Ep.3 森の中で――。

「いやだぁああああああああああっ!!」


 高々と生え立つ黒い木々の合間、暗闇が広がる森の中枢で子供の大きな癇癪が響き渡る。


 その声の持ち主は先ほど、この黒い森に足を踏み入れた少女に首袖を掴まれながら引きずられている少年によるものだ。


 少年――ハボックはこの“黒茂クロシゲリノ森”の入り口から少女――リリーに引きずられてから未だに彼女の手を振り払おうと躍起になって暴れまわっている。


 けれども、リリーのハボックの服を掴む腕はあれからそれなりに時間が経っているのにも関わらず、手放す気配どころか緩んだ様子もない。ただ黙々と彼を引きずりながら黒い森の茂みの中を進んでいく。


 そんなリリーに負けずかハボックは暴れ続けている。リリーは後ろで癇癪を起こす少年に呆れた声を漏らした。


「ねぇ、いい加減に諦めたら?」


 リリーの呆れに呼応するように、ハボックは一層腕や足をじたばたと振って暴れだす。


「ていうか、あんた。そんな抵抗できるぐらいなら、どうして森に行くまでの道をあんな風について来てたのよ」


 黒い森に着くまでの道のりで、彼女は手杖を突きながら息を荒らしていた彼の情けない姿を思い浮かべる。あんなに疲れた様子でまいっていたというのに、あの様子はフリだったのだろうか。


 しかしそう思っていた矢先、暴れまわっていた彼は突然、腕と足をだらりと地面に垂れ下げて過呼吸でも起こしているようなヒューヒューとした音を出し始める。


「……そ……そんなっ……ぜぇ……はぁ…………たいりょ……く、なっ……はぁ、はぁ……」


 やはり彼には体力がなかったようだ。


「あぁ無理しなくていいわよ。しばらく黙ってなさい」


「そ……そんぁ訳……はぁ、ぃかな…………っ!」


 最後に抵抗しようとしたのか、ハボックは片腕を振りかざそうと上へと上げた。しかし腕はへなへなとそのまま地面に落ちさる。


「……はぁ……はぁ…………」


「だから言ってるのに」


 後ろで疲れ切っているハボックをよそにして、リリーは辺りの景色を流し見る。


 森の中は相変わらず昼の木漏れ日の一つもなく、それ以外に目立った明かりといえば暗闇が広がる森の奥とは反対に見える森から抜けた平地より差し込む日の光だけだ。ただ、その明かりもここまで来たらいよいよ頼りがなくなってきている。まだ差し込んでいるだけいいが、この先に進んだ後の暗闇はどうしたものか。


「…まぁ、行ってみるだけ行ってみましょうか」


 そう言い、リリーはハボックを引きずる腕を放すと、彼を背負い上げ、足元に広がる雑草を踏み倒して暗闇の中へと入っていく。


もし、リリーと同じ年の子供がこの場所にいたならば、きっと泣き喚いてその場にいない両親に助けを請い求めるだろう。それこそ今のハボックのように癇癪を起こして。けれど、リリーには村で言い伝えられていた森の恐怖よりも、何かに脅かされるという不安よりも知りたいことがこの森にあった。


だから、リリーは突き進む。自分の興味と好奇心を胸に、満足する答えを求めて。


――@――


 もうどれくらい時間が経ったのだろうか、いや、まだそんなに時間は経っていないのだろうか。森の中を突き進むことだけに集中していたら時間の感覚も分からなくなってくる。


 加えてこの暗闇だ。さっき森に入った時はまだ真昼で、空を見ればそれがよく分かったものだが、日の光の一つも通さないこの森では時間を把握する簡単な手段すらない。


 一体、どれくらいの時間が経ったのだろう。


 荒れることのなかったリリーの息が、はぁ、はぁ、と小さく息を漏らし始める。


 後ろで大きな抵抗を見せていたハボックも、あれからは抵抗の一つも見せてはいない。ただだらりと力なく手足を垂らしたままリリーに背負われている。


心なしか、寝息のような音が聞こえてきていることに関しては触れないでおこう。


「まったくっ……のんきなものね……!」


 ふんっ、と一息大きな声を出しながらハボックを背負う腕を組み直し、もうほとんど暗闇しか見えない森の中をリリーは進んでいく。


「はぁ……はぁ……そろそろ限界近いかな……」


 リリーの足がよたついて転びかかる。こんな暗闇しか見えない場所で転べば、下手をしたら見えていない何かで怪我をしかねない。


「……歩けなくなったら、最期かな」


 そんな冗談にもならない事を言って、薄笑いを浮かべて足を動かす。

 とその時、リリーの暗闇を映していた目の内に一つの”光”がぱっと瞬く。


「……っ! 今のは……っ!?」


前方の方角を明かりが灯るのが見えた。まるで、蝋燭に灯された火のように小さくぽっと瞬くような明かりだったが。


「まさか……人? でも、この森は禁じられているはず……私たち以外に人がいるはずがない」


「ん~……どうしたの……? ぇ……うわっ!?」


 不意に起きてきたハボックを抱える腕をぱっと放し、リリーは今見えた光が他に見当たらないか辺りを見渡す。


 けれども、やはり見えているのは暗闇ばかり、見渡せど見えてくる光はない。


「気のせいな訳、ないはずなんだけど……」


「もう……いきなり降ろさないでよ…………あれ? ねぇ、リリー。あれなんだろう?」


 ハボックが後ろでそう呟いて、リリーもすぐに気が付いた。


 さっきと同じ”光”が今度は違う方角の向かいに明るく灯っている。今度は消える気配がない。


「あれだ……」


「ねぇ……リリー。そういや僕たちって“森”にいるんだよね……? てことは魔物に喰われちゃうんじゃ……っ」


「しっ。静かに」


「むぐっ!」


 今頃になって森に入ったということを思い出しているハボックの口を強引に塞ぎ、身をかがめると息を潜めて光の様子を伺う。


 すると突然、光が何かに反応を示したようにぱっと瞬く。そして、その場で留まっていた光はいきなりこちらに向かってものすごい速さで近づいてきた。


「っ……! 気づかれた……っ!」


「へっ?」


「走るよ!」


「え、えっ! ちょっとっ!?」


 呆気に取られているハボックをさし置いて、リリーは全力で走る。同じくハボックも遅れてその後ろを急いで付いて行く。


 だがしかし、二人が走る速さよりも”光”の速さは圧倒的に早かった。”光”はあっという間に二人の傍まで追いつき、そのまま追い抜いて二人の行く末にピタリと立ち止まる。


「あれぇ? 人間じゃん」


「なっ……!?」


「何……っ!?」


 圧倒的な速さで自分たちを追い抜いたその“光”を前に二人は呆然と立ち尽くす。


 甲高い声がしたかと思いきや、声は目の前に留まるその”光”を発している“何か”が口を動かし喋っていた。


 体は大人の人間の手のひらぐらいの大きさ。頭はまるで遊びでよく作った泥団子のように小さく、その顔にはゴマ粒のような小さな黒目がぽつぽつと二つ。


 そして何より目が惹かれるのが、その体の背中より生えた蝶の羽だ。


 見る者を惑わす美しい光の放ちと光沢、そして絶妙に美しき模様。その姿はまさにおとぎ話で語られる“妖精”そのものだった。


「妖精……っ!」


「ふぇええええっ!?」


「何さ人を見世物でも見るような目で。いや、ボク妖精だけどさ。ていうか、なんで人間の子供がこんな所にいるんだよ」


 妖精はこちらを覗くようにして頭を傾げながらじっと見つめてくる。


「まぁ、いいや。間違って入っちゃったんだろうね。子供だし。出口が無くて困ってるんでしょ? 教えてあげようか?」


 悪戯っぽく笑いながら、にこりと顔を向けてくる妖精。その様子からは親切な優しさが伝わってくる。


「えっ……本当っ!!」


 いきなりの事で呆気に取られていたが、偶然出くわしたおとぎ話の存在に出会い、しかも助けてもらえるなんて、なんて運がいいんだろう。そう思いながら、ハボックは妖精の方にゆっくりと近づく。


「本当さ。ここは広いし、明かりも無いからね。出るのも大変だろうに……ぐぇっ!?」


 だが妖精に近寄ろうとするハボックよりも早く、リリーが妖精の体を瞬時に手掴み、力いっぱいに握った。


「痛いっ! ちょっ、ちょっと!? 君の友達どうなってるの!? なんでボクを握り潰そうとしてるのさ!? い、痛いっ!」


「リリー!? 何してるんだよ!?」


「ん、拷問」


「ごぅ……? わ、分かんないけどせっかく助けてもらえるのに何してるんだ!! 放しなよ!」


「そ、そうだよっ! 放して! ていうか痛い!! 本当に殺す気か君は!?」


「殺してやろうか?」


「いてててててっ!! やめてっ! やめてっ!! 本当に死んじゃうよ!!」


 キーキーと喚きだす妖精。一方でリリーの手も緩まる気配がない。


「リリーいい加減にして!! 生き物を殺すなんてよくないし、僕たちも助からなくなっちゃうっ!!」


「私はそもそも助かるとか助からないとか思ってない。知りたいからここに来たのに、まだ妖精がいる事を知れただけで目的が果たせてない。それに、こいつは胡散臭い」


「そんなこと言ったって分かんないじゃないかっ!?」


「だから今こうして拷問してる。お前の目的は何? 私たちに近づいて何をしようとしてるの?」


「ぎぇ……く、くるし……ぃ…………」


「やめてってば!!」


「っ!?」


 妖精の体を絞めるリリーの手をハボックが乱暴にはたき落とした。拍子にリリーの手からふらふらと妖精は逃げ出し、ハボックの背中にさっと隠れる。


「こんなことしてもリリーにとって良くない! リリーのお母さんやお父さんが悲しむよ!!」


「別に。私は気にしない。それに私にとって父さんや母さんは特別な存在じゃないし、父さんも母さんも私のことを気にしてない。問題になることはないわ」


「そんなことない! 問題あるよ! 僕が気にするっ!!」


「……。そう」


 リリーはハボックを見つめ、対してハボックはリリーを睨みつける。不穏な空気が二人の間に流れる中、ハボックの後ろで怯えて縮こまっていた妖精が恐る恐る口を開く。


「…………ぁ、あの……喧嘩しあってる中悪いんだけどさ……ボクじゃこの森を抜ける方法はわからないんだ」


「え!?」


「ほら言ったじゃない。胡散臭いって。で、何が目的だったの?」


「ぃ、いや、最初から助けるつもりだったよ! 話を最後まで聞いて。ボクじゃ分からないけど、あの人だったら分かると思うから、そこまで案内しようと思ったのさ」


「あの人……?」


「誰なの」


「この森をもっと奥に入っていった所に大きな精霊樹があるんだけど、そこに家をこしらえたバ……ひ、人がいて、その人なら多分森の抜け方を知ってると思うんだ。それにその人、物知りだからお嬢ちゃんが知りたいってことも色々聞けるんじゃないかい?」


「そうなんだ……っ! リリーそれならいいんじゃない? 家にも帰れるかもしれないし、リリーも満足できるかもよ」


「……。行ってみる価値はあるかもね」


「よし、じゃあ行ってみよう! 妖精さん、さっきは友達がごめんね……もしまだ助けてくれるなら、その人のところまで案内してもらってもいいかな……?」


「まだ体が痛むし、お返しは君の肩に乗せてもらえればそれでいいよ。道も案内してあげる」


「ずいぶん安い代償ね。殺されかけたんだから、もっと要求するものだと思っていたわ」


「リリーっ!」


「君にする訳ないだろ。それに、彼は僕を助けてくれたんだから道案内はそのお礼さ」


 ハボックの肩に乗る妖精がしかめ面でリリーを睨みつける。リリーはそんな妖精の視線を無視してそっぽを向いた。


「ま、まぁまぁ。それじゃあ妖精さん、道案内をお願い」


「あいよ。この先の方角をまっすぐ進んでいってくれ」


 ハボックの肩に乗った妖精の光を頼りに、二人と一匹は森の中の奥深く、精霊樹に居座る人物の家を目指す。


 ハボックは未だに恐怖を拭いきれていないが、家に帰れるかもしれないと希望を抱きながら足を速める。そんなハボックに対し、リリーは自分が求めるものが本当に手に入るのかと疑念を抱きながらハボックの後ろを付いていく。


 不安と期待、希望と疑念のそんな二人の向かう先に妖精は一人眼を光らせる。


――――自分を痛めつけた愚かな人間たちにいずれ来るであろう報復の時を待ちわびながら。


To be continued.

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