5-7

 夜の静寂が横たわる吸血鬼の骸に寄り添うように包み込んでいた。

 もうじき、あの死体は灰になって消えるだろう。

 伝承に曰く、吸血鬼の死体は基本的に放置しておけば跡形も残らず消滅するのだそうだ。

 その性質上、死体を鹵獲する事が難しく、吸血鬼が最も盛んに活動していたとされる十二世紀においては吸血鬼対策を講じるのは難航を極め、攻略が遅れてしまい吸血鬼の更なる跳梁跋扈を許してしまったという記録が残っている。

 夜の支配者、命無き王、神の呪いを受けた忌み子。

 幻想の中において最強の種の一つとして数えられる怪物。

 しかし幻想の中では強大であっても現実の中ではそうとは限らないのか。

 結局はこのような無惨な最期を晒す羽目になっている。

 悪い夢が夜の暗闇に溶けて消え去って行くように、人々に怖れられた吸血鬼という名の幻想も消えていく。

 あの吸血鬼は高慢で悪辣な貴族の悪習を体現していた典型的な貴族のソレだった。

 どれだけ実力が伴っていても尊さが無い生き方の果てにはあのような無様さしか待ち受けていないのだろう。

 悪因悪果あくいんあくが天網恢々てんもうかいかい

 悪質な行動の果てには悪質な結果しか待ち受けていない。

 そんな簡単な真理もあの吸血鬼は知らず、弁えていなかったのだ。


(滑稽ね…。自分が無様な生き物であるくせに、それさえ知らずにあんな風に思い上がれるだなんて。)


 小物が強大な力を持つと禄でもない事にしかならない。

 どこの誰だか知らないが、あのヴァンドレッドとかいう輩に余計な事をしたせいで、こちらはとばっちりを受けて、ひどい目にあったのだ。

 人間が吸血鬼になる方法は数が限られてくる。

 一つは吸血鬼に血を吸われるか、もう一つは魔術を用いて吸血鬼化するかだ。

 前者であれば今回以上に強大な力を持った吸血鬼が待ち受けているだろうし、後者であれば性質タチの悪い魔術師が後ろに控えているという事だ。

 どちらにしても一筋縄では解決できない問題になるだろうから、今は考えることさえ億劫になる位には頭の痛い話だ。

 だがいずれ―――必ず見つけ出して相応の報いを与えてやる。

 私の■■■に手を出したことを絶対に許さない。


(……?)


 今、自分は何を考えていたんだろう?

 僅か一瞬だが、思考にノイズが走って記憶が曖昧になっている。

 体感的に肉体の疲労はそこまで酷いものでは無いと思うのだが、自分でも気づいていない疲労の蓄積で肉体はまいってしまっているのかもしれない。

 兎にも角にも、今日は大仕事だった。

 さっさと家に帰って温かいお風呂にでもゆっくりと浸かろう。

 そうすれば少しはマシな気分で眠りにつけるだろうし。

 明日を穏やかな気持ちで迎える事が出来るだろうから。

 踵を返して帰路に着く。

 先に行く私の後を追いかけて着いてくる彼の気配を背中に感じる。

 普段の私なら誰かが背後に立ったりすることを許さないのだが、今日はどうしてか背中に誰かの気配がある事が心地よいと思ってしまう。

 …まったく、どういう心境の変化だろう。

 今日は予想外の大仕事だったから、きっと背後に注意を払う事も嫌になってしまうくらい疲れているんだろう。

 荒事の際には行住坐臥ぎょうじゅうざが常在戦場じょうざいせんじょうを心掛けなさい、と師父によく言いつけられていたが…今だけはこの不思議な心地よさに身を任せていたいのだ。

 心と足取りは軽やかに。

 歌いたくなるような小気味良い快さに包まれながら私は歩を進めていった。


 ―――――――――刹那、


『誰が立ち去って良いなどと許可を下した? うつけが。』


 宇宙を粉砕するような覇気に満ちた意思が私達に向けて放たれた。


「ッ!!!」


 殺気、いやこれは狂気?

 空間がざわめき、軋みを上げてたわみながら、歪んでいく。

 宇宙そのものが、ひしゃげて圧殺されていくような感覚。

 もうやめてほしい、耐えられないと世界そのものが悲鳴を上げている。


「な…ん……だ…? これ…?」


 彼…聖条君も、異常を察知したのか常軌を逸した気配が漂ってくる方に視線を送っていた。

 ひび割れて、砕けていく空。

 引き裂かれるようにして崩落してく空の裂け目から、何かが這い出ようとしている。

 天を引き裂き、地を蹂躙する、おぞましいまでの何かが―――。


「下がって、聖条君!」


 彼を咄嗟に庇う様にして私の背後へと下がらせる。

 先ほどの吸血鬼が放っていた凶念など赤子のそれとしか思えないほどの意思。

 この世に存在する全ての悪意を地獄の窯で煎じ煮詰めたかのような……狂気などと評する事ができない程の魔性の気配。

 それでいながら、なぜか神聖にして荘厳な光輝の気質を讃えているのは一体どういう事なのか……?


「ほう? その体たらくで此方コチラに対して敵意を向けるか。健気な事だ。」


 聞こえてくるのは壮麗で雄々しい、強大さと美しさを兼ね備えた男の声。


「でしょうとも。彼女は私が見初めた麗しの君。この世の誰よりも美しい華なのですから、斯様に彼を庇い立てするような行動をとるのも当然かと…。」


 次いで聞こえてきたのは先の声とは対照的に全く覇気のない声音。

 男にも女にも老人にも赤子にも思える、どこまでもあやふやで曖昧で茫洋とした印象しか与えられない芯の無い弱々しい気配。

 人という種が思い描く善良さを形にしたかのような儚く脆弱な光。

 しかし、それでも予断を一切許さない得体なき深淵な気配が漂ってきている。

 まるで世界そのものに奈落めいた深い穴を穿つような、捻れ曲がった善性。

 ただ其処に存在しているだけで世界に歪さをもたらす極限の弱さ。

 世界にとっての異物としか言えない程の歪さを抱えた存在が、ワタシ達の前に現れた。





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