第1話「水の中の出会い」
1話「水の中の出会い」
もう少しで日付が変わるという真夜中。
鳳水音(おおとりみずね)は、とぼとぼと疲れた体を引きずるように歩いていた。
ヒールのカツカツという音が夜道に響いていた。疲れきった頭で考えていることは、今日の酷い出来事だった。
水音は28歳になるが、最近まで人を本気で好きなった事はなかった。人並みの容姿だったが、肌と髪だけは綺麗だったからか、男性から告白されることは何回かあった。けれども、心からの惹かれる人が現れなかった。
そんな水音が最近、好きな人が出来た。同じ会社で、水音の部署に移動なった年上の先輩だった。人懐っこくて明るい性格で、その先輩がいるだけで部屋が明るくなるような、所謂ムードメーカー的存在だった。
普段大人しく、自分から会話をしようともしない水音に対しても、優しく話をかけてくれており、水音が恋をするのは早かった。
そんな出会いから半年が経とうとしていた、今日という日。年上の先輩の結婚が決まったと教えられた。先輩は、他のスタッフに囲まれて、とても幸せそうにしていた。
水音は、それを遠くから泣きそうになりながら見つめていた。やっと、好きになった人が見つかったというのに。自分は何も出来ずに、初恋が終わってしまったのだ。
そんな情けない自分が嫌いで、悔しくて、昼休みにこっそりと泣いていた。
「何やってんだ!こんなミスありえないぞ!」
「す、すみません!」
午後になり、水音はミスを連発し、上司に怒られてしまった。あまり、ミスをすることがなく、他人に本気で怒られたり注意をされる事が少ない水音は、更に気が沈んでしまい、仕事に集中出来なくなっていた。
そんな事があり、水音はこんな時間まで仕事をしていた。
お昼から何も食べておらず、お腹が空いてもいたが、何よりベットに飛び込んで体を休めたかった。
「はぁー………何やってるのかな、私。」
水音は、大きくため息をついた。すると、吐いた息が白くなった。もう11月に入り、朝晩はすっかり寒くなっていた。息が白くなるのを見て「もう冬か……。」と思いながら、星が出ている夜空を眺めていた。
すると、水音の視界にフラフラと飛ぶ何かが飛び込んで来た。
水音は、暗い空をじっと見つめると、白い小鳥だとわかった。こんな夜中に飛んでいるのはおかしな事だし、何よりフラフラと蛇行し、時々ガクンと落ちそうになっていた。
「あの鳥さん、大丈夫かな……。」
水音は心配になって、夜空を見上げながら白い小鳥を追いかけた。
はっはっと、白い息を吐き、ヒールをカツカツと鳴らす。水音がジャケットを脱ぎたくなるぐらいに暑さを感じた頃、気がつくといつもの湖に到着していた。
幼い頃から、毎朝ここに訪れて湖にお祈りをしていた。それは、母親がやっていた事の真似だったが、母にいつも「あなたも祈ってね。」と言われていたので、理由はわからないまま誰の幸せを願っていた。
左手を丸め、右手で包む、そして、目を瞑って祈るのだ。
それを今でも毎日の日課としていた。
いつもは、緑色の木々や紅葉の赤や黄色に囲まれ、碧色の水が綺麗な湖だったが、夜になると雰囲気が違っていた。
「ちょっと怖いけど、月明かりが綺麗………。」
真っ黒な木々と、月明かりが当たり、光輝く湖を見て、水音はそんな事を思っていた。
だが、その水面に写っていた綺麗な月が、ポチャンッという音と共に崩れた。
「小鳥ちゃんっ!?」
暗闇に目を、凝らすと小鳥が湖に落ちて、バタバタともがいているのがわかった。
「嘘っ!?どうしよう……。」
水音は、心配そうに見つめ、どうやって助けようかと考えてしまう。長い棒を見つけても、届かない距離であるし、小鳥が掴まってくれるかもわからない。他に方法は追い付かない。
「やるしかないっ!」
水音は、靴を脱ぎ上着のジャケットを脱いだ。
そして、ゆっくりと湖の中に入ったのだ。
「冷たっっ!」
11月の冬の気温だ。それに、湖の水も凍るように冷たかった。けれど、少し先にいる小鳥もこの冷たい中で苦しんでいる。そう思うと、水音は一気に足を進めた。
この湖はそんなに深くないと聞いていたので、一気小鳥の方へと歩いていく。
服が水分を吸って重くなり、水温は肌を刺すように冷たかった。それでも、必死になっているせいか顔だけは熱かった。
「待っててね、小鳥ちゃん。あと少しだから。」
あと数歩歩けば、小鳥に手が届く。
気がつけば、胸の辺りまでの水位になっていた。
動きにくいが、水音は腕を上げて小鳥に向けて手を伸ばした。
バタバタとしているが、もう大丈夫。と、小鳥を手で掬い上げた、その瞬間。
最後の一歩が水中を切った。地面がなかったのだ。
「嘘っ……………。」
そう思った瞬間に、水音は全身が湖の中に浸かってしまう。
必死に水面に顔を出そうともがくが、何故かどんどん底へと吸い込まれていく。水の流れがおかしい。そんな事を思いながらも、息が出来ない苦しさと、全身の寒さでパニックになりそうだった。
そんなとき、手の中からほんのり温かさを感じた。湖の中は真っ暗で何も見えなかったが、両手包んだ中には小鳥がいることを思い出した。すると、不思議と冷静になれた。
水音は、ギュッと小鳥を胸に抱き締めて、少しでも呼吸が出来るようにと手で優しく包み続けた。
(苦しい………もうダメだ。)
あまりの苦しさに涙が出た。それを暖かいなと感じた時、水音は意識を無くした。
寒い………凍えそうだ。
このまま、死んでしまうのだろうか。
動けない体を何かに身を任せて横たえながら、感じていた。
すると、遠くからこちらに向かってくる足音と、ジャラジャラという金属同士がぶつかる音が微かに聞こえた。
そんな音を感じながら、自分は生きているのか。それとも、死んだ後の世界なのかわからなかった。
「………おい、生きてるのか。死んでないよな………。」
乱暴に言い捨てる男の声が聞こえた。低めの声で、言葉は雑だが、暖かみのある声だった。
自分でも、生きてきるのかわからないのだ。答えられるはずがない。それに、もう体は疲れきっていた。口を動かすのも億劫になっていた。
「死なれたら困るんだよな……ったく、面倒だなっ。」
そんな言葉が聞こえた。
次に感じたのは、唇に何かが当たり温かい感触。そして、顎に指を当てられ口が開かされた瞬間、ぬるりとした物が口の中に入ってきた。
「………っっ………んんーーー!」
口の中で動く感覚に、ドキリとして水音は目を開いた。すると、自分が知らない人にキスをされていた。
水音は気だるい全身だったが、残りの力を全て込めてその男の体を手で思いっきり押した。
「ん?………なんだよ、起きたのか。」
その男は、すぐに避けて水音から離れた。
水音はゆっくりと体を起こして、その男を睨み付けるように見つめた。
その男は月明かりで光る銀色の髪に、褐色の肌、そして瞳は夜空のように真っ黒だった。上下の服も真っ黒で、フードもついているようだったが、今はそれを外していた。首や、耳、指や、腕などには、ジャラジャラと沢山のシルバーアクセサリーをしている。彼が少しでも動く度に、そこから小さな音が鳴っていた。
「……あなた、誰?それに、何であなたに、あんな事をされなきゃ………!」
「………なんだ?お前がここで倒れてたから助けてやったんだろ。人工呼吸ってやつ?」
「人工呼吸は、舌を入れないで空気を入れるの!」
そう言うと、その男は中性的な顔を歪ませて笑った。月明かりに照らされた彼は、人ではない何者かのように美しく儚い印象をあたえた。
長身に細身の男をよくよく見ると、手に何かを持っていた。
目を凝らすと、先端にドロリとした液体がついた、短剣だった。刃がこぼれており大分使い込んでいるもののようで、持ち手もボロボロだった。だが、そんな事よりも目がいくのは、その短剣からポツポツと流れ落ちる、血だった。
「無色の君。おまえを待っていた。」
その男は、水音の事を真剣な面持ちで見つめ、そう言った。
キスをされたり、血の着いた短剣を持った男が怖いはずだった。
それなのに、彼の視線も、声も全てが水音の心の中に深く響き、恐怖感よりも何故か「この人を知りたい。」そんな風に感じてしまっていた。
吸い込まれそうな真っ黒な瞳を、水音はずっと見つめ続けていた。
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