マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Chapter-01

Log-001【行路の契り-壱】

 松明に煌めく白刃が、蠕動ぜんどうする筋繊維を穿つ。繊維の流路をなぞるように、磨き上げられた刃は連なる細胞を潜り抜けていく。解かれてゆく管は血潮を放ち、透き通るような氷刃を紅く温く染めた。振り抜いた剣は刃風を巻き上げ、血肉の主が真紅に塗れた慟哭どうこくを吼える。


 怒り狂った獣は、指先の獰猛な切っ先で薙ぎ払う。だが、一足飛びに間合いを取る眼前の青年を、捉えることは出来なかった――突如、視界が揺らぐ、四方八方からの刺痛が、命の危機を激しく訴える、身体の内から燃えるような熱が広がっていく。


 四面楚歌の獣は、幾つもの白刃で取り囲まれていた。


 ――死を垣間見る。後退の選択肢は既に掻き消されていた。最早、死の道を進むのみ。


 磨き上げた刃を指先に込めて、降り掛かる火の粉を払う、しかし、空を切った。何故、と理性ある者ならば問うていよう現実。目に映るは人の子ら、赤子の手を捩るように、これまで肉塊へと変えてきた。爪牙の僅かでも掠めれば、忽ち原形を失うような、餌食でしかない存在。


 そんなか弱き者共を前に、紅く染まるは己のみ。


 奴らにとっては致命となる一撃を、振るえど、振るえど、空を切る、空を切る――しかし、空を切る。爪が、牙が、届かない。何故、何故、何故。


 最早、振るう刃をも失った。最早、奴らを見下す背丈をも失った。そして、世界を認識する、確かな意識さえも――


 大きな勝ちどきが上がる。命の奪い合いは、人の子らによる収奪という結末で幕を閉じた。血に染まった衣服とは対照的に、彼らの表情は春に吹く風のように爽やかだった。急先鋒を見事に務めた青年が、戦士達の輪の中心にあって持て囃される。先程の険しさが嘘のように、年相応のはにかみを見せていた。


 血で血を洗う、骸に塗れた営みの狭間に訪れる、戦士達のささやかな小休止だった。



―――



 荒涼なる大地に、剣山の如く峻険なる山々が連なる国パスク。かつては青々とした草原が広がり、遊牧民族が牧羊をして暮らす、牧歌的な国だった。だが、そんな景色は次第に荒れ果て、今では荒漠なる乾地だけが広がる。


 屹立きつりつする山と山の間を縫って続く麓に、舗装された街道が伸びる。まだ健在だった頃の遊牧国家パスクと、その隣国にして文明大国と謳われるアウラとを繋ぐ、主要な交易路として利用されていた道だ。


 崖のように切り立つ連脈で囲われ、うねって伸びる街道。それが隘路あいろとなる頃、蓋を閉じるかのようにして建てられた、堅牢な関門が設けられていた。


 固く閉ざされたその関門は、およそ頻繁な開通を前提にしていない程に、重く鈍い鋼鉄の門扉で閉ざされていた。それは最早、要衝の姿ではない。まるで何かを塞き止める蓋のようだ。


 関門の南側は関所然としており、幾つかの丸太小屋と、円形の広場が設けられていた。その広場の中央には一人の青年が剣を振るい、額に汗を滲ませる。一息入れ、風に涼んだ。季節は仲秋、肌に感じる風は涼しく、穏やかな気候が続く。


「こういう天気に限って、出るんだよな……」


 空を見上げ、青年は呟く。空は薄墨色にくすんだ曇天が、陽の光を遮っていた。まだ昼間にも関わらず薄暗く、否応なく気分を沈ませる。そんな落ち込んだ気分を払うため、青年は修練に強く打ち込んでいた。


「精が出るじゃないか、アクセル。だが、あまり無理をせんようにな。体力は取っておけよ」


 アクセルがその剣を振るう手を止める。額から流れる汗を、首に掛けた布切れで拭った。


「ジェラルド団長、やはり……」


「恐らくな……この頃、魔物が妙に活発だ」


 ジェラルドと呼ばれた大柄な男は、隆々とした体躯に掘り深く優男な顔立ち。麻布のシャツを纏い、厚手のデニムに砂利道や泥濘にも堪えるブーツを履き、手首まで包帯を巻いたその手には、一条の槍を携えていた。その姿はまさしく戦士の風体。


 ――そのジェラルドが“魔物”と呼ぶのは、尋常の動物とは一線を画した極めて凶暴な生態を有する生物の総称。千年前に突如として現れ、今以って大地を荒らし尽くす蛮獣。魔物が跋扈ばっこする地域では、従来の食物連鎖は完膚なきまでに破壊されてしまう。パスクの大地が人間はおろか植物さえも生育できなくなったのは、偏に魔物の暴威が原因だった。


 そんな災厄とも形容される魔物の侵入を防ぐため、アウラは山峡の低地に敷設されたパスクとの交易路、その国境線上に頑強な関門を建設。そして、ジェラルド率いる兵団が駐屯する場所をアウラ第二国境駐屯地と呼称された。アクセルはそこに駐屯して警護し、強襲する魔物を迎え撃つ“駐屯兵”を務めていた。


「……お、そういやアクセル。お前を訪ねてアウラから二人の女性が来てるぞ。なーんだ、なんだ? お前も隅に置けん男だなぁ」


「僕を、ですか? 誰だろう、わざわざこんなところまで訪ねてくるなんて……あ、いや決して恋人とか、そういうのは居なかったんで」


「ま、さっさと行って来い。なんであれ、女を待たせちゃ男が廃るぞ」


 納刀して滴る汗を拭くアクセルは、ジェラルドに言われるがまま、簡素な詰所へと向かう。そもそも、この関門に客人が来ること自体が稀であり、窓口の役目を持った二階建ての詰所も、日常では駐屯兵たちの休憩所や倉庫などとして利用されている有様だ。


 玄関を入ると、中は飾り気がなく質素な趣。開けた広間の中央にはドーナツ型の半円卓が置かれ、一応窓口の体裁が整えられていた。


 その窓口の前には、男だらけの無骨な場所には不釣り合いなほど華のある、二人の女が立っていた。

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