Log-063【品位に王道なく、人器に不材なし-弐】

 イングリッドが乗車する駅馬車はグラティアを通過していた。ヤクト川沿いのジェムロードは、馬車の運行を妨げないよう舗装された道路が伸びていた。


 しかし、砂漠の只中であることに変わりなく、彼女は日中の猛暑と激しい揺れにうなされながら、車内に備え付けられた二段の寝台の上段で横臥していた。


 その寝台は木造りで粗末なものだった。酷使され圧潰し柔らかさを失った枕と羽毛布団の上に薄い麻布が一枚と、床で眠る状態と大差ない環境。


 体力は消耗し続け、満足な睡眠も取れない。疲弊と不快感に苛まれた、その混濁とした意識の中で、イングリッドの脳裏を掠めるのは、エレインの姿。


 刃を交えて、見えた答え。いや、実際“答え”など彼女の中で疾うに決まっていた。答えの正しさを疑っていただけ。それは、自身も同様。周囲が望む正誤の判断だけを頼り“歩むべき道”という名の義務を為してきた。そこに、己の意志は無い。それは最早、人の行く道ではなかった。イングリッドは言わば、周囲に望まれ得る存在として振る舞い続けた。まさに、社会の傀儡かいらい


 エレインに、その道だけは歩ませたくなかった。アレクシアやウルリカは我を貫く意志があった。アクセルやルイーサはその在り方が、身も心も他者に尽くし、それを良しとする境遇と天性があった。だが、エレインや自分は、そのどちらでもないのだ。


 彼女は生粋の先導者であり、自分はそれに後従する生粋の参謀。だが二人は、周囲の期待に応えようとする余りに、自己の在り方を見失う傾向にあった。エレインは自己実現を、イングリッドは真に後従すべき人物を。


 両者の“答え”は定まった。進むべき“道”は固まった。あとは共に、信頼を形に成すだけだ。


―――


「――以上が、僕の聞き及んだ現在のセプテムの状況、及び勇者一行の作戦方針です。さて、これらを前提として、グラティアとしての動きを議論していきましょう」


 エレインは臆することなく、各省の国務大臣らを見据えて説明した。大方の事情はゴドフリーから女王マース、そこから各位に伝わってはいるものの、その事実の規模が手に余るほど甚だしいため、誰もが頭を抱えていた。


「エレイン殿、我々も策が無いわけではない。だが、事は二百年前をなぞり、人類の危機に直面しておる。如何に人が発展してきたとはいえ、魔物もまた脅威を増大させてきた。此度の戦いが、かつてのようになるとは限らん。無論、我々はそれを踏まえた策を練ってはおる。その上で、まず貴女方の考えを伺いたい」


 各大臣を代表して口を開いたのは、総務大臣のティムールという逞しい髭を蓄えた老年の男だった。アウラの王ヴァイロンの側近である宰相ハプスブルク卿同様に、女王マースの側近にして知的指導者を担っている。彼が随従するマースと同様に、グラティアでは一廉の人格者として名を馳せていた。


「僕たち勇者一行は、一種の足掛かりとお考え下さい。永世不可侵条約の体裁を捻じ曲げずに北方へと兵力を投入する為に、勇者一行による革命協力を名目とします。これで、国民の混乱をも防ぐことができましょう。ですが、これで割ける兵力、そしてセプテムの軍備、どちらも限界がございます。ですので、有事の際には即対応可能なよう、派兵の用意を頂きたく存じます」


 エレインはありのままの心中を語った。どれほど甘く見積もっても、魔物の群勢に対して現兵力だけでは太刀打ち出来ない。だが、人魔大戦の勃発を契機に、戦いの構図は人類対魔物に挿げ替えられる。その際、如何に激戦地へと迅速に軍事力を傾けられるかが鍵となる。それを見越した要請だ。


「エレインちゃんの言う通り、民草の混乱は悪手ですわ。それを優先して避けつつ、来たる魔物襲来に備えるのが定石。そこで我々は既にグラティア、アウラ両国で派兵の為の連合軍を準備しておりますわ。その方の進捗は如何かしら?」


 女王マースはエレインの言葉を補足する形で口を開いた。返答を促すように、女王マースはティムールを一瞥する。


「その旨、かのヴァイロン王も論を待たずして応じてくれた。だが一たび戦いが始まってしまえば、一刻の猶予もなし。して、連絡手段は?」


「はい、ティムール様。ここはセプテムのお家芸、機械技術の利用を検討しております」


「……電気通信、なる技術か?」


「ご存知で。無線通信という手法により、遠隔での遣り取りを行います。僕の母国やグラティアではまだ普及には至っておりませんが、セプテムでは民間利用の試験段階を終えているそうです。有線通信に関しては既に一般回線が開通しているようですし」


「なるほど。だが距離に限界はないのか?」


「無線通信は電波を直接飛ばすのだそうです。電波は距離に応じて弱くはなりますが、どこまでも飛ばすことができます。後日、こちらの現況報告も兼ねて、セプテムから通信技師を派遣しようと考えています」


 グラティアの都市からセプテムの都市まで、距離にしておよそ三千キロメートル。それは近い未来、世界に無線通信が普及するだろう時代には困難な、今だからこそ可能となる発想だった。



―――



 主要三国の現況共有と今後の展開方針、勇者一行の動向と全体戦力像の共有、魔物の動向とセプテム戦線維持の作戦、本作戦に於ける人材配置と勇者一行への人的・物的資源の供給内容、勇者一行によるセプテム革命運動への対応とその後の指揮系統、人魔大戦勃発時に際する当国内の動きと市民保護の手段。決定が必要な議題は膨大なうえ多岐に渡り、当然ながら一朝一夕で処理できる質と量ではなかった。


 終日を通して行われた長大な作戦会議を終え、ようやくエレインは日の暮れた帰路につく。翌日も同様の会議が開かれるため、道草を食うこともなく宿舎へと帰った。

木造の扉を開くと、二十五畳ほどの広間。玄関口から正面には窓口が設けられ、右手には軽食を提供する食堂が広がる。


 窓口で椅子に座りながら欠伸をする壮年の店主がエレインを一瞥する。すると、その顔に用事があったのか、表情を取り直して声を掛けてきた。


「ああ、お帰り。君はたしか、エレインちゃんだったよね?」


「はい、そうですよ。何かありました?」


「君に手紙が届いてたんだ。署名を貰えるかな」


 店主の男は、窓口からエレインへ封筒に入った手紙を手渡す。封筒に記された差出人の名前は、イングリッド。


(イングリッドお姉ちゃん? なんでわざわざ僕に手紙を……)


 顔をしかめながら頭を掻いて、イングリッドの意図を思索するが、これといった理由が見当たらなかった。店主はエレインを不思議そうに見て、


「ん? どうした? 君宛てじゃなかったか?」


「あ、ううん。僕宛で合ってますよ。今署名しますね」


 エレインは店主から古ぼけた万年筆を借りて、受領書に署名した。


「あ、おっちゃん、それとー……」


「お? なんだい? 今度は君の用事かな」


 エレインは眉尻を掻きながらはにかんで、恐る恐る男に尋ねた。正面に吊るされた振り子時計は午後十時を指していた。


「もう御飯って、ありません……よね? お昼から何も食べてなくって……」


 店主は困った顔をして腕を組み、低く唸る。


「うーん……お茶とビスケットくらいしか用意できないが、それでもいいかい?」


 エレインは店主の言葉に、蓄積した疲労が吹き飛んだような満面の笑みで返した。


「ぜひ! お願いします!」

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