Log-062【品位に王道なく、人器に不材なし-壱】

 アウラを出立してから一週間が経過していた。その日の夕方、エレインはようやくグラティアの城下町へと到着した。馬車を降りて大きく伸びをする。両の手で頬を叩くと、神妙な面持ちを湛えて町を眺める。


 植物模様をあしらった暖簾のれんを掲げて立ち並ぶ露店、それを情緒的に彩る橙色の水銀灯。心境のせいか、人通り多く盛況な街並みが、少し寂しく映った。馬車から飾り気のない旅行鞄を降ろして、城下町の中央部へと歩を進める。


「やあエレインちゃん! 最近パッタリ見なかったけど、どうしてたんだい?」


 城下町の中央に望む王宮、それを囲うヌビラ湖へと向かう道中。香草と焼き立てのパンが香ばしく匂う露店に立つ中年の男がエレインに話しかけてきた。グラティアの士官として就いていた時期に、度々軽食を買い付けていた店だった。


「あ、おっちゃんじゃん! 久しぶりだねー! ちょっとお仕事で遠くに行っててね、こっちに居なかったんだよ~」


「そうかぁ、じゃあ今日からこっちに戻ってきたのかい?」


「あ~……実はね、またこれから遠くに行っちゃうんだ。だから、こっちに戻ってこれるのは当分先かもしれないな~」


「本当かい? それは寂しくなっちゃうな。またいつでもおいでよ、とびきり美味しいパン焼いとくからさ!」


「うん、ありがとう! おっちゃん! 次は必ずね!」


 エレインは手を振ってパン屋の男と別れた。愛想の良いその男は、エレインが人混みに紛れて見えなくなるまで、手を振り返す。


 果たして、次は来るのだろうか。往来の激しい人混みの渦中、喧騒を遮るようにエレインの脳裏には不安が過ぎる。


 それは、自らの今後の行いが、その結果如何が、ここにいる人々の命運を握っている、ということへの恐怖。自らが背負っている責務の大きさを、勇者の名を背負う者の運命を、エレインはここに至って強く実感する。


 再び、両の手で頬を叩いて、後ろ向きな感情の手綱を締めた。



―――



 城下町の繁華街に隣接する宿場。旅人や行商人などの中流階級以下が利用する、エスニックな装い以外には至って特徴のない宿舎に入り、宿泊手続きを済ませる。小奇麗だが質素な四畳半ほどの部屋に旅行鞄を置き、羽毛のベッドに大の字となって身を投げ出した。


 宿舎に入る途中で立ち寄った役場から、エレインの提出した女王マースとの謁見を求める請願書、それに対する返書を受け取っていた。封蝋を砕き、書状を取り出す。するとそこには、丸みを帯びた可愛らしい文字で、快諾の旨が綴られていた。エレインはそれを認めると、顔をほころばせる。


「マース様の字だー」


 女王マースは、威厳に依る統治というよりは、人格に依る統治という表現が正確だった。少なくとも、エレインはそう捉えていた。


 殊に別け隔てなく、公明正大な治世。権力や資産の階級を問わず、平らかに接して民衆の心を掴む。何者をも受け入れるその度量は、王という立場に相応しい器だった。


 その内実は、理知的かつ思慮深い性格。故に、実現性の高い政治を執る傾向にある。結果、グラティアの世相は、かつてと比べて更に外交的となり、自由取引市場は拡大。革新的ではなくとも、従来の強みを生かし、更なる発展を促した政策は、国民から大いに受け入れられた。


 エレインはそんなマースという個人を好いていた。決して驕り高ぶらず、相手の視点に立ち、対決ではなく対話を重んじる彼女の温和さを。白か黒かに固執せず、如何に折衷し両得へと導くかに苦心する彼女の健気さを。そして、王でありながら女らしさを残すその可憐さすらも。


「マース様と会うのは、なんだかとっても久しぶりな気がするなー。ちょっと緊張する、けど楽しみ」


 エレインは目を瞑った微睡まどろみの中でそう呟く。度重なる疲労から沈むような眠りに落ちた。



―――



 イングリッドは着の身着のままで、セプテムまでの道程を十日ほどで急行する六頭立ての駅馬車に乗り込んでから、早四日が経過していた。


 駅馬車は大陸に点々と置かれた中継駅で御者と馬を取り替え、少量の保存食を乗客に配給し、殆どを無停車で二十四時間走行し続けるというもの。比較的舗装された道路を走るとはいえ、他種の馬車を大きく上回る速度で走り続けるため、長時間に渡って激しい揺れに晒され続ける。職業柄、旅慣れたイングリッドですら、頭を打つ不快感を終日耐え続けなければならなかった。


 しかし、彼女はそれを差し置いても、いち早くセプテムに到着しなければならない理由があった。総務省の資料室で偶然にも発見した記録資料。そこに記されていた事実は、決して看過できないものだった。


 ――宰相所見:人類存亡なる小事に依らず、目標完遂を絶対と見做す緊要事案――


 可及的速やかに、なんとしても会わなければいけない。目的はセプテムに先行するゴドフリー。これを見逃すほど、彼は愚鈍ではない。では何故、生家での会合の際に言及しなかったのか。信用に足らなかったから? それとも、二人は裏で繋がっているから?


 事情如何によっては――強硬策を取らざるを得ない。どちらにせよ、イングリッドはこの行路を急ぐ必要があった。


 セプテム革命、その裏で動く魔物侵攻の脅威、それすらも利用して秘匿された真の目的。現存人類の存亡を小事と断じ、それを引き換えに達成せよと定められた、禁忌すべき計画。


 過去に講じられてきたあらゆる国家計画は、偏に人類を存続させるため。世界が勇者を輩出する理由も、表向きは同じもの。二百年前に勃発した人魔大戦も、再び引き起こされ得る大戦も、人類を護るための戦いだ。


 だが、ハプスブルク卿が画策する此度の計画は、それに真っ向から仇なすもの。それが例え、大局的には人類の為であっても、それは余りにも利己的で、理想の押し付けが過ぎる行為。


 それだけは、阻止しなければならない。勇者の使命に身命を賭してきた者たちの、その覚悟を踏みにじることは許されない。その一心で、イングリッドはあらゆる苦痛を飲み込んだ。



―――



 エレインが通されたのは、女王の座する謁見の間、ではなくドーナツ型の大きな円卓が置かれた会議場だった。有機模様の装飾に縁取られた天窓からは陽の光が差し込み、円卓の丁度中央を照らす。


 エレインが入室した時には、既に女王マースの他、各省を代表する国務大臣が列席していた。これは文字通りグラティアという国家の首脳陣が一堂に会する恰好だった。


 仰々しく重々しい雰囲気で包まれた会議場。一同の睨みつけるような視線がエレインに突き刺さる。恐る恐る進み入ると、その空気感を察してか、女王マースが立ち上がり、彼女の下へと歩み寄った。


「エレインちゃん、お帰りなさい。長旅ご苦労様でした。件のお話しは、言伝に伺っておりますわ。ゴドフリー卿とも対談されたとか……夭之大蛇ワカジニノオロチ討伐の一件は、ごめんなさいね。騙すような真似をしてしまいました」


 そう言って、頭を垂れる女王マース。エレインは慌てて返事をした。


「陛下! 頭を上げてください! あの一件は……確かに危険なものでしたけど、同時に必要なものでした。あれがなければ、今回の作戦のように迅速には動けなかったはずです。なので、これからのお話しをしましょう」


「ありがとう、エレインちゃん。そうですわね……此度の件は人類の命運にすら関わる、重大な事態ですわ。我が国に於いても、勇者一行を全力で支援しなければなりません」


 柔和な表情の中に、粛々たる意思を宿した瞳で、女王マースはエレインを見据えた。


「ですからエレインちゃん、貴女がこちらに訪れる折に合わせて、このように我が国の首脳を集め、これからの動きについて会談の場を設けました。酷なことを言うようで忍びないのですけれど、勇者の一人である貴女が主軸となって、議論できることを期待していますわ」


 女王マースは申し訳なさを湛えた表情で話した。エレインはその言葉が意味する圧力から、一瞬総毛立つ。だが、彼女にはもう迷いはなかった。イングリッドと刃を交え終えた時点で、勇者としての彼女の覚悟は疾うに決まっていた。


「陛下、お任せ下さい。勇者の一人として、導くべき道を違えたりはしませんから」

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