Log-057【奇妙な錬金術師】
四方を本棚で囲んだ、少々手広の書斎のような部屋に通されたウルリカ達。
床には本棚に収まりきらなかった本や書類がそのまま置かれ、中央に置かれた木造りの作業台の上には、所狭しと置かれた実験器具。何の液体か皆目見当もつかない、色とりどりの溶液が注がれたフラスコやビーカー、現在進行で蒸留を行う魔石型ランプ、切り箔のように輝く粉末状の物質と分銅が均衡を保った天秤。更には、相応の知識がなければ読み取ることすら出来ない、高度な呪文が
それらを隣り合わせにして、手狭な空間に質素な木製椅子を置いて、腰を下ろす一行。眼鏡の男と向かい合うように三人は座る。所持していた荷物は、已む無く廊下に置かれていた。
「あちちち……ウルリカは手加減を知らないよなあ。丸焦げになるところだったよ……」
「あら、これでも大概手加減した方よ? 本気で構わないってなら敷地ごとぶっ潰して差し上げるわ」
「ウルリカ様、動かないで下さい」
ウルリカの赤く腫れた額に、冷湿布を貼って包帯を巻くルイーサ。眼鏡の男は赤く焼けた頬に氷嚢を当て、縮れ髪となった頭を櫛でとかしていた。
「ところでルイーサ、あんたはコイツと初対面なのよね?」
「はい、面識はございません」
「ああ! どうりで見たことない顔だなと。君はハウスキーパーのルイーサ、だったかな? ボクはパーシー、ブラバントのパーシーだよ」
「ブラバント伯……この方が……」
「そうよ、大変残念なことにね」
ルイーサが驚くのも無理はない。世間で耳にするブラバント伯爵とは、錬金術を大いに発展させたとして世に謳われる、貴族の名家だった。卿による錬金術の発展が、化学・医療・工学などの科学分野の発展にも著しく寄与したとして、国からは褒章を与えられ、その名は科学大国として名高いセプテムにまで轟いている。
錬金術とは、科学と魔術を組み合わせた学問全般の
「本当に久しぶりだよウルリカ、レンブラントおじさん。最後に会ったのは、六年前くらいかな」
「え? おじさん、とは?」
ルイーサは再び疑問を呈した。ウルリカは苦虫を噛んだような顔を湛え、溜息混じりに話す。
「コイツはね、分家なのよ。不本意ながら」
隣に座るレンブラントがウルリカの言葉に相槌を打ち、更に補足を入れる。
「そう、元はどちらもローエングリン家だったのだ。分かたれたのは私の高祖父の時代、学術を究めるブラバントと、武術を究めるローエングリン、そのような目的でな。無論、両家はともに、文武両道を常としているのは変わらない。だが、私たち貴族という上流階級に託される終の義務――ノブレス・オブリージュ――、社会の“何に寄与するか”の方針を定めたのだ」
「あははは、何だか学校の講義みたいだね。それで、ボクに用があって来たんだよね? わざわざボクんちまで三人で。どうしたんだい?」
「恐縮だが、今回はお前に助力を請うために伺った」
「ん? 助力? あー、ということは魔物の件かな? 最近、体内から飽和魔石ってのが見つかったって聞いたな~。同時に、生態が異種間での群体行動に変化したって話だね」
「なっ……!」
レンブラントは、パーシーの極めて的確な指摘に驚愕する。
「過去にも突然変異の例はあるけど、今回は適応度の高い変異だね。結局、連中の障害はヒト。知性が武器のヒトに対し、魔物の武器は高い身体能力、その凶暴性、そして繁殖能力。その生殖機能は人間の数十倍かそれ以上と見て間違いない。だから、遺伝的変異は著しい。そして、群体行動を可能としている飽和魔石による遠隔間での意思同期能力の獲得。それが繁殖を通して魔物全体に波及しているんだろうね」
一行は唖然とした。これから説明するつもりだった機密情報は、パーシーにとっては既知のことだったのだ。要するに、彼はそれ相応の権威だということ。
「パーシー、そこまで知っているなら話は早い。援助を頼めるだろうか」
「うーん、でもボク兵器開発には携わってないからね。現状の魔物に何が有効かも調査してみないと分からないし、そもそも魔物専門で研究してないし――」
「御託はいいの。それが分かっていれば、また人魔大戦が起こるかもしれないってことくらい承知の上でしょ? もちろん、報酬なら幾らでも。お願い、手を貸して。これは、人類の危機なの」
彼の言い訳を遮って、ウルリカは矢継ぎ早に交渉を持ち出す。二の句を告げさせない語りに圧倒され、パーシーが頬杖をついて悩んでいると、不意に扉が開いた。入室してきたのは、膳を片手に持った若い女。少々汚れたオーバーオールを着て、長い黄土色の髪をポニーテールに結んだその女は、作業員といった装いだった。
「お茶をお持ち致しました」
「あ、マリー、わざわざありがとう。机に置いといてくれる?」
「ええ、失礼致します」
マリーと呼ばれた女は、一行の間を割って入り、人数分の紅茶を机に置いた。丁寧にお辞儀をして退室すると、パーシーは再び頬杖をついて悩み始める。
「……今の女性は、助手か?」
「……え? あぁ、マリーのこと? うん、助手もしてもらってるね~」
「助手も、とは? ……まさか」
「あれ、言ってなかったっけ? ボクの妻だよ」
レンブラントとウルリカは、表情を隠す事もせず、唖然としてしまった。まさかこの男に、妻を娶られるほどの甲斐性があったとは、と。
「ん? ん? どうしたんだい? なんでそんなに驚いてるんだい?」
「はあ……世の中、もの好きは居るものね」
「ああ、まさかとは思ったが、そのまさかだった。いや、いや、決して悪い話ではないが……」
「酷いなあ! 随分な言い様だね君たちは! こっちは真剣に援助する方法を考えてるってのにさ!」
「ブラバント様、ご無礼をお許しください」
「君も堅苦しいな、パーシーでいいよ! ボクもルイーサって呼ぶから」
「では、パーシー。私たちは現在、国家機関より多くの援助を頂いております。しかしこれは、魔物の件を本題としつつも、建前はセプテムの革命運動を後ろ盾する目的。件の情報漏洩を危惧し、飽くまで勇者による革命運動加担の助成という名目で国家は動いております。正直申せば、二百年前かそれ以上の規模で人魔大戦が勃発してしまった場合、即座に対応できるだけの戦力は持ち合わせておりません。そこでパーシー、貴方に白羽の矢が立ったのだと存じます」
「うーん、そうは言われても、ボクも魔物のことはそこまで…………あ!」
「何よ、急に」
「なら、ボクも連れてってよ! マリーにはここ最近つきっきりで手伝ってもらってるし、ボクもここ数年セプテムには行ってないからさ!」
「あんた、物見遊山じゃないのよ? よく分かってると思うけど、北上してる魔物がいつ攻めてくるとも分からない。命が掛かってるって理解してる?」
「大丈夫……いや、危険なのは分かってる。でも、今この場で魔物に有効な手立てをすぐ用意するのは難しい。でもきっと、現場なら助言できることも多いはずだよ。君たちには変人として通ってるみたいだけど、これでも大学で教鞭を執ってる身でね」
「ウルリカ、実際パーシーが居てくれるのは心強い。謂わば、世界最高峰の錬金術師が味方となるということだ。どのみち、パーシーを含め、身を挺して市民を守るのは私達の役目だ。全力で守ってやればいい」
「わかったわよ、そこまで言うなら止めないわ。但し、くれぐれも危ない橋は避けなさい」
「よし! じゃあ決まりだね! ボクも急いで身支度を整えるよ! ああ、みんなはここで紅茶でも飲んで待っててね! マリーの紅茶は淹れ方が絶妙なんだ~!」
パーシーは騒々しく話しながら、忙しない足取りで部屋を出ていった。ウルリカはパーシーの座っていた椅子に移り、レンブラントとルイーサに向かい合う。
「まったく、頭は良いのにネジは数本外れてるのよね。ちゃんと分かってるのかしら」
「その分、私達が挺身すれば良い。現在の戦力を鑑みると、戦闘力は比較的備えているつもりだが、如何せん科学の知識に明るい者がいない。その上セプテムの軍備は、その殆どが科学武装だ。どちらにも精通したパーシーなら、魔物に対する戦術幅を格段に広げてくれるはずだ」
「でもあいつ、自分で兵器にも魔物にも疎いって言ってたじゃない。そこまで信用していいのかしら」
「お言葉ながら、実際的・実践的なる者は存在します。庭先や部屋を埋め尽くすほどの実験材料でもって研究に勤しんでいるところを見ると、パーシーも理論派というよりは前者に近い性質なのではないでしょうか」
「随分と良い風に解釈するのね……単に片付けが苦手なだけだと思うけど」
ウルリカはそう言って、作業台に置かれた紅茶を手に取って口をつける。するとウルリカは眼を丸くして、湯気立つ紅茶をまじまじと見つめた。
「……あら、美味しいじゃない。マリーってひと、只者じゃないわね」
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