ステップ・イン・ザ・サン

阿部 梅吉

ステップ・イン・ザ・サン

 二次会のカラオケで流れる、「占いクッキー」をテーマにしたアイドルの曲。

 まあ占わなくても一発でわかる俺の人生。

 歌っているのは、今年新卒で入った子。見たことのない顔だ。若い。


 しかもまあ、この歌、歌詞がちょっとすごくて。

 なんともまあ、この令和において

 「いつだってカワイイ子は有利」なんてセリフがあって。


 ああ、そんなのきっとオトコの世界だってそうですよ、女性のみなさん……。

 知っています?  「ただイケ」ってやつですよわかります? メンに限る、です。


〽『お願い あの子だけじゃなく 私も見て』



いやそもそもモテないやつは誰も見てくれないんだって話を

わ か れ えええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!



「主任、なんか考え事です?」


 目の前に総務課の女子たちがいた。普段野郎しかいないセキュリティ部門にいる僕はこの人たちの前にいると気が休まらない。


「あ、いや」と僕はすぐに取り繕う。

「最近の子って歌がうまいんですね」適当に言ってみる。たしかに今アイドルの歌を歌っている子の歌はまあまあだが、褒めるほど上手なわけでもなかった。

「ああ、あの子可愛いもんね」先輩総務課女子が笑って言う。あ、もしかして僕、地雷踏みました? 皆さん地雷があるなら胸バッジか名刺に書いておいて下さいませんかね?

「今年入った子ですよね?」

「そ」先輩女子が軽い感じで言う。お。地雷ではなかったか。

「じゃあなんだ、まだ入社して3か月か」

 僕は入社してからかれこれ8年。もう30歳だ。世間から見れば立派な大人だ。

「若いよね」と目の前の女性が言う。

「貴女も」そういうと彼女はにこ、と笑った。


 瞬間、別のテーブルから黄色い声が上がった。

「えーまじで?」

「はいい」見ると、別の総務課の若い女の子が顔を赤くしていた。

「結婚? 蘭ちゃんが?」後ろでは営業の課長がその女子の肩をたたいていた。

「はい」

「仕事はどうすんの」

「続けますよお。だって別にやめることないし」蘭ちゃんと呼ばれた女性は終始笑顔でにこやかに対応していた。課長は「蘭ちゃん」の肩に触れた。

「やったじゃん。まあ、やめないでほしいけど」

「やめませんよお」

 目の前の女性は笑顔だ。だが少し変だ。あれ。目も口も「ずっと笑って」る。

「結婚か。いいね」と目の前の女性が言った。

そうか。地雷でしたか。


  社員名簿から「黒崎蘭」を消してくれと頼まれたのそれからちょうど一か月後のことだった。仕事をやめる義理もないが、する義理もなかったのだろう。


  30歳、か。

今まで彼女なし。国立大学の理学部情報科学科を卒業後セキュリティ部門に入社。現在に至る。

 ああ真っ白な履歴書!!!!!!

 恋愛履歴書があれば白紙ですよ、白紙!!!!!!

 今まで貴方はいったい何を?

 何もしてないです

 交際経験は?

 ありません

 いままで何か女性に対してアプローチしたことは?

 ありません

 告白されたことは?

 ありません

 わかりました。

 今回の採用は見送らせて頂きます。貴人のますますの繁栄を……


 お


 わ


 た


 \(^o^)/オワタ




30歳で誰とも付き合ったことないって……さすがに……

さすがに……


ね。


 いい女性がいなかった、わけじゃない。でもその時は仕事も忙しかったし、お互いの気持ちに気付いなかったし、むこうだって何も考えていなかったし……。

 まあその女性はだって2年前にどこぞの男と結婚したんだけどね……。


なんて考えていると、また誰かの歌うカラオケの歌詞にいらつく。


〽『あなたに告白したい けど勇気が出ない Yeah! Yeah! Yeah!』


どこが Yeah!☆彡 なんだああああああああああああああ(# ゚Д゚)


 特に何もあるわけでもなく、誰かをお持ち帰りするわけでもなく、されるわけでもなく、帰宅。

 あの曲、耳に残るよね。はやりのアイドルの曲なんだろうけど。リフレインする。ああ明日の作業の時ずっとこれかかっていそう、頭の中で。


ステップ イン](F8)、ステップ オーバー (Shift + F8)、ステップ アウト(Ctrl + Shift + F8)、または カーソル行の前まで実行(Ctrl + F8)


 再起動。




 翌日、9時前に出社したら事務所に昨日二次会で歌っていた新卒の子がいた。

「あれ、今日早いですね」もう一人の受付の子に言われる。

「今日はね」と僕は答える。本来なら11時出社でいいのだが、今日のとこはやりたいこともあるし、早く来た。毎晩終電でみんな帰っているが、夜型である必要もない。

 ちら、と昨日歌っていた子の名札を盗み見る。

「八木橋」。

 肩に着かないセミロングの淡い髪。首元に向かって全体がカールしている。いいとこで飼われいてる室内犬みたいだ。なんだっけ。チワワ?

「八木橋さんは新卒なの?」当たり障りのない話をする。

「はい」

「ふうん。頑張って」

「主任、歌ってませんでしたよね。昨日」と「八木橋」さんは僕の目を見ずに言った。

「あ、うん」

「何か歌わないんですか?」彼女が僕の方を見る。

「歌わないね」

「あんまり音楽は聴かないんですか?」

「聴くよ。カーペンターズとか」

「カーペンターズってなんですか?」きょとんとした顔でチワワが訪ねた。

「いや、検索してみてよ……」僕は笑った。


 その日は珍しく、早めの19時に帰った。

 それからまるきり一一週間、八木橋さんとは会わなかった。彼女とは生活スタイルが違うのだ。

 次に彼女に会えたのは、誰もが憂鬱な月曜日の朝九時だった。

「おはようございます」と彼女から挨拶があった。

「おはよう」

「カーペンターズって検索しましたよ私」チワワがしっぽを振っている。

「ああ、ほんと?」あ、意外と律儀なのね。

「主任にずっと言いたかったんですけどね」

「どうだった?」

「昔『学校へ行こう』って番組があって、それに使われてましたよね。あの曲」

「なんだっけ、『青春の輝き』」

「へえ、素敵。けっこう知っている曲、ありました。知らないうちに聴いているんですね」

「君は普段どういうの聴くの? この前歌っていたアイドル?」

「まさか。あんなの普段聴かないですよ。カラオケ対策用」彼女は笑う。あれ? 八木橋さん、今時の子じゃないのかな?

「普段は私ゴリゴリのロックだから」

 僕は初めてこの子に興味が湧いた。


 「何聴いてるの」まだ夜の六時だ。僕は休憩室でこの時間に一階のセブンイレブンで買ったお弁当を食べる。八木橋さんが制服のベストを脱いで休憩室に入ってくる。

「マンウィズアミッション。君に教えられたから」

「けっこういいっしょ?」

「うん。ハードロック好きなんて意外だね」

「そ?」

「他に何聴くの?」

「普通ですよ。パープルとか」

「しぶくない? 20代だよね?」

「22です」

「彼氏の影響だ?」

「違いますしこの前別れました」ジト目の睨み返し。

「あ、」と僕は一瞬頭がフリーズ。こういう時のコードは? 頭の中を駆け巡る、検索。

「ごめん」

「アハハ主任、全然気にしてませんよ、こっちからふったんですもん」

「あ、そうなんだ。何かあったの?」

「ちょっとだけ環境が変わって、冷静になったんですよ」

「ふうん」

「主任は結婚していらっしゃるんでしたっけ?」

「まさか。独身」

「そうなんですね」

「これ」僕が携帯の画面を見せる。

「マッチングアプリ」

「アハハうける!!」彼女は心底面白いとでも言うように手を叩いて笑った。

「いや僕必死なんだけど」

「アハハ主任意外ですねー、こんなのに全然興味ないように見えるのに」

「いやそりゃ彼女とか考えた方がいいでしょ」

「そうなんですか? だって主任、あれみたいですよ、あれ、えっと、『逃げるは恥だが役に立つ』のプロ独身の」

「星野源? そんな恰好よくないでしょ」

「ああ、あの作品もプログラマでしたね」

「津崎さんですよね、あれ結構プログラマでは話題になったんですよ」

「意味なんか」彼女は歌い出した。

「ないさ暮らしがあるだけ

ただ腹をすかせて

君のもとへ帰るんだ」

「ああ、その歌は知っているよ」

「けっ」

「ん?」

「こんって」

「ん?」あ、結婚ね、

「いいもんなんですかね?」

「いや知らないよ僕は」

「したいんですか?」

「良い人がいればね」

「だからマッチングアプリなんかやっているんですもんね。ちょっとアカウント見せてくださいよ」

「いいけど……」


 アカウント」Nozaki アイコンはマックブックの画像。

「これ駄目です」

「いきなりダメ出し?!」

 

 その日は結局22時まで仕事した。何かを忘れたくてがむしゃらに働いたような気がした。家に帰ってシャワーを浴びて死んだように眠った。

 何か止まって休んでしまうと、昨日彼女に言われたことを逐一思い出してしまうような気がしたからだ。


「まずですねーアイコンが駄目駄目でーす」彼女が両人差し指でバツを作る。

「ええええ」

「ちゃんと自撮りにして盛ってください」

「盛れるわけないでしょう僕、もっさいんですから」

「あーもうなに言っているんですか、主任見た目けっこうかっこいいじゃないですか」

「かっこよかったら今までに彼女できてますよ」

「……え?」

「……あ………」


沈黙。


YA

RA

KA

SI

TAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAああああああ


これが世に言う\(^o^)/オワタってやつ?

いや元から終わっているけど詰んだ( ^ω^)・・・

∩(´・ω・`)つ―*'``*:.。. .。.:*・゜゚・* もうどうにでもな~れ


一瞬、あまりの衝撃に頭が00年代インターネッツに飛ぶ。


彼女いない歴=年齢 ば☆れ☆ま☆し☆た☆wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



 なんておれの落胆とは裏腹に八木橋は、

「主任、じゃあ写真撮りましょうか」あっけからんとして俺の方に向き直った。彼女は何事もなかったかのようにさっぱりした顔で言った。

「え? 写真?」

「だからアイコンの写真です。私の携帯で撮ってアプリで盛りますからこっち向いてくださいよ」彼女はカメラを構える。

「あ、いやいや僕なんか」

「あ、ここだめ。全然映えない。主任、窓の方行ってください」

「なんか急に本格的じゃない?」僕は彼女の指示に従った。なんとなく逆らえない。

「んーこれだったら映えるかなー。あ、主任手首細いから腕まくりして血管見せてください」

「何言っているの君」

「ほらほら早く。それでこう、手を顎にかけて斜めから撮って……」

 彼女は数回スマホのボタンを押す。

「うわ」確かに全然いい。僕は右斜めから見るとちょっとはましになるみたいだ。

「なんか仕事できる風の男……」

「これまだ加工前ですからね」

「いや充分すごいけど」

「加工したら送るんでライン教えてください」

「あ、そっか」僕もスマホを取り出す。

「これで、いいかな」

「主任、ラインも同じパソコンの画像じゃないですか」

「まあそうだけど」


八木橋 由佳。 アイコンは浴衣の画像。


主任ちゃんとプロフ欄書いてます?ああもう学歴は良いんだからちゃんと書いて……ますね。え、ひとことこれだけ?もっと趣味とかないんですか?ボウリング?意外―!絶対やっていないでしょう?嘘だあ前やったのいつですか?ああほらちゃんと返信はまめにするんですようふふふ見ていいです?このひとは何で断ったんですか?ああちそうなんですね趣味とか合った方がいいですか?あとは、ガンダム?んー好きな人探してみるしかないですね趣味あう人がいいなら検索してええ。あ、Twitterとかやってないんですか?そこでならガンダム好きの人見つかりやすくないです?オフ会やりましょうよお。ええやってない?じゃあ登録してくださいよあとは適当につぶやいておいておけばオッケーでーす☆☆


その週、僕は夕飯を20時から食べた。


 彼女に会ったのはまた翌週の月曜、18時過ぎだった。

「久しぶりですね」と彼女は言った。18時に彼女はさっさと帰ってもいいのに、律儀に待ってくれていたのだろうか。

「ひとり」と僕は言った。

「オフ会します」

「えーー本当ですか?いつですか?」

「金曜の夜です」

「確認ですけど女の人ですよね?」

「うん。マッチングアプリで見つけたから。本名だし」

「それ、オフ会って言わなくないですか?」

「あ、そっか。なんていうの?」

「デートですよ」

「で」

デートおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。僕の人生でほとんどスルーしてきたイベント。言葉にすると足がすくむ。

「で、でーと、かあ」

「なんでそんな合戦に行くような重い感じなんですか」彼女はため息をつく。

「いやでもほとんど戦争と言っても過言ではないでしょう?」

「口調変ですし重いです」

「ソウデスカネ」

「変ですしもっと気楽でいいじゃないですか。合わなかったら次に行けばいいだけなんですから。トライアンドエラーですよ」

「そうか。試行回数を増やさないとまずは意味ないよね……」

「そうですそうです」

「じゃあ早速プランを考えるのでミーティング付き合ってくれていいですか?」

「あ、いいですけどそんなガチガチじゃなくてもいいと思いますよ」


 そんなわけで一週間は彼女と18時に夕食をともにし、いろいろとアドバイスをもらった。

「まず否定するのは絶対NG,です」と彼女はきっぱり言った。

「はい」なんだか彼女は大学の講師みたいだった。

「例えば彼女が和食を食べたいと言ったらどうします?」

「いいね」

「そうです」

「なんだ単純じゃないか」

「それができない男の人が多いんですよ」

「そうなのかな」

「そうです。とにかくまずいったん話を聞くんです。自分の意見は後回しでいいですから」

「わかった。否定したいときはどうすればいいんだ?」

「一回話を聞いたうえで、例えば洋食屋さんに主任が行きたいとすれば、おすすめポイントをアピールすればいいんですよ。あそここの前テレビでやってたところなんだけどさ、みたいなのをワンクッション入れるんです」

「なるほどね」

「それならスムーズでしょう」

「君、大分仕事もできるんじゃないかな」

「アハハ。そんなの買い被りですよ」

「君は本を出すべきだよ」

「アハハ。それで、お相手さんとはちゃんとメッセのやり取りしているんですか?」

「してるよ。昨日で止まっているけど」

「どんな人なんですか?」

「28歳、英語の塾講師、特撮が好き」

「最後の点に惹かれたんですね」

「それに話してて一番まともそうだった」

「外見も聞いて良いですか?」

 僕は一瞬ためらったが、迷った末にアイコン画像を見せた。これなら全公開写真だから問題ないだろう。

「あ、綺麗じゃないですか」長い黒髪に釣り目。どこかの居酒屋でグラスを持って微笑んでいる。自撮りではなくおそらく誰かが撮ったのだろう。

「他撮り加工なし……美人ですね」

「え? 今何て?」

「何でもありません。それより主任、当日の服って決まってます?」

「そういや何にも」

「じゃあ明日までに決めてきてくださいよ」

「え、本当?」

「はい」


 その日は21時に帰った。


 Nozaki ねえこれどう?

      画像を送信しました 

    

      即、既読。


                  八木橋由香 ああいいですね

                           靴と靴下は?鞄は?


      これ。一応洗ってある

      画像を送信しました

 

                          いいですね。大丈夫じゃないですか。


       ありがとう

       じゃあこれでいく

 

                           応援しています

                           マンウィズアミッションのスタンプ


  …………。





 マンウィズアミッションって着ぐるみのバンドグループ

 ……だよね?


 ……暑くないのかな?



  我々は待ち合わせていた駅前の銅像の前で会った。

「野崎さんですか?」と目の前の女性が聞いた。すうっと通る声。

「はい」目の前の女性は思った通りやはり美人だった。仕事ができそうだ。シャツにワイドパンツを着こなしていて、スニーカー。髪は後ろでくくってある。

「わあ実物の方がかっこいいですね」

「え?あ、はい」あ、何肯定しているんだろう。

「美津さんも思った通り美人です」

「そうですかね。全然化粧とかわからなくて」

「僕もわかりません」何言っているんだ僕は。

「そうですよね」

「早速、向かいます?」

「ええ」


 場所は都内のガンダムカフェだった。


「野崎さんってプログラマなんですよね」

「はい」

「結構大変でしょう」

「いや、塾講師の方が大変でしょう」

「はい。でもやりがいはありますよ。私の受け持ちは小学校高学年から中学生クラスで、あの頃の年代って本当に素直に伸びるから」

「教え方が良いんでしょうね」

「そうかもです」彼女の笑い方は爽やかだった。

「プログラマだと徹夜とかするんですか?」

「しますね。リリース前とか」

「リリース前!かっこいい!」

「何がですか。格好良くなんてないですよ。ただのデスマーチですから」

「すごいですね、あ、何にします?」

「この 赤い彗星と純白の駿馬? っていう飲み物とあと……」

「せっかくだからこのパスタも頼みません?お腹すいてます? 私すごく食べるから……」

「いいですよ。僕も同じのを頼みます」

「それで、今まで結婚とかは考えてなかったんですか?」

「残念ながら相手がいなかったから」

「私もですよ」彼女はにこ、と笑った。

「そうです?」真意はつかめない。

「ええ」いや、これは方便だろう。

「結婚を考えてくれる男性はいなかった、ということですか?」

「ええ……」

「……」

「……」沈黙。

「休日は何しているんですか?」彼女が話題を振った。

「最近は時間が取れないですけどボウリングとか」

「ええ、意外ですね」やっぱり意外と言われる。なぜだろう。

「これでも結構得意なんですけど」

「野崎さん、なんとなくそんな風には見えないから」

「美津さんは何しているんですか?」

「家事して……掃除して…・…」一瞬沈黙。一瞬彼女が上を見る。

「貯まってる特撮消化して……」

「いいですねすごく」

「日曜の夜はたまに教材とか作ってて」

「本当ですか。時間外労働じゃないですか」

「見なし労働制」と彼女は言い直した。

「だいたいは去年のを使いまわしているんだけど、学校の先生が変わったり教科書が変わったりするとテストの傾向も変わるでしょ?」

「大変ですね」

「楽しいから……」

「仕事は結婚しても続けたいです?」

「そうですねできるなら……」


 こつん、彼女の足元が僕の足元に触れた。ふと下を見る。彼女はコンバースのスニーカーを履いていた。

にこ、と彼女が笑った。

料理が運ばれてきた。

「いただきます」と彼女は言った。

「いただきます」と僕もつられて言った。

「あ、写真、撮らなきゃ」

「やっぱり写真撮るんですね」

「今日は特別です」

「インスタグラム用じゃないんですか」

「やってないです」彼女は笑った。


 我々は近くの公園を散歩した。


「それで、子供とかは欲しいです?」我々はカモのいる池の周りをまわった。

「子供は好きですけど、仕事が楽しいし……」

「そうですよね」

「成り行きかもしれませんね」

「成り行き」

「ええ。人生って多かれ少なかれ成り行きというか、流れみたいなものもあるじゃないですか」

「まあそうかもしれませんね」

「そういう流れをうまくキャッチするのが重要じゃないですか」

「チャンスみたいなもの?」

「ええ」と彼女は言った。

「チャンスが来たら飛び込むんです。そこは自分の意志ですから」

「僕はそこに飛び込めなかったのかもしれません」

「……恋愛的な意味でですか?」

「ええ。それ以外は飛び込んでるんですけどね。いろいろ」

 風が強く吹いた。

「結婚を考えたことがあるんですか?」

「いや、そこでもいっていないですよ。ただあの時、私にそういうセンサーが無かったんです。恋愛っていう文字すら人生になくて。昔はもっと仕事してましたし」

「ええ?今よりも?」

「それこそシャワーだけ浴びて会社にとんぼ返りです。あの頃は少し異常でしたね。今考えると。あの頃よりはましになりました。人が増えたんですよ」

「それは良かったです……」

「あなたは……飛べなかった経験があるんですか?」

「いや、ないですよ……私、チャンスがあればきっとちゃんと飛びますから」

「さすが聡明ですね」

「要領がいいだけですよ」

「欲しいですねその要領のよさ」

「……」彼女の歩みが一瞬止まった。と思ったら、彼女は瞳孔を広げ、かなり驚いたような顔をした。

「どうしました?」僕は彼女の視線の先を追ったが、池にカモとボートがいくつか浮かんでいるだけだった。

「あ、いえ」と彼女は言った。なんでもないように取り繕っているが、なんとなく笑っていない。

「誰か知り合いでも?」

「そうです。ボートの上です。でも、見間違いだと思います」

「そうですか」

「野崎さん、そういえばここの池のボートに乗ったカップルって別れるらしいですよ」

「そうなんですか?」

「ジンクスです。ただの統計だと思いますけどね」

「さすが聡明ですね」


 気が気じゃ、なかった。




 彼女から「留学する」と連絡が来たのは金曜日の朝だった。


「残念でしたね」と八木橋は言った。久々に会った八木橋は化粧が濃い気がした。

「今回は主任のせいではないですし、切り替えていきましょうよ」

「まあそうだねえ」

「あれ? あんまりショックじゃなさそうですね」

「彼女がチャンスをつかんだんだからそれでいいでしょう」

「主任~」彼女がジト目でキャラメルマキアートを飲みながら言う。

「優しいのはいいですけど、損するのは損ですよ?」

 確かにそうだ。

「でも相手の幸せあってこそじゃないか。人生なんて」

「それでいっつも身を引いたり、自分だけで自己解決してなかったことにしたりしてません?」

おお。痛いとこをついてくる。さすがだ。

「ちゃんとぶつかってます? 他人と」

「そこを聞かれるとねえ……」ああ、なんで8つも年下の女の子に説教されているんだろう? 一周回って面白いな。

「でもまあ今回は仕方ないですけど。結構急でしたもんね」

「そうだね。でもなんかわけありっぽかったな」

「ふうん?」

「君は他人とぶつかっているの?」

「ぶつかって、衝突して、お休み中、です」八木橋さんはあっけからんと笑う。

「粉々?」

「かもしれませんね」

「衝突が何もないよりはましなのかな」

「そう思いたいですね」

「……なんか飲み物でも奢ろうか?」

「別にいいです。主任こそ毎晩毎晩カップヌードルビッグじゃないですか」

「いや、これ焼きそば弁当」

「知りませんよ。どちらにせよ栄養偏りますよ」

「君は今晩何食べるの?」

「うーん、ナスとひき肉の炒め物と、アヒージョにする予定ですかね」

「なんかおしゃれだね。自分で作っているんだ」

「はい。写真見ます? これでも投稿しているんですよ」

 彼女は素早い動作でスマホを操作した。

「これ」

「わあすごい」当然加工してあるのだろうが、色とりどりでおいしそうだ。

「よくわからいけどすごくおいしそうだ」

「主任、明日からお弁当でも作ってきてあげましょうか?」

「え?」

「主任のお弁当。どうせ二人分詰めるだけですし」

「……」

 意外な才能。


「ありがとう。今日はもう事務は誰もいないのかな?」

「さあ。もう帰ったんじゃないですかね。みんな」

「そっか。じゃあいいや。今日はうちの科も一人しかないんだ。大阪に部下が行っていてね」

「へえ?」

「なんか曲をかけよう」僕はアイパッドを取り出す。

「曲?」

「そう。君、踊ったことってある?」

「ないですけど」

「僕も久しく踊っていない」

「あれなら踊れますよ」

「何?」

「カラオケで歌ったやつ」

「なんだ踊れるんじゃないか」

「学校の卒業パーティで練習したんです」

「じゃあそれでいこうか」

「アイドルの曲ですけどね」

「うん。マンウィズのライブでは踊らないの?」

「アハハ~踊るわけないじゃないですか。面白い~」彼女が高い声で笑う。

「今度ライブ行ってみようかな、チケットとれたら、だけど」

「本当ですか? 絶対倍率高いんで覚悟しなきゃだめですよ。主任、ファンクラブすら入っていないじゃないですか」

「じゃあ次の時は二つ予約しておいて」

「了解でーす」

「ところで本当に踊れるんだよね?」

「うーん、たぶん」

 曲がかかる。


『あなたのことが好きなのに

私にまるで興味ない

何度目かの失恋の準備』


「忘れていなければ踊れます」彼女は画面を見ながらちょっと真剣なまなざしで、言う。

「動画見ればわかるかな」

「あ、それならできますよ、主任も見様見真似でやってください」

「え、僕?」

「ほらほら、今がチャンスなんですから。こんな時じゃないと運動しないでしょ」

「そうかもしれないな」


『カフェテリア流れるmusic

ぼんやり聴いていたら

知らぬ間にリズムに合わせ

つま先から動き出す』


「ホラ真似してくださいって」今目の前にいる女の子が笑顔で言う。

「いや、わかんないって……」僕が息を切らしながら言う。

「だから真似すりゃいいんですよお~」僕は必死に彼女を見る。上手く踊れない。

 

「今年の忘年会はこれでいこうか」自然と声が大きくなる。

「え? 本当ですかー? うけるー」

「それで、マンウィズは踊らないんだよね?」

「だから踊りませんて~。笑わせないでください~」

「じゃあライブで踊ってめいっぱい笑わせようかな」

「アハハ~出禁になりますよ~」


  まだ外が明るい。18時を過ぎても太陽は隠れていない。

 彼女は黄昏の日差しをいっぱいに浴びながら笑っている。とりあえず目の前にいる子の笑顔くらいは守れたらいのかもしれない。


 「未来は そんな 悪くないよ」


 彼女が何かを口ずさむ。



『未来は そんな 悪くないよ 

 この太陽の下 みんな同じ 光がある限り

 僕を照らす

 なんにでも できる なれる 予感』



「ところで主任、本当に踊れるんですか?」

「いや、これはさすがに初見では無理」



 とりあえず、痩せる。



〈了〉

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ステップ・イン・ザ・サン 阿部 梅吉 @abeumekichi

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