6-3

 意識が溶けるように消えていく。

 知覚できるものが無くなり肉体の感覚が虚ろになっていく。

 聖条君の抉り出された心臓を目の当たりにして、私の精神ココロは外界を認識する事を放棄した。

 ……おかしな話だ。

 生物の臓物なんて見慣れているはずなのに。

 どうして彼の心臓を見ただけで私はあんなにも衝撃を受けたんだろう…?


『当たり前じゃない。だってあなたは――――――』


「え?」


 意識が再び覚醒した時、その世界に私は在った。

 底の無い奈落のようにも、果ての無い天の彼方のようにも思える境地。

 ここは―――なんだ?

 美しいモノも、醜いモノも。

 光輝を宿すモノも、暗影を孕むモノも。

 巨大なモノも、矮小なモノも。

 老いたモノも、若いモノも。

 オトコもオンナも。

 無機物も有機物も。

 現実も幻想も。

 世界の全てが―――何もかもが存在しているが故に何もかもが無くなってしまっている領域。

 この世界を適切に形容する言葉が見つからない。

 眩い光が生じたと同時に暗く深い闇がそれを飲み込んで互いに消滅してしまった。

 今度は逆に暗く深い闇が生じた同時に眩い光がそれを焼き払って互いに消滅した。

 他にも其処彼処そこかしこで似たような事象が起きては対消滅を繰り返していた。

 後に残るのは虚ろな空だけ。

 これは、おそらく虚無でさえないのだ。

 見る事も、聞くことも、触れる事も、嗅ぐ事も、味わう事も出来ない。

 形容する事の意味も価値も無い『 』の世界。

 ありとあらゆる事象がある世界の中枢。

 ココでは在るという事が異常なのだ。

 そんな世界の中に私は天元真理という形式を保ったまま存在していた。


「なんなの、ココは?」


 この世界にとって云わば私は招かれざるモノ、異物のたぐいだ。

 私自身もそんな世界の中で存在している事には拭いきれない違和感が付き纏っていた。


「とにかく、早く戻らないと…」


『戻ってどうするというの? なにも出来ずに彼を守り切れなかった役立たずのアナタが、戻ったところで何をしてあげられるというの?』


「―――!!」


 水面に波紋が広がるように、世界そのものに何者かの意思が波及していく。

 それが誰かが発した声ではなく、世界そのものから発せられたモノだと気づく。

 そもそも今の私に肉体なんてないのだから、ココでは何かを見聞するなんて出来る筈もない。

 ならばこれはなんだ?

 識った者に無垢だと思わせるほどの深く暗い闇。

 神聖なまでの邪悪な気配を漂わせるその意思には、おおよそ人間らしさなどというものは無くて。

 それはどこか懐かしくて、同時にとても恐ろしいような―――。


『ワタシがアナタを彼方あちらの世界へ送り出したのは何のためだと思う? 外の世界の出来事なんてワタシ達は興味はないはず、そうでしょう? アナタは貴方の役目を満足に果たしていれば、それでよかったのに。』


 ソレはとても残念そうに落胆していた。

 出来の悪い子供に失望した親のように、私に淡々と落胆の意を吐露する。

 何もかもを知ったかのようなその口ぶりに対して私は無性に腹が立ち、糾弾の言葉を叫びながら噛みつきたくなる。


『知っているに決まっているじゃない。だってアナタは■■■なんだから。』


「え――――――?」


 唐突に教えられたその真実に愕然とする。

 しかし、知ったはずの真実は次の瞬間には私の中から消えていた。

 自分の中から抜け落ちたその情報を拾い集めようと試みるも、認識した途端即座に思考回路にノイズが走り、私の中から消去される。

 残ったのは心に生じた衝撃だけ。


『この時点でアナタがその情報を認識する事は出来ないわよ。だってそういう構造で創られているんだから。』


 わけのわからない出来事に冷静さを保てない。

 なんだこれは……私の中でいったい何が起きて―――!?

 困惑する私の事などお構いなしに世界は訥々とつとつと語り続ける。


『今は少し眠っていなさいな。これから貴方の代替を彼方あちらの世界に向かわせて、アナタの造りも今よりマシになるようにゼロから創り直してあげるから。事が終われば、また彼の傍に戻してあげるわ。アナタにそれ以外の価値は求めていないのだし。』


 瞬間―――、深く暗い死の気配が世界を染め上げていく。

 あらゆる生命が忌避せざるおえない濃密なまでの悪性の闇。

 泥のような死滅の現象が津波のように私に覆いかぶさり、私の魂魄総身こんぱくそうしんを包み込んでいく。

 私のこれまでの世界が、壊されていく。


 始まりの罪は空虚である事の脱却。

 即ち善と悪を作り出した罪。

 苦しみを生み出し、楽しみを生み出し、数多の感覚を享受する。

 礼賛と侮蔑をもって、あまねく事象を甘受すると同時に排斥する。


 五悪の種別とは殺生、偸盗ちゅうとう、邪淫、妄語、飲酒おんじゅである。

 十悪罪とは以下の殺生、偸盗ちゅうとう、邪淫、妄語、両舌、悪口、綺語、貪欲、瞋恚、邪見である。

 五逆罪とは即ち、殺母せつも殺父せつぷ殺阿羅漢せつあらかん出仏身血しゅつぶっしんけつ破和合僧はわごうそうなり。

 生きている罪、与える罪、死んでいく罪、奪う罪、我欲を抱く罪、物を作る罪、理性を抱く罪、物を壊す罪、嘘を吐く罪、何かを愛する罪、真実を示す罪、何かを憎む罪。


 あらゆる罪を祓う為に適切な罰の執行を求める。

 即ち絶対主義、相対主義、併合主義の下に形成された罰の執行。

 生命刑、人の生命を奪う刑罰で死刑。苦痛を与える残虐な方法として凌遅刑も考慮。

 身体刑、人の身体に対して苦痛を与える刑罰。杖刑、笞刑、入れ墨をする黥刑、身体の一部を切り落とす肉刑・宮刑。

 自由刑、人の身体の自由を奪う刑罰。追放・居住制限・拘禁(懲役や禁錮など)を内容とする刑罰。

 追放刑には、一定区域への移動を禁じ、移動・居住の自由を奪う罰であり、追放先で労役を科す事もあり。

 財産刑、財産(財物・金銭)を奪う刑罰。罰金と科料と没収。

 名誉刑、人の名誉を奪う刑罰で公権の停止。

 死刑、懲役、禁固、拘留、罰金、科料、労役場留置、没収、追徴。


 終わりの罰とは空虚への入域である。

 即ち善と悪を殺した罪。

 苦しみを殺し、楽しみを殺し、数多の感覚を排除する。

 侮蔑と礼賛をもって、あまねく事象を排斥すると同時に甘受する。


 しかして、それもまた罪である。

 故に新たに罰を与える。

 ―――壊れろ。

 古い罪を新たな罪で塗り替えていく。

 徹底して造りの悪い欠陥法則を破棄した後に損壊した部分を新たな法則によって補填、補強する。

 ―――死を以てして償え。

 溶解して変形した部分を洗練化させるために再度の刑罰の執行を試みる。

 不徳の浄化を為して、更なる苦しみに耐えられるようにより大きな苦しみを以てして耐久性の向上を図る。

 ―――消えて無くなれば許される。


「いや!!! やめて!!! こんな事は知らない!!! 知りたくもない!!! 私はそんなものを飲み込めるようには出来てないの!!!!」


 苦痛による拒絶を拒絶して対象を新生させる。再生では意味が無い。

 壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ。

 同じてつを踏む事を防ぐために既存の構造を一新する。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 更なる性能の向上を求めるには現在の善性と悪性の質量では不足と判断。新たな罪と罰の追加を求める。

 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ。

 対象の性能向上を確認。しかし規定の領域に達していない為、創造と破壊を繰り返し実行する。

 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。

 お前は不出来だ、汚く醜く、壊れろ、下らない、死ね、だから創りなおされなければいけない、消えて無くなれ。


「イヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァ!!!!!!!!!」


 悪意という名の毒の海にありのままの姿で投げ出され、呼吸ができず、魂があらゆる苦痛に苛まれていく。

 死にたくなるほど痛く、苦しいのにそれでも壊れず、死ねず、滅べない。

 その事実に、私は気が狂いそうになる。

 いっそ殺してくれればそれはどんなに素晴らしい快感が伴うのか―――そんな破滅的な思考が頭を埋め尽くしていく。

 こんなにも終わりを望んでいるというのに、そもそもどうして私はまだ生存していられるの?


『もう……そんな事を私が許すと思うの? アナタにはもっと頑張って貰わないといけないんだから、簡単に死なせて終わりへと辿り着かせる訳ないじゃない。たとえ辿り着いたとしても、またすぐに生み出して創ってあげるわよ。』


 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故? 何故?

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――――――――――!!!

 壊れた時計のように同じ事を叫び続ける。

 この苦痛と絶望に納得のいく答えが欲しいと嗚咽交じりに渇望する。

 そうでないと自分がまた消えてしまう。何度も殺されたのにまた生み出されては消えていく!!

 その理不尽を飲み込んで耐えるだけの理由が欲しい!!!

 そんな私の願いを汲み取ったのか、世界が謳うように口ずさむ。


『彼の傍にいて、彼を支えて、彼を導いて、そして最後には―――』


 その言葉の先に、おぞましい未来を予感した。

 その先をってはいけない。

 それはとても、私にとって非道い事のように思えたから――――――!!!


『彼をこわす為―――そうでしょう? ワタシの真理。』


「ぁ―――――――――。」


 小鳥のさえずりにも似た小さな悲鳴が私の口から洩れる。

 自分への失意にあらゆる力が抜け落ちていく。

 その後はもう何もできなくなった。

 悪意に蝕まれる事に精一杯の抵抗をしていた私の身も心も魂も、その瞬間に何もかも放り出した。

 僅かに残っていた篝火にも似た知性がヒトとしての形式、を保テ、ナ、クナ、ル――――――。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 天元真理の真実はそこでついえた。

 後に残るは更なる地獄めぐりだけ。

 この世の全てを飲み込めるように成るため、苦しみが敷き詰められた果ての無い真理わたしの旅が始まった。






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