第3話 町の権力者

 さくらがテーブルを片付けに駆け寄ってきた。


「私、あの人が嫌いです!」


 さくらは開口一番にそう言った。


「あぁ、僕も苦手だよ」

「ならなぜあんな人を好きにさせておくんですか!」


 さくらが激昂する。


「僕の恩人が雇っている人だからねぇ。事を荒立てるのもなんだ」

「なぜ朧木さんはそう事なかれ主義なんです!」


 そういうと、さくらは湯飲みと灰皿を持って流し場の方へと向かった。


「いやはや、丼副君は手厳しいな・・・」


 朧木はさくらの性格がきつすぎて嫁の貰い手が現れないんじゃないかと心のそこから危惧したが、言えばセクハラになるので心の中に押し留めた。


「朧木さんがゆるいんです! 私が来てから依頼人0人。いえ、今日ようやく一名いらっしゃいましたが、朧木さんがお仕事しているところを未だに見たこと無いんですが・・・」


 さくらは本気で朧木探偵事務所を心配していた。


「すばらしき事ではないか」


 朧木は悠々と言ってのけた。


「どこがですか!」

「先ほどの亜門さんとのやり取りでも言ったが、我々が暇なのは困った人がいないからさ」


 朧木は両手を広げておどけて言った。彼はあえてお茶らけて見せているが、内心はそうではない。心のそこでは亜門への敵愾心があった。だがそんな事を表に出していては仕事が勤まらない。今はこうしてさくらとふざけている事で、心のバランスを保っていた。


「それは仕事にあぶれて朧木さんが困らないですか?」


 さくらは間髪入れずにびしっと突っ込みを入れた。


「中々困った切り替えしだね、丼副君。君の指摘は真実だ。認めよう」

「ついに現実を認めましたか」

「退屈であると言う事は平穏であると言う事だ。退屈しているのを僕は好きなんだがね」


 朧木良介はこめかみを押さえて「ふぅ」とため息をついた。


「そういえば、歳を取ると変化を嫌うと聞きました。所長・・・」

「丼副君。そういうのは最後まできちんと言い切ってくれ」

「余韻を残す事で言葉に出来ない私の気持ちを表現しているんですよ」

「心が満足しているから今に退屈を感じる。退屈する変化のない日常とは安寧と平穏の中にしか存在しえない。それはすばらしい事だと思わないのかね?」

「至極真っ当な事を言っているようで、ニートが働きたくないと言っているのと大差ない気がするんですよ」


 朧木良介ががくっと項垂れる。


「うーむ、比喩を用いるには僕の現状にふさわしくなかったかな」

「タダの屁理屈にしか聞こえません!」

「丼副君の言い分を認めると、亜門さんの存在は僕にとって重要な人物であるのはわかるよね」

「・・・あっ」

「そう。仕事の依頼人の代理で僕の元を訪れたんだ。雑な扱いは出来ない。下手したてに出ることも必要だ。相手の人間性がどうあれ、思惑がどうあれ互いの立ち位置は変わらない」

「・・・そうですね」

「感情的になるのは人間だ。理解できる。それを飲み込んで必要な対応を取る事を僕はへりくだるとは思わない。それに亜門さんについては仕事できっちり見返してやればいい」

「じゃあ、朧木さんは今回の事件の話を解決する気があるんですね?」

「あるとも! 霞町の平穏は僕が守る。妖怪変化や怪異からの守護を司る、これは僕の役目なのだとも」

「そういえば、町議会がどうとか聞こえましたが、それと関係あるのですか?」


 朧木は言うべきか少しだけ迷ってから口を開いた。


「・・・あるとも。この町の旧来の体制派の中の一派に僕は含まれる。古い伝統と格式の中で、僕は雇われている身だ。その勤めを果たすのは僕の責務であり使命だ」


 朧木は珍しく力強い語気で語る。


「もしかして、怪貝原議員と言うのがその旧体制派の人なんですか?」

「そうだ。懐古趣味の保守派の中でも、最も古くから居る一人。僕はこの町の古くからの伝統に基づいた役割を与えられているが、そのクライアントの一人なんだ。だから頭が上がらなくてね」

「所長は自営業で自分の裁量で好き勝手やっている人だと思っていました」

「それはまたとんでもない評価を持たれていたもんだなぁ」


 朧木は姿勢を直し、居住まいを正した。


「普段は仕事もないのにお気楽に構えてましたから」

「よし、心意気の話をしよう。僕は世の中が平穏であれと願っている。その上で仕事は待つ構えでいる。そして今回仕事が来た。出番だ。頑張ろう。全力で勤めを果たそう」


 さくらが目を輝かせている。


「待っていました! 微力ながら私にも手伝わせてください。まず何をしたらいいですか?」


 さくらが腕まくりをするしぐさをしながら言った。


「時が来るまで待つことだ」


 そんなさくらに対して、朧木は真剣な表情でそう返した。


「時が来るまで? えっ、事件の捜査はしないんですか?」

「しない」


 さくらの疑問に朧木はきっぱりと言い切った。


「どうして? 一刻も早い解決をするんじゃなかったんですか?」

「するとも。・・・そうだなぁ。この事件、当初は通り魔事件として警察が追っていた案件だ。その警察が未だに見つけられていないならば、一般人の僕が探してもたいしたものは見つからないって事さ。国家権力を僕は侮るつもりはないからね」

「うーん、何だか消極的な気が・・・」

「必要な行動は取る。気になる点はあったが、神出鬼没の相手の場合は罠を張る。その為にその時が来るまで待つのさ」

「気になる点・・・ですか?」

「あぁ、どうにも腑に落ちない話があってね。少し慎重に調査を行った方が良さそうだ。もちろん事件の再発防止の手段は取るがね」

「何だかわからないけれど、待っているだけでなくて自分達でも動いた方が良さそうな気もするんですが」

「こういうときは仕掛けをして待つ。そうするのが一番さ」


 朧木はそう言うとソファーに深々と座って寝る真似をした。

 さくらは納得がいっていないようだった。しばらく考え込んでから朧木探偵事務所を飛び出した。

 朧木が何かを言いかけていたが、さくらは聞かずに事務所を出た。

 彼女の心中は「ここは自分が何とかしないと」だった。彼女自身が探偵事務所のバイトに過大な期待をしていた事も有ったのかもしれない。なにかフィールドワーク等のお手伝いもあるかもしれないと期待していたが、事務員としての仕事ばかりで事件もなかったために退屈していたのだ。彼女はそれでもお給料は出ていたので不満はなかったはずだ。さくらは朧木が言うところの平穏な生活を送っていた事を自覚はしていなかった。

 今、彼女はその平穏から自ら飛び出して行った。若さゆえに変化を好んだ結果だった。

 朧木は事務所内で慌てている。


「あっちゃー、猪突猛進な子だなぁ。おーい、猫まん。猫まんはいるかぁ?」


 朧木は事務所内で一人声を上げた。すとん、と何かが床に着地する音が聞こえた。棚の上で寝ていた猫まんだった。


「聞こえているよ。良介。厄介ごとをわたくしにおしつけるつもりかえ?」

「厄介ごととはひどいじゃないか。毎日餌をくれる子の面倒を見ようとは思わないのかい?」

「まったく、困った子だねぇ。まるで幼い時の良介みたいだ。こうと決めたら一直線にしか進めないのだろう」

「わかってあげているなら話は早い。彼女が危険なことに首を突っ込まないように付いててあげてくれないか?」

「やれやれ、猫づかいが荒いねぇ。大きな子供の世話をやらされるとは」


 猫まんは口では悪態を突きつつも、猫ドアから飛び出して行った。


「なんだかんだ言って頼りになるよ」


 そういうと朧木良介は棚から何かを取り出そうとしていた。



 ところ変わって、場所は霞町町議会の会議室。室内はろうそくの明かりだけが頼りの真っ暗闇の中。蠢く人影

 円卓に並ぶ町議会議員達だ。彼らは全員、顔に白いヴェールをつけていた。誰も素顔がわからない。そのヴェールにはそれぞれ曼荼羅が描かれていた。

 町議会議員達が席で皆一斉に印を結んだ。


「「のうまく さまんだ ばざら だん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらたかんまん」」


 皆が口々に真言を唱えた。災難を取り除き、魔を払い、迷いを断ち、苦難に立ち向かう勇気を与えてくれる不動明王の真言だった。彼らは皆一様に国家安泰を祈っている。

列席者は上座に座る男に一礼する。上座に座る男、霞町町長だった。これまた全身真っ黒な服に、顔には白のヴェール。横から見える顎には白髪交じりの長いひげが見えた。


「皆、揃ったようだな」

「「霞町町長に栄光あれ」」


 印を結んだ議員達が一斉にそう告げた。

 町長は軽く頷いた。


「皆、健勝のようで何よりだ。さて、こうして集まってもらったのは他でもない。巷を騒がす通り魔事件についてだ」


 町議会議員達の間からどよめきが漏れる。町長の右手側にある一番近くの席にいた男が町長に話しかける。


「おぉ、あの忌々しき事件に関してでございますか」

「そうだ。怪貝原議員。我らが霞町を脅かす愚かしくも呪わしい狼男とかいうよそ者が現れたらしい、あの事件だ」


 「よそ者!」「まさか狼男がとは・・・よそ者をむざむざのさばらせておくとは、東京入国管理局は一体何をやっているのか・・・」「妖怪相手では東京入国管理局は管轄外であろうよ。しかし、事件は流石に警察にばかり任せてはおれんな」等、ささやき声が聞こえてくる。

 そんな中で町長の隣に座っていた怪貝原議員が言葉を切り出す。


「町長。その件については古くからこの町の要所の鎮護に当たる男に依頼をしました。着任間もない者ですが、必ずや事件を解決して見せることでしょう」


 町長が怪貝原議員の方を向いた。


「怪貝原議員。その男の腕は確かなのかね?」

「はい。それはわたしが保証いたします」

「怪貝原議員、ワシを失望させるなよ?」

「心得ております」


 と、町長と怪貝原議員がやり取りしていたところに横から口を差し込んだ男が一人。


「町長。この山国より少々お話がございます」


 町長の左手側一番近くの席にいた男だった。町長がその男の方を向いた。


「なんだね。山国議員」

「はっ。僭越ながら申し上げます。このたびの事件の初動の遅さは伝統や格式といったものにとらわれたが故のもの。機能的に使えるものは何であれ投入すべきであり、その男一人に任せているよりも遥かによいかと存じます」


 横槍を入れられた怪貝原議員は表情こそ見えないが、決して面白い話ではなさそうだった。怪貝原議員が山国議員をけん制しようとする。


「山国議員。君はまだ若い。物事を運ぶ伝統は故事に倣って優先されるべきものである」


 怪貝原議員と山国議員がお互いに向かい合う。まるで火花を散らさんがごとき沈黙を保ったまま、場を静まり返らせる。

 まだ若いと言われた山国議員は54歳。そう言った怪貝原議員は72歳だった。

 怪貝原議員は町議会の中では保守派の筆頭。町に古くから伝わるしきたりや慣わしを優先させる傾向があった。かたや山国議員は改革派の筆頭。機能的な面にこだわり、古くから伝わる伝統などは廃止すべきだという論者だった。ゆえに二人は仲が悪く、反目しあっていた。

 町長にとってはどちらも使える駒であったため、彼らが反目しあっている状況は捨て置いていた。

 山国議員が沈黙を破り、口を開く。


「町長。このような超常現象に基づく難事に対応すべく、陰陽寮を建てる事を立案いたします」


 山国議員の言葉に場が再びどよめいた。町長は場が静まるのを見計らって口を開いた。


「・・・山国議員。それはすなわち、かつて京都にあった陰陽師たちの活動の場を東京の街に再建しろ、とそういうのかね?」


 町長はゆっくりと、しかしはっきりと確認する意図を持って山国議員に尋ねていた。


「ははっ、己を弁えぬのは承知の上で具申いたします」

「ふむ。その意図を聞こうか、山国議員」

「特殊警護に当たる専門職の人材育成を行い、警察とは別の町営機関を設立する狙いです。今は一部の人間のみが要職に辺り、人材の流動性の低さと事体への適応性の低さがありますが、これをカバーする狙いがあります」


 町長はあごひげをなぞる。


「つまり、君は現状には満足していないと言うわけだ?」

「はっ、町長。使える者はもっと多い方が良いと自分は思います」

「使えるものは誰であれワシは歓迎するがね。しかし、町独自の機関を設立するとなると、予算組みが必要となるのだよ。財源をどうするつもりかね?」


 山国議員の表情はヴェールに包まれてわからないが、にやりと笑ったように思われた。


「それでしたら今世間を騒がせる事件が好都合になるかと。この事件を機に特殊事案への対応策を名目として設立させると共に、住民税を使って運用する必要性を説き、税を上げる事への理解が得られるかと」

「ほう、山国議員。君は増税派かね」

「必要な事への対処の為の増税であれば、町民達も必ずや理解を示す事でしょう」


 町長が椅子に深々と座り、あごひげをなぞりながら口を開く。


「民草の負担が増える事を良しとするわけにはいかん」


 町長の言葉に怪貝原議員がにやりと笑った気がした。


「山国議員。税率の急な変化には民草も反発するのは必定ぞ?」


 と、怪貝原議員が山国議員に勝ち誇る。

 と、その時町長がさらに口を開いた。


「が、今回の事件のような難事に早急に対応する手段を得る事もまた必要だ」


 町長の言葉に今度は怪貝原議員が驚いた。


「町長。それはつまりどういうことで?」 


 山国議員は自分の思惑に沿った町長の意見が出ることを期待して話の先を黙って待った。山国議員は今回の議会の話の流れが自分の思惑通りに進んでいるのを受けて、ヴェールの下でほくそ笑んだ。

 うろたえる怪貝原議員と余裕の姿勢の山国議員。二人のありようは対照的だった。


「つまりだな。今回の事件を怪貝原議員の子飼いの男がきっちりと片付けることが出来るなら、旧来以前のままで十分と言う事だ。もしそれが敵わねば、山国議員。君の立案を議題として纏め上げておけ。次の町議会で可決されれば一考しよう」


 山国議員は今度こそ明確に笑った。


「仰せの通りに!」


 山国議員は立ち上がり町長に最敬礼を行った。


「ではこの度の町議会を終える」


 町議会議員達が皆一斉に手で印を結ぶ。そして皆口々に同じ言葉を呟く。


「「全ては霞町のために」」

「「ひいては我らが霞町町長の御為に」」


 町長は上座の席で合唱と合掌とを受けて静かに頷いた。

 そして町長は掌を円卓に向けてかざす。


「全ては大道だいどうを往く、我ら霞町議会」


 最後は町長が厳かに挨拶を締め括った。

 町議会の場に設けられたロウソクの炎だけが静かに揺らめき、町長と議会議員達の影を揺らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る