6-1

「フハハハハハハ!!!」


 火薬庫が爆発したかのような大笑いに比例するように白法衣の男の攻撃がどんどん強く、速くなっていく。

 これまでなんとか喰い下がっていた真也も瀑布の如く襲い掛かる拳蹴の乱打を前にして徐々に押され始めた。

 防御に使用していた手足は青く腫れ上がり重度の内出血を起こしている。

 あれでは体を動かす事も億劫になる位の痛みがつきまとうだろう。

 とてもではないがこれ以上、戦闘を続行する事は無謀だ。

 何とかしてこの場を切り抜ける算段を立てなければ……!


「おや、我々から逃げようとしても意味はありませんよ?」


「ッ…!!」


 こちらの意図を事も無げに読まれたことに心臓を鷲掴みにされるような恐怖を覚える。

 私と彼を簡単に逃す事はない。年若い小僧と小娘風情に裏をかかれて逃げられるほど稚拙では無いとでも言いたいのか。


「そのような事をしなくとも彼がこちらに向かってきている以上、此度の催しはそろそろお開きになります。お帰りになるのであれば下僕の一人でもお呼びになればよろしい。そう焦らずとも良いのですよ?」


「え?」


 私達の心境を更に絶望に追い詰めるような苦境へと引きずり込むのかと思いきや、この黒法衣の魔術師は帰るのであれば帰ってもよいと、そう口にしたのだ。


「座興にしてはそれなりのクオリティだったと自負していますが…あぁ、いけないな。慢心は成長の機会を摘み取ってしまう毒薬の別名だ。この程度の物語で貴女を満足させたなどとは申しませんよ。次はもっと面白い舞台をご用意いたしますので、それまでどうか辛抱していただきたい……。」


「何を、言って……」


 魔術師は相も変わらず私ではなく私の奥底に向かって語りかけてくる。

 まるで天元真理の深奥にはがいるとでも云わんばかりに。


「さて、陛下。そろそろ終劇の頃合いです。我々も帰陣する支度を致しましょう。貴方もまだ本調子ではないのですから、あまりはしゃがないでください。このようなところでせっかく良い玩具になるかもしれない逸材を台無しにしてしまうのは貴方とて本意ではないでしょう?」


「ハッ! そう言ってくれるなよ、アルギロス! 宴も竹縄にするには早かろう? せっかく盛り上がってきたのだ。これからそこの小娘も混ぜて更に過激な戦火を起こしてやろうではないか!!」


「あぁ……いけませんな、これは」


 昂る白法衣の男の獅子の咆哮にも似た宣言に、さも頭が痛いと言わんばかりに頭を振る魔術師。


「今のは下手をうちましたよ。この国の古い武神を怒らせる程にはね」


 次いで稲妻にも似た閃光が魔術師の頭上で瞬くと頭上から振り下ろされた一刀にて魔術師の体を縦に斬り裂いた。

 数十メートルの高さから落雷にも等しい速度で降りてきたのはいわおの如く鍛えられた体に淡雪のような白い羽織を纏う老人だった。

 ゆらりと立ち上がる動作には巨大な獅子を思わせる勇壮さが匂い立つように漂う。

 天元家の当主、天元理道が雄然と戦場に馳せ参じた。


「師父……!」


 突如の来訪者に驚き交じりに安堵の声を発する真理。


「すみません、師父。しくじってしまって、こんな体たらくを…」


い。それ以上はもうしゃべるな。ここまでよく持ちこたえた。あとはワシに任せて下がっておれ」


 数多の戦場を駆け抜けた歴戦の武人が労わるように穏やかで、しかし雄々しく愛娘の傍に降り立ち毅然と敵手と相対した。

 理道が携えている武器は都合二つの刀剣。

 腰に差している大刀は性能だけを突き詰めて制作された実直なまでの無骨さを兼ね讃える神懸かみがかった黄金律の拵えをしており、人間の世に在る事が異常だと思わせる歴史の重さと神秘的な風格を宿している。

 先ほど魔術師を両断したもう一振りの日本刀も腰に差している大刀ほどの格の高さは感じられないものの、成ってから数百年が経過しているのか、相当数の年月にさらされた器物特有の玄妙な風格を有している。

 強大な武力を持ちつつ、深い慈悲の心を宿す者にしか務まらぬ猛きにしてたけき武辺者。

 老人はこの国ではとうに廃れた武士さむらいという概念を見事に体現していた。


「さて…聞き違いかのう? ワシの前で愛娘を災事に陥れるなどと戯けた発言が聞こえてきたのだが?」


 口から出てきた言葉には静かながらも確かな怒気が込められていた。

 普段から溺愛している孫も同然の愛し子に手を出されれば激さずにはいられないだろう。

 手塩にかけた弟子が悪戯に潰されるとなれば師匠としての面においても到底看過できない。


「ほう? 貴様が日ノ本の最後の武神、天元理道か。噂にたがわぬ強壮ぶり、実に見事だ。日本三大妖怪をはじめ、復活した八岐大蛇ヤマタノオロチの封印、祟り神としての管公かんこう天満大自在天神てんまんだいじざいてんじんの調伏など成し遂げた偉業の数には枚挙が絶えないと聞く。察するにそこの小娘の救援に来たといったところか。」


「今宵、ここで百鬼なきりの行列ができるという情報があったので、ちょっとした鍛錬も兼ねてこの子を送ってみたが……結果はご覧の在り様だ。ワシの直感も耄碌で衰えたか…まさか西洋の怪物が跋扈するワイルドハントだったとはな。貴様らが首謀者と推測するが…どうやってやしろの連中の目を欺いた? 間者スパイの類でも忍び込ませたか?」


「さて、それについてはオレも全く知らなくてな。今しがた其方が斬った者が手引きをしていたからソレに聞くといい。なぁアルギロスよ?」


 まるで友人に語りかけるような気軽な口調で二つに裂かれた死体に語りかける。

 死人に口なし。死んだ者が言葉を紡ぐことも無いのは当然。そのはずだったが…。


「やれやれ…あなたはいつも茶目っけが過ぎるきらいがありますな、黄金陛下。毎度の事ながら私も貴方の配下もその無茶なノリに付き合いきれるほど出来の良い造りはしてないのですよ? これでは身が持たないというもの…。少しはご自身の器が特殊過ぎるという事実を鑑みて頂きたいものですな。」


「ほう…?」


 両断された死体が地面に溶けて消えると同時に白法衣の男の隣に大量の水銀がゴボゴボと音を立てながら湧き出てきたと思えば、先ほど理道に殺された魔術師が傷一つない姿で出現した。

 確かな手ごたえと共に切り捨てた筈の敵手が当たり前のように黄泉返りを果たしたことに驚きを隠せない。

 何のことは無い、大抵の不死性とは常軌を逸した回復能力の高さに物を言わせて常人の理解が及ばない速度と精密さで傷を回復させているだけに過ぎない。

 それが人間の知性にはまるで理解できないレベルの高い回復力なものだから多くの衆人大衆はまるで瀕死の重傷を与えても死なないと誤認しているに過ぎない。

 その真実を理道は十代半ばの年頃に気づき、いくつかの対不死への技術と策を練り上げた。

 回復速度を遅延させたり、回復性能を過剰に高めて自滅させたりと、その手腕は多岐に渡る。

 先ほどの一太刀には古代日本の冥界の呪詛が籠った札を使い捨てる形で用いた。

 日ノ本において最も有名な冥界の神の人柱の想念が籠った…いわば神の御業による一撃は如何な生命体でも死を免れる事は出来ない。

 それこそ神話に登場するような竜や魔獣、幻獣はおろか神でさえも例外ではない。

 不死の人外を幾度も相手取り、仕留めてきた歴戦の兵である理道からしてもこれは異常事態と言える。


「そこな貴様――――――如何様にしてワシの一太刀をやり過ごした? 現代の人間の業でどうにかできる事ではないぞ?」


「やり過ごしたなどと…それほど上等な行いはしていませんよ。あなたは確かに私を殺したのです。えぇ、それは間違いないと申しておきましょう」


「フン…戯言を抜かしよる」


 魔術師の飄々とした言い草に苛立ち、舌打ちをする理道は警戒心を更に高める。

 使


「本来なら百鬼夜行もワイルドハントも危険度においてはさしたる差異は無い。違いがあるとすれば西洋で起きたか東洋で起きたかくらいだろうさ。ワシも幾度か立ち会った事があるが一般人にとっては脅威でも、こちらの世界に関わる者にとってはそう警戒すべきものでもない。もし運が悪く出会ってしまったとしても中堅程度の腕前があれば…まぁ、ギリギリ生き残れる怪奇現象でしかない。―――だが、此度のワイルドハントはこれまでのものに比べると現れた怪物の数が桁違いだ。いくらワシが手ずから鍛えた真理この子でも多勢に無勢になる勢いだったのう。あれほどの数を世界各国が抱える魔術組織に悟られずに揃えるなど、現代の魔術師にはとてもではないが不可能だ」


 常識を超越する事に長けている魔術師でも越えられないモノがこの世には確かにある。

 それは人と人とのつながり、金銭のやり取り、物資の流通の記録などがそうだ。

 科学者が研究開発の為の資金を必要とするように魔術師という名の学者も自分の研究に没頭する為には相応の資金や施設、物資が必要になる。

 そして金銭とは基本的に人とのやり取りでしか手に入れる事が出来ないのが表であろうと裏であろうと避け難い道理である事は言うまでもない。

 国の深部に根付く大小問わぬ数多の魔術組織の監視の目は物理的にも概念的にも高度な監視体制であり、人の往来、屋内における会話、些末な物なら食事の献立まで把握していても不思議に思われないほどのものである。

 ましてや人と人の間で行われる多額の金銭のやり取りなど見逃されるはずも無く、その情報を利用して優位な立場に立とうとする者も後が絶たない。

 今も昔も大規模な魔術を研究、及び行使するためには多額の金銭が求められる以上、これら魔術師の監視網を掻い潜るのは至難の業だ。

 今回のワイルドハントは世界でも有数の法治国家、この世で唯一成功した理想郷と謳われた日本の首都で起こった上に、世界各国の魔術組織がそれに気づくことが出来なかったという事実は端的に言って前代未聞というしかあるまい。


「答えい、其方そちは如何様にして此度の狼藉を隠蔽した? 虚偽は許さん」


 日ノ本最強の武者、天元理道の神髄の一端が顕現する。

 彼の放つ気迫に空気がざわつき、地に亀裂が奔りはじめる。

 誰しもが知っている当たり前の認識の一つである『物理法則は人間の意志力だけでは基本的には突破できない』という常識がいとも容易く粉砕されていく。

 理不尽が魔術師と暴虐の君に悠然と屹立きつりつする。

 気迫だけで物理法則を歪め、捻じ伏せ、意のままにしてしまう程の想念。

 それ程の意志力を目の当たりにして正気を保つことはおろか彼の意に逆らい、嘘を並べる事が出来る人間など常識の範疇には存在しないだろう。

 彼の気迫には虚飾を紡ごうとする悪心を物理的にも概念的にも真っ向から踏み潰す重圧があった。

 その出鱈目なプレッシャーを前にして、魔術師はより一層笑みを深める。





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