第19話 黒衣の僧侶
朧木がさくらを教会まで送り届けたあとの帰り道。
朧木はチラリと近くの電線を見た。頭がしゃれこうべの鳥が来ている事を確認している。彼は行動を監視されているのに気がついていた。
「さて、普通にしていては仕掛けてこないだろう。誘いかけてみるか」
朧木はぶらりぶらりと町中を歩く。彼の目的地は決まっていた。
朧木が訪れたのはいつもの店。『女狐CLUB』だった。
朧木が扉を開けて店に入る。
「あら。良介ちゃんじゃない。いらっしゃい」
ジュリアが朧木に声を掛ける。
平日の為か、店の中はまだ空いていた。朧木は真っ直ぐにジュリアの正面のカウンター席に座った。
「やぁ、今日は予定があるが、立ち寄らせてもらったよ。なにか軽く食べるものがある?」
朧木はジュリアに尋ねた。ジュリアが怪訝な表情を浮かべる。
「うちは料理屋じゃないからおつまみになるようなものしかないよ?」
朧木は「それでいい」と笑った。
「どこに立ち寄るか迷ったが、いつものところがいいかなとね。少しだけ時間を潰させてもらう」
「そうよね。このあとの予定が押しているの?」
「すぐに片付ける仕事さ…」
そう告げる朧木の瞳には覚悟の光が宿る。
「お仕事なんだ?なら、珈琲も付けようか」
ジュリアが背後の棚を漁る。
「ちょうどいい。ありがとう。それで頼む」
ジュリアが調理を始める。
「今回の仕事は楽な仕事ではないの?」
「何時だって楽な仕事なんかいないさ。今回は気を引き締めていく。用心するに越したことはないさ」
朧木はジュリアから出されたサイコロステーキを受け取る。続いて珈琲が差し出された。
「これならいいでしょ? ご飯とかはないよ」
「十分さ!」
朧木は出された料理にありついた。
2時間後。
「長居してしまった。また来るよ」
そう言って朧木は店のドアを開けて出てきた。足取りはフラフラだ。布で包まれた何か、おそらく霊剣を杖代わりになんとか歩く。
「おっと、飲みすぎたかな…」
お店の置き看板に倒れかかるようにもたれ掛かる。その姿は泥酔している姿そのものだった。
「ちょっと公園で休んでいくか…」
朧木が独り言のようにそう呟く。
そんな様子を頭が髑髏の鳥が見ている。朧木は気がついているのかいないのか、気にも介さず歩き始めた。
大通りから外れた人気のない公園。朧木はベンチの上に横たわる。酔って寝ているようにも見えた。
暫くして、ジャリッジャリッと何者かが近付いてくる。
「ほっほっほ。無様な姿ですな、陰陽師!」
黒衣の僧侶だった。
朧木は起き上がらない。
「おやおや、しこたま飲まれたようですな。このような状況で飲酒とは余裕がお有りで…」
黒衣の僧侶は嘲笑する。その背後から影法師達が出てくる。
「お前たち。やってしまいなさい」
黒衣の僧侶が影法師達に命じる。影法師達はベンチで寝ている朧木を取り囲む。
影法師達が一斉に斬り込む!
ザン! 何かが斬られる音。影法師の一体が倒れ伏す。
「な、なんだと…」
黒衣の僧侶が驚愕する。
「やれやれ。酔ったふりをしてみるものだな。僕は酒を飲んで仕事をする癖があるから、酔ったふりをしているとは思いもしなかったろう」
霊剣を手にした朧木が立ち上がる。影法師達が怯み後ずさる。
「まさか誘い出すために演技を?」
「卑劣な手段に講じる輩だ。こちらが万全の体制では仕掛けてこないだろうと思い、泥酔した振りをして仕掛けてくるのを待たせてもらった。貴様らはこの場で討たせてもらう」
「おのれ! 小癪な。やれっ、やれ! やつを切り伏せろ!」
黒衣の僧侶が影法師達に命じる。三体の影法師が一気に朧木へと斬り掛かる!
ザシュッ、ドカッ! と立て続けに音が鳴る。ばたり、ばたりと二体の影法師が地に伏せ塵へと消えてゆく。
「うぬぬぬ! ならば我が妖術を喰らえぃ!」
黒衣の僧侶がそう叫ぶ。全身から醸し出される闘気。圧倒的なプレッシャー。まるで巨大な何かを相手にしているような感覚。
「未知のものを相手にするから大きく見えるのだ。見越したぞ、黒衣の僧侶よ」
朧木は静かにそう告げた。
バチィッ! と音が鳴る。黒衣の僧侶の圧倒的な存在感が消えて失せてゆく。
「なっ、まさか私の妖術が破れる?」
黒衣の僧侶がニ歩、三歩と後退する。
「黒衣の僧侶。いや、見越し入道よ。お前の正体はもはやわかったぞ」
見越し入道。坂の上などに現れ、みるみる姿が大きくなるという。そのまま見続けると喉を食い破られたりする。対処法は「見破ったぞ」「見越したぞ」などと言うと良いと言い伝えられている。
「チィ! 正体を勘付かれたか! 生かしてはおかん!」
見越し入道が吠える。朧木は静かに深呼吸をした。
「・・・諸天善神に願い奉る。陰にひなたに歩く道。市井の者の静謐を守らんが為、我が行く手に勝利を」
朧木良介の祈りとともに行われる反閇。場が清められた。戦いの舞台は整った。
「先見越す 戦備えに 望む死地 背後を見せぬ
朧木が式神の符を投げ打つ。ひらひらと舞う式神召喚舞台が光り輝き、箱車を押した一人の侍が姿を表す。手にした刀は
モチーフは子連れ狼。
子連れ狼の拝一刀は本来は拝郷と言う姓であったが、武士が見せてはならぬ背後に通じるとして改名した。
その戦いは死地に赴く事を見越して様々な仕掛けを用いたこともあり、忍者さながらに多彩な戦い方をした勇士でもある。
その武士をかたどった式神。貪狼。
「ぬぅぅう、式神を出して勝ったつもりか? その身、引き裂いて腸を喰らい尽くしてくれるわ!」
見越し入道は怯まない。影法師達が一気に貪狼に襲い掛かる!
ダダダダダン! 勢い良く続く発砲音。貪狼の押す箱車に据え付けられたガトリング砲が火を吹いた!
あっという間に蜂の巣になる影法師達。皆地に倒れ、塵へと帰っていく。
「子連れの狼は只者じゃあないぞ。観念するんだな、見越し入道!」
朧木は腕組みをして成り行きを見守る。
「ええい! この時代の陰陽師になど遅れを取れるか! 式神共々引き裂いてくれる!」
見越し入道の手に鋭い鉤爪が生える。朧木へと襲い来る見越し入道。
迎え撃つのは質素な造りの刀を構える貪狼。
一閃。煌めく刀の光。すれ違う見越し入道と式神。
ザッ、と両者が互いに背を向け立つ。
静まり返る場。一迅の風が吹き抜ける。
「わ、わたしが敗れるだと……こんな、こんな若造の式神に……」
見越し入道は地に膝を付いた。ゆっくりと崩れ落ち、斃れる。
やがて見越し入道は黒い塵へと消えてゆく。
見越し入道はすでにいにしえから伝わる攻略法を用いられていた。それを和歌にまで練り込まれた時点で見越し入道に勝ち目は無かった。
「三度もやりあえば、いくら僕でも正体の予測ぐらいはつけられるさ」
朧木は静かに見越し入道が消え去った場所を見つめる。
その戦いの場を頭が髑髏の鳥が見ていた。見越し入道が敗れ去ったのを確認して、公園近くのビルの屋上まで飛んで行った。
ビルの屋上には一人の影。かつて朧木に仕事を依頼しに来たゴミリサイクル会社の経営者、塚原だった。
黒い炎が塚原を包む。あっという間に黒い着物の男の姿へと変わる。その姿は見越し入道が王と呼んでいた妖怪だった。
「見越し入道が敗れたか。全く、東の都の術者も飽きさせないものだ」
頭が髑髏の鳥が王のそばに止まる。
「王よ。すぐに戻られませ」
鳥はそう告げた。
「イツマデよ。お前が私のもとに遣わされたのは、何か伝言があるからではないか?」
王はイツマデと呼ばれた鳥に尋ねた。イツマデは返事を躊躇っている。
「王に奥方より伝言を預かっております」
「ほぅ。構わん。一字一句違えずに言え」
イツマデはまたしても躊躇する。
「かしこまりました。……いつまで、いつまで遊んで回っているの? このまま私を放置すると、口聞いてあげないんだから!」
イツマデは女性の声音を真似て喋った。王はイツマデの言葉を聞くなり「ハハハ!」と笑った。
「流石の私も妻には敵わんな。イツマデ。見越し入道の事業は一時撤退だ。やつが利用していた輸入ルートを抑えろ。再利用させてもらう。私は京の都に帰るとしよう」
イツマデがかしこまる。イツマデは飛び去っていった。王がビルの屋上から朧木がいる公園を見つめる。
「もう少し遊んでいたかったが致し方無し」
王はバッと背後の闇に跳躍する。その姿はあっという間に闇に紛れて見えなくなった。
朧木は公園で他に新手が現れないか様子をうかがっていた。他に戦力を隠している可能性は十分にあったからだ。
「他には何も出てこないか…なら見越し入道がオカルトドラッグ流通の黒幕か?」
朧木は辺りを見回した。先程までいたイツマデの姿は消えている。朧木はイツマデの監視に気がついていた。その事から背後にまだ何かがいる予感があったのだ。だが、彼らは後退していった。
朧木は無言で夜空を見上げた。月が出ている。雲はなし。良い夜空だった。
翌日。朧木探偵事務所には人が集まっていた。
先頭に魔紗がいて、朧木に詰め寄っている。狼男が妖怪に襲われたという話を聞いて憤慨していた。
「ちょっと、朧木! 大事な狼男に怪我をさせるってどういう事よ!」
「君の宗教は狼男と敵対しているんじゃあなかったのかい?」
朧木は魔紗の剣幕に圧されながら答えた。
「キリスト教の歴史を語る上では欠かせない妖怪の一種よ。彼らの存在が神秘の存在や正当性を解く為の鍵となるのだから、大事にするのは当然でしょ! ねぇ、狼男?」
魔紗は地べたで寝ている狼に尋ねた。
「それをなぜ俺に聞くよ? 狼男は傷の治りが早いんだ。大したことはなかったんだから、さっさと帰れよ!」
狼男は面倒そうに答えた。
「あんたを連れて帰れるならさっさと帰るわよ。それより朧木。あんた、最近吸血鬼まで退治したらしいじゃない? 何それ。私の領域の仕事でしょ。なんで知らせてくれないのよ!」
朧木は困った表情を浮かべた。
「吸血鬼に襲われてやむなく撃退したんだ。教会に助力を求める暇があったなら、そうしていたかも知れなかったがね」
と、弁明する朧木。そこにさくらがお茶菓子を持ってやってきた。
「魔紗さん。お茶うけにドーナツしかありませんが、よろしければどうぞ」
さくらが魔紗にドーナツを差し出した。
「あ、お構いなく」
魔紗は帰国子女であったが、日本人らしき受け答えを普通にした。
と、そこに事務所のドアが開かれる。やって来たのはフェイ・ユーだった。
「何のつもりだ? フェイ・ユー!」
朧木が思わず身構える。
「やぁ、朧木サン。たまには昼食でもどうかと誘いに来たね。良い中華料理屋を知っているヨ」
フェイ・ユーはニコニコ笑いながら朧木に話しかける。
「まて、フェイ・ユー。君はうちの商売敵だろうが! それは魔紗君も同じだぞ!」
「何を言うか。朧木サン。仕事は仕事。プライベートはプライベートネ。いつもカリカリしていたら気が休まらないよ」
「私もその中国人に同意見だわ」
魔紗はフェイ・ユーに同意した。
「ちょっと待て、フェイ・ユー! お前とは何度も戦った仲だろうが!」
何なんだお前はと言わんばかりの朧木の様子。
「まぁまぁ、朧木サン。聞いてくれヨ。うちの
フェイ・ユーの唐突な自分語り。
「いや、だから待てよ。半グレ道士。君の事情など聞いた覚えはないぞ!」
「つれない男ね。朧木って。さくらちゃんもそう思うでしょう?」
魔紗がフェイ・ユーの肩を持つ。話を振られたさくらは曖昧な笑顔を浮かべてごまかした。一応雇い主を悪しざまに言うような真似はしないようだ。
と、そこにトコトコと猫まんがやってきた。
「良介や。朝飯を食べ忘れたよ。あの子に猫缶を出してくれるように頼んでくれないかね」
「まぁっ! 猫まんったら! 自分で猫缶を開けられるでしょ!」
さくらが猫缶を持ってきながらそう話す。彼女は猫用の餌皿に猫缶を開けた。
「猫は缶詰を開けないものだと言ったのはお前さんじゃあなかったかいね?」
猫まんはエサをわしわし食べ始める。
そんな事務所内の様子を朧木が見ている。
「僕の気が休まらないよ…」
「朧木サン。私の話を聞くよ?月魄刃の術には欠陥があるよ。魂から練り上げる術だから、あれは僅かに寿命を減らすネ。道教の術を使うなら、『遠あての術』を使うと良いよ。コウネ!
フェイ・ユーは空中に剣指で砕と描いてから空き缶となった猫缶に飛ばす。
猫缶はベコっとひしゃげてカラカラと転がっていく。
「ちょっと待つんだ、道士。サラリととんでもないことを言うなよやるなよ。月魄刃はかつて友人だった人物に教えて貰ったんだ。気に入っているんだよ!」
「強力な変わりに命を削るヨ。日本で言うところの言霊の力を借りた遠あての術をオススメするネ」
「わかった、わかった。その術は覚えておくよ! 何なんだよ、君は一体!」
「しがない求道者の中国人ネ。私も日本の術を学びたいよ。朧木さんの符術、かなり強力ね。あれは何カ?」
「あれは和歌を使うものだ。五、七、五、七、七のリズムで謳うのさ。言葉の力を強く使う」
「へぇ。キリスト教で言うところの、ロゴスかしらね。イエス・キリストは言葉のお力を持つお方。言葉の力は当然重要視されているわ」
魔紗がそう話を付け足した。
「符には字を書き刻むネ。当然言葉の力は借りているヨ。朧木さんの符術には厳格なルールがあるネ。きっとそれが強さの秘密カ! 覚えておくヨ!」
「僕は何故商売敵と親睦を深めているのだろう…」
と、朧木の横にさくらがやってくる。
「もうすぐお昼ですけれど、何か頼みます?」
「やれやれ、そうだな。何か出前で頼むか」
餌を食べていた猫まんが顔を上げる。
「良介、サーモン!」
「…猫まんはご飯を食べちゃったし、そうだなぁ。ピザあたりにしようか」
猫まんがガーンとショックを受けている。さくらはピザ屋に電話をしに行った。
朧木は今一度事務所内の様子を見渡す。
「ここも賑やかになったものだ」
終わらない喧騒が朧木探偵事務所内を包んでいた。
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