Log-080【既知の未知との遭遇-弐】

 ウルリカの加勢により、攻性防壁ファイアウォールは急速に構築されていく。


「位相は特定したわ! 綻絡の距離空間割り出し急いで! 第十三陣から第二十一陣、もっと構造分析に魔力を回しなさい! 定義済みの綻絡は片っ端からポインタ記述するから近傍をデコイで固めて! 耐久閾値はこっちで規定するわ、それを一個あたりの目安に熱量をぶつけて頂戴!」


 矢継ぎ早に命令していくウルリカの速度に、メルランの弟子たちは付いていくだけでやっとだった。


「ウルリカ! お主に狙いが定められた! 少々注目を溜め過ぎたかもしれんのう!」


「はっ、臨むところよ。やられた分はやり返さないと気がすまないわ!」


 メルランの言葉に、毅然たる返事を放つウルリカ。結界の術者は集中的に彼女の妨害に乗り出したようだ。


 すると、彼女は静かに目を瞑り、意識を結界魔術の更に深層へと向けていく。やがて彼女の視界には、周囲を網状の幾何学模様で包まれた、現実空間とは思えない景色が広がっていた。


 それは、『魔層潜航ドミナンス・ダイブ』と呼ばれる、執行中の魔術における内容構造を、魔層と呼称される擬似構造物として定義し、内部へと侵入する拡張幻想技術。


 だが、意識を直接魔術の中に送り込む都合上、敵対者が執行する魔術への『魔層潜航ドミナンス・ダイブ』は極めて危険な行為だった。迎え撃たれ、潜航する意識を砕かれれば、廃人と化してしまう為だ。


 魔層内部は、凹凸のない理想的な幾何構造物で満たされ、その間を光の粒子が漂う世界。まるで水の中のように重力を感じさせず、ウルリカは遊泳するように奥へと進んでいく。


 すると、ウルリカに向かって幾何構造物が飛来、それを紙一重で避ける。術者は既にウルリカが潜航していることに気づいており、免疫が働き始めていた。だが、ウルリカはこの『魔層潜航ドミナンス・ダイブ』を過去に何度も行っており、経験は豊富。周囲への警戒は怠らずも、留まることなく我が物顔で突き進んでいく。


 結界という魔術の構造上、幾重にも術式の層が折り重なり、魔層として構築される。網状の局所的な層を乗り越え、層間潜航を繰り返し、またたく間に魔層の深奥へとたどり着いた。そこでは、幾何構造物が更に入り組み、まるで迷宮を呈していた。


 ウルリカを排斥しようと、構造物が構造物を生み、無数に迫りくる。謂わば外来者に対する免疫反応だ。飛来する物体を紙一重で避けつつ、時に魔力で弾き飛ばす。免疫による迎撃を物ともせず、パズルの如く入り組んだ中央の立体構造物の内部に進入し、魔術を形作る核が眠る中心部へと進んでいく。


「やっぱり免疫系が脆弱ね。もし都市全域を結界で覆い尽くす魔術師なんてのがいるなら、普通こんなもんじゃ済まないはずなのに」


 ウルリカは逆に、すんなりと侵入できたことに違和感を覚えていた。潜航する魔術の規模に見合う免疫力ではないというのだ。


「そう……まるで、誘われてるみたい」


 これまでの免疫の動きを振り返ると、まるで自身を奥へ奥へと誘導しているかのように感じられた。それほど、彼女には中途半端な迎撃に見えた。


 ――なぜ? 罠? どんな意図? それとも……


 疑問を抱きつつも、突き進む。考えたところで答えは出ない。


 次第に、ウルリカは中心核の発する波動を感じつつあった。近づいている証拠だった。通常、核を破壊して魔術を無力化するのは現実的ではない。魔術の核とは、魔術たらしめる概念であり、物理法則そのものだった。それを破壊するということは、法則を捻じ曲げることと同義であり、尋常の魔術師の為せる業ではない。それは、どれほどの天才であっても同じこと。


 但し、核の働きを減衰させることはできる。ウルリカの目的はそこにあった。魔術を内から弱め、外からの干渉を容易くする。しかし――


「的外れ……であって欲しかったな……」


 髪をかき上げる。構造物が作る迷宮の先、彼女の眼前に、それが現れた。核は真球を象る、そして、術者の意思を内包する。ウルリカの感じ取ったそれは――


「――アクセル」


 だが、どこか違う。言い知れぬ不気味さを感じる、背筋に怖気が走る、額に汗が滲む。


「アクセル……確かに、アクセルの意思と波動を感じる。でも、この冷たさ……まるで、人じゃないみたいな、この冷酷さ……」


 ウルリカの受け取った、それが発する波動は、紛うことなくアクセルだと認識させるエネルギー。だがそれは、彼を象っているにも関わらず、“らしさ”が無かった。むしろ、道中における免疫反応の方が、余程アクセルらしい愚直さを、ウルリカは感じていた。


 なればこそ、彼女は確信する。


「アクセル……やっぱり“繋がって”しまったのね。今はもう、苦しまなくていいわ。少しの間、眠りなさい」


 ウルリカはそう呟くと、核へと手を伸ばして近づいた。眩く発光する球体。目を凝らすと、そこに映し出されるのは、走馬灯のようなアクセルの記憶。灯っては消え、灯っては消える。それはあたかも、泡沫うたかたのように。


 そして、そこに映し出された映像の殆どに、ウルリカの姿があった。アクセルはいつも、彼女の傍にあった。


「……馬鹿ね。わざわざ思い出さなくたって、ここにいるじゃない」


 微笑むウルリカの表情には、優しさが滲む。大切なものに触れるように、アクセルの記憶を宿す核に、掌をあてがう。目を瞑り、寄り添うように額を付けた。


 彼の心までは奪われていない。魔術の核に触れて、ウルリカは彼の息吹を感じ取れたからだ。


 彼女は掌に魔力を集中させる。それは、敵対者に向けるような荒々しいものではなかった。おもんぱかる意思を宿した、慈しむ波動。アクセルの核は、その想いに呼応するように、注ぎ込まれるウルリカの魔力を受け入れた。


 それは、すぐに現実世界へと反映された。次第に、結界の力は減衰していく。魔層は崩落していき、微細な魔力の粒子へと還元されていった。ウルリカもこれ以上の滞在は危険だった。


「それじゃアクセル。また現実で会いましょ。さっさと、元気に腕動かす姿、みせなさいよ」


 アクセルの核に、ウルリカは優しく、口づけをした。


 崩落する魔層。既に道中の階層は全て消失。ウルリカはアクセルに別れを告げて、脱出した。



―――



 ウルリカが目を見開くと、そこに現実空間が広がっていた。まるで、海の底で長く泳いでいたかのような疲労が、身体中の節々に重くのしかかって来る。


「全く、革命前夜だってのに。骨が折れたわ」


 肩をコキコキと鳴らしながら、愚痴を呟いた。


「うーん、案外君って何かと損な役回りだよね~」


「ですが、それこそがウルリカ様の良いところでもあります」


「うむ。周囲を巻き込んだ分、相応以上の汚れ役や裏方をもこなす。我が娘たちの神髄だ」


「何勝手に分析始めてんのよ。あたしはやりたいと思ったことしかやらないってだけよ」


 傍観に徹していた三人の呑気な会話に、ウルリカが呆れながら指摘を入れる。彼女と同様、攻性防壁ファイアウォールの執行を終えたメルランが、額の汗をハンカチで拭きながら近づいてきた。


「いやはや……骨は折れたが、お主のお陰で早々に片付いたわい」


「そりゃどーも。ま、あたしもあんたたちには迷惑掛けちゃったし、お互い様ね」


 ウルリカは髪をかき上げて、一息つきながら言った。膨大な魔力を消費し、疲労困憊で息も絶え絶えといった状態のはず。だが彼女は、それをおくびにも出さない。


 メルランが息を整えてハンカチを懐にしまうと、飄々とした表情とは打って変わり、神妙な面持ちでウルリカに囁く。


「時にウルリカ、ちといいかの」


「ええ。改まって何かしら」


 談笑する三人から離れて、メルランはウルリカに耳打ちをする。その語調は厳しかった。


「一つ、分かったことがある」


「……術者の話かしら?」


「うむ」


 メルランが深く、ゆっくりと首肯する。


「お主らが目指す先に待つ者。恐らくはそれが、此度の術者じゃ」


「……」


 ウルリカは視線を外した。何か思い悩むような仕草をして、


「貴重な情報ね。助かるわ」


 メルランが語ることのできる範囲で、ウルリカに伝えたのだろう。それを咀嚼そしゃくし、現状で有する情報と照らし合わせ、彼女は頷いた。そして、その結果導かれた答えは。


「あたしの直感は正しかった。でも、まだ足りない。もっと急がないと……」

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