勝だな。貴様がこのツケを払うと?」


「馬鹿言わないで。うちの王様が請け負うに決まってんじゃない」


 ゴドフリーは失笑、サルバトーレに至っては吹き出してしまった。イングリッドは呆れ顔で首を横に振る。


「やっぱテメェは不利益しか産まねえ勇者サマだ。そこの厄介体質と良い勝負じゃねえか」


 サルバトーレは顎をしゃくってアクセルを指す。アクセルからは何の反応もない。微動だにせず、ただ頭を抱えて俯くばかりだった。


 ウルリカはアクセルに歩み寄り、突然、首根っこを掴んで椅子から引き摺り下ろした。


「こいつ、ちょっと借りてくわ。すぐ戻ってくるから、その後で明日のことを話しましょ」


「……ああ、構わん」


 ゴドフリーからの、短い間を置いた返答。鼻を鳴らして、嘲笑するサルバトーレ。外方を向き、本棚にある書物を開いて時間を潰すイングリッド。


 ウルリカは一度、深い溜息を吐く。アクセルの首根っこを掴んだまま引き摺って、鉄扉を打ち開く。すると、


「うおっ!」


 鉄扉の先には連盟部隊への作戦共有を終え、拠点に戻ったアレクシアが立っていた。


「よおウルリカ、どうしたそんな焦って……ん? アクセルもどうした? 顔暗ぇぞ」


「ごめん、そこどいて」


 状況を飲み込めていない彼女の横を、ぶっきらぼうに通り抜けるウルリカ。ヒールの音を立たせながら、廊下を抜け、階段を昇っていき、次第に遠ざかっていく。アレクシアは呆然として見送る、頭を掻きながら正面を向くと、みな一様に静まり返っていた。


「……何なんだよ、一体……」



―――



 地下を拠点とする集合住宅、その脇に伸びる路地裏に入り、ウルリカはアクセルを壁に寄り掛からせた。座り込んで俯く彼に対し、彼女は膝を折って目線を合わせる。しかし、彼はそれでも微動だにしない。痺れを切らしたウルリカは、突如アクセルの頭を掴んで、無理やり対面させる――ウルリカは目を見開いた。


「アンタ、その顔の痣……どうしたのよ」


 アクセルの首から頬に掛けて、黒々とした歪で大きな痣ができていた。それは、ウルリカがサルバトーレに闇魔術を掛けたあの時と同じ、上皮組織が色素を完全に失ったことで染まる漆黒。左手の手袋を取る。やはりそこも、黒々と変色していた。


 ウルリカは確信する。都市全域を包み込んだ結界魔術へと『魔層潜航ドミナンス・ダイブ』を行使した際に触れたアクセルの息吹は、紛れもなく彼自身のもの。そして確かに、彼の身体と意思は、別の者が操っていた。


 虚ろな瞳を湛えるアクセルに問い掛ける。


「あの結界、やっぱアンタだったのね。何があったか覚えてる?」


「……ウルリカ、僕は……なんてことを……」


 アクセルの瞳から、涙が溢れてきた。歯を食いしばってはいるが、その顎には力が入っていない。むしろ、震えていた。


「心配いらないわ、あの二人なら大丈夫。ちょっと魔力欠乏症になっただけ。酸欠や貧血みたいなもんだから、すぐ起きてくるわ」


 アクセルは目を伏せる。ウルリカの言葉は届かない。


「あたしは一度、アンタ――の身体を介して張られた結界魔術の中に潜り込んだの。大丈夫よ、アンタの意志はしっかり働いてた。あの魔術の本来の力を、アンタの意志が抑えつけてたの。大丈夫よ、あれで誰かが命を落とすなんてことはないわ」


 ウルリカの情けは、しかし、アクセルの悲痛を和らげることはできない。


 そう、ウルリカは分かっている。彼がなぜ、廃人の如く悲観に暮れるかを。 


「……アンタね、いい加減しっかりしなさいよ! 誰も死んじゃいないのよ! 昔のことを今更悔やんでどうすんのよ!」


 そう、アクセルにとっては、まるで故郷が滅ぼされた時と同様に、自分だけが助かってしまったという罪悪感。いや、むしろ当時とは真逆の立場。エレインやレギナはおろか、セプテムの都市に住まう人々全てに――自分の意思に反してとは言え――牙を向いてしまった。それはまるで、己が魔物と化したが如き、おぞましい所業。およそアクセルにとっては、度し難い罪。


 ウルリカは彼の頭を強引に引き寄せ、目と鼻の先まで顔を近づける。額は鈍い音を立てて、かち合った。表情の一切を殺し、凍てつく瞳で彼を射抜く。明確な殺意を込めて、忌み言葉を吐いた。


「じゃあ何? 今から死んででも詫びるつもり? ええ、いいわよ。それでアンタの気が晴れるなら――今ここであたしが殺してやるわ」

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