見いだした理由

「彼のことが気になりますか」

 背後の声に対して振り向くことはなく、玄隆は煙管を灰吹きに打ち付ける。落とした灰が僅かに赤く燻る様子を見つめながら、後ろ手で座布団を引き寄せると自分の右手に置く。

 葉隠聰明は促されるままに縁側に腰を下ろし、その温厚な眼差しを地平の彼方へと送る。灰色の雲が連なっている方角には、ちょうど姫神村が存在する。聰明の瞳には、決して見えるはずのない故郷の光景が、おぼろげな記憶を頼りに映し出されていた。

「早馬がありました。今夜にも、凪の満月が訪れるそうです」

「……そうか」

 玄隆の声は重い。

「玄隆殿が志郎くんを姫神村へと送り出してから、まだ一月も経っていません。こんなことを考えているようでは私も若輩者の誹りを受けざるを得ないのでしょうが、あまりにもタイミングが良すぎる。玄隆殿はこうなることを予期していたのですか?」

「それならば、志郎だけを送り出すこともないだろう。神楽討伐は退魔師の悲願だ。無論、儂にとってもな。こんなところで座り込みながら、煙管を吹かしていられるはずもない」

 分かり切った答えを受け、聰明は愚かな訊ねでしたと身を引いた。分かり切っていること、推察すれば言わずとも知れたことを訊ねてみたくなるのは、彼の悪い癖だ。

「神楽が目覚めるだろうとは、予感があった。もう八年になるのか。たとえ凪の満月が訪れなかったとしても、人間の術で神楽を封じ込めていられるのは長く見積もったとしてもあと二年が限度だっただろう。遅かれ早かれ、儂は志郎を送り出しておったよ」

「それが気になっていました。どうして、志郎くんだったのですか」

 聰明は玄隆に詰め寄る。丸縁眼鏡の向こう側で、細められていた目がうっすらと開かれる。

「誰も訊ねようとしなかった。それは、玄隆殿が土御門家の頭首だからです。言葉と心は乖離するものです。此度は、玄隆殿に無礼を働くことを怖れ、皆が口を噤みました。けれど、玄隆殿に対する疑念は志郎くんとの出会いにまで遡ります。純血を尊んできた土御門家が、養子とはいえ他家の血を混ぜることを是としました。他ならぬ本家の長、玄隆殿自身が。私の訊ねがおかしいというならば、玄隆殿には理由があったことになります。暗黙の掟に逆らってまで、志郎くんを見いだしたわけ。見いださなければならなかった背景が」

 聰明は、そこで妖しげな微笑を浮かべた。

 若々しさが残る顔立ちにしては、それは少しばかり似合わない。

「私は、それをお聞かせ願いたい」

 真っ直ぐに覗き込んでくる聰明の瞳から逃れるように煙管を手に取る。刻み煙草を詰めようとして、玄隆は小さく嘆息すると聰明に向き直った。

「葉隠殿だけだ。歯に衣着せず、こうも明け透けと儂に物を言って来るのは」

「私以外では、志郎くんも同じだと思いますが」

「志郎は別だ。アレは、敬意というものを持ち合わせていないだけだ」

 打ち砕けたその態度こそが、彼なりの敬意の表し方なのかもしれないが。

「九年前のことだ。志郎が土御門家に預けられたのは」

 齢にして九つ。姫神の悲劇が引き起こされる、一年前のことだった。

 六つの流派の中でも特に興隆を誇っていた土御門家の修練所には、他家より多くの退魔師の卵が預けられていた。そこに集った師範の面々も、数々の英雄譚を提げた益荒男たちで、姫条家のような秘匿の流派は例外として、土御門家の修練所は退魔師の育成機関として動いていた。

 九年前といえば、玄隆が家督を継いだときでもあった。

 一族の長となってから初めて迎え入れた総勢三十名の若き退魔師達。その中に志郎はいた。この時点では、玄隆の志郎に対する認識は、有象無象の一人に過ぎなかった。咲くも咲かぬも彼次第。彼の顛末など、気にかけるほどでもなかった。

 玄隆が期待をかけなかったように、志郎もまた、期待されるような生徒ではなかった。

 与えられた課題はそつなくこなしていた。どれほど複雑な術式であれ、困難な霊力操作であれ、志郎は僅かな修練で以ってその概念と機構を把握し、体現してみせた。異常なまでの吸収能力の高さに師範達は目を輝かせたが、期待が薄れるまでに時間はかからなかった。

 自分よりも能力の劣る者に対して、情熱があるかないかといった極めて心理的な側面で以って、彼は容易に追い越されることを許していた。

 大成しない天才。無気力に捕らわれた逸材。

 それが玄隆の感じ取った志郎の習性だ。才能はあるがもったいない。未熟な器を惜しむ気持ちはあれど、玄隆にとって、志郎は価値ある人間とはなれなかった。



 修練所に預けられてから半年が過ぎた。元より退魔師の後継者として育てられてきた子供達だ。実戦で技能を磨くことに、手をこまねいている道理などない。今宵より妖討伐の任にあたってもらうと、簡素な通達が為されただけだった。

「ツーマンセルだそうよ」

 草叢に寝そべる黒髪の少年を見下ろし、緑の髪の少女は呆れた風に首を振った。それは、押し付けられた面倒を嘆くかのように。

「お姉ちゃんは」

 幼い声音に似合わず、少年の瞳は冷え切っていた。どことなく成熟した目だ。

「私はカナメよ。柊カナメ。今日からあなたのバディ。よろしくね」

「…………バディってなに?」

「握手を求められたら握り返すの。質問はそれから」

 強引に手を取られたことに志郎は嫌そうな顔をしたが、カナメに反抗することはなく、小さな手をカナメの手に触れさせた。女の人は手の皮が薄いのだな、とどことなく思う。

「あのね、志郎くん。私には箔が必要なの。柊の本家を女が継ぐためには、男に劣らない箔が。この修練所はそのためには最適だわ。年齢にばらつきはある。私より年上の子もいれば」そこでカナメは志郎を見た。「年下の子もいる」

「でも、同期は同期。私達は修練所の第七十八期生として平等に扱われる。見做されると言ってもいい。男も女も、年齢も、家柄も血筋も、修練所を卒業した暁には十把一絡げになっている。残されるのは歴然とした実力差だけ。その中で上位の存在になっていたら――上位と言わず第一席になっていたなら。それはこの上ない箔になるわ。優秀な退魔師の証として」

 カナメは胸を張って言葉を並べ立てる。どこか冴えない志郎の眼差しを無視して。

「いいかしら、志郎くん。私はいま、第一席に手をかけている。優秀な者が落ちこぼれにも目をかけてあげる。あわよくば成長を手助けしてあげて欲しいといったところかしらね、玄隆様が私と志郎くんを組ませたのは。玄隆様のお考えはよく分かるわ。上の者には、下の者を纏め上げる義務があるもの。けれど、はっきり言わせてもらうと」

「邪魔なんだよね、僕は」

 唐突に挟まれた言葉にカナメは一瞬だけたじろぐ。無口で感情が乏しいと思っていた少年からの、思いがけない反撃にカナメの気概は揺さぶられる。

「そ、そうよ。邪魔なの」

 取り繕うように声を荒げた。それさえも眼前の少年には見透かされている気がした。

 三つも年下の子供に怯んでしまったという事実は、カナメの自尊心を傷付ける。

「とにかく」と紋切り型に言葉を発して。

「余計なことはしないで。できないことをやって失敗したとして、それで評価を下げられるのは私なの。志郎くんは私の背後を歩いているだけでいいわ」

 こんなところで躓くわけにはいかない。たとえ志郎というお荷物を背負わされたとしても。

 足早に去っていくカナメの後ろ姿から目を逸らし、志郎はまた寝転がる。髪を揺らす冷たい風におじゃま虫と言葉を乗せ、少年は瞑目した。



 始まりから最悪だった。悪びれる様子もなく遅れてやって来た志郎へと、カナメは咎めるように視線を向ける。実際、苛立っているのだ。

「足を引っ張らないでって言ったでしょう! 遅れて来るなんて論外よ!」

「…………」

 何も言い返してこない志郎にますます苛立ちが募る。だが、ここで揉めている暇はないと判断して、カナメは溜飲を下げると歩き出した。その手は志郎の腕を掴んでいる。

 こじんまりとした庭の中央では、帳簿を片手に長身痩躯の男が立っていた。

「椿組、揃いましたね」

「遅れて申し訳ありません」

「遅刻、減点二です」

 頭を下げたカナメの姿など歯牙にもかけず、男は筆を走らせた。

「椿組はこれより、先行した桔梗隊と合流し、討伐任務に加わってください。くれぐれも減点されたままで終わることのないように働きを期待しています。もっとも、優秀な桔梗隊のことですからすでに終わっているかもしれませんが」

 勧告を聞くこともそぞろにカナメは宵闇へと駆け出す。志郎も気怠そうに続く。修練所から北上した先の岩山、そこに巣食っているという妖を討伐することが割り当てられた任務だった。

「急ぐわよ。到着したら終わっていたなんて、許さないんだから!」

 幾重にも張り巡らされた枝葉によって月明かりさえも届かない森の中を、カナメは少しも迷うことなく駆ける。夜目が利くなどといった類の話ではない。たとえ真昼であったとしても、人の手が入っていない森を全力疾走しようとして、それを体現できる人間は多くない。

 つとカナメは背後を窺う。志郎がついて来れているか、不安だったのだ。果たしてそれは杞憂に終わる。速度としては些かカナメに劣るものの、志郎の運足にも迷いは見られない。

 落ちこぼれのくせに意外だという気持ちと、それくらいはできてもらわなければ困るという思いが同時に湧き上がる。立腹してみせた手前、素直に褒める気にはなれなかった。

 針葉樹の森を抜ける。森と岩山の境界は、人為的に整えられたものと見紛うほどに劇的だった。境界線は東西に真っ直ぐ延びる。低木やシダ植物、コケ類といったものもその先には見られず、ヒトの背丈を超すような大岩ばかりが積み重ねられていた。

「……お姉ちゃん、帰ろう。これはダメだと思う」

 唐突に志郎が切り出した。ふざけないでと言い返しそうになり、言葉に詰まる。

 妖は生命を刈り取る。人間だろうと獣だろうと、草木だろうと。

 生命が根絶されているというのは、強大な妖によって刈られたということだ。

「修練所が私達に割り当てた任務よ。雪辱的に捉えれば、未熟な人間でも充分に対処できるレベルということ。問題ないわ」

 それに、と付け加える。

「妖に背中を見せるなんて、退魔師の恥よ」

 それでも腑に落ちない様子の志郎は無視して岩山に踏み入る。仕方ないと言いたげに、志郎も続く。予感はあれど、確証が持てていたわけではないために。

 桔梗隊を追いかけて最短ルートを突き進む。膂力に物を言わせ、山頂へと急ぐ。

 標高およそ百メートル。山頂に辿り着いたカナメは、そこに広がる惨事を認めて瞳を震わせた。志郎の判断が正しかったのだと、遅まきながらに理解する。

「ほら、無理だよ」

 妙に落ち着いた声で志郎が言った。


「不味い! 不味い不味い不味い!」

 修練所第七十四期生、土御門宗二は叫びながら立ち上がる。千里眼を用いて桔梗隊の動向を監視していた彼は、異変をいち早く察した。それは、カナメと志郎が修練所を後にしてから僅か十分後のできごとだった。

 彼の瞳に視えたもの。それは、桔梗隊が妖に変貌する姿だった。


 岩山の山頂は僅かに窪んでいた。カナメと志郎がいるところから数メートル下、すり鉢の底では十八体の人影が蠢いていた。それを人間と呼んでもいいのかどうかは、分からないけれど。

 手掌、首筋、顔面――狩衣に覆われているために認めることはできないが、おそらく胴体や足にも、目が生えていた。大小さまざまな目が、あるべきではないところで瞬きを刻んでいる。

 目玉おばけ。そんな可愛らしい呼称がよく似合う出で立ちの人間が、眼下にはいた。

 何よりも、そこにいる人間というのは、人間だったものは桔梗隊の面々だった。

「生成り! 憑かれたと言うの⁉」

「ただ憑かれただけなら、もっと被害は小さいはずだよ。あれはあの妖の習性じゃないかな。そう、たとえば触れただけで妖が感染するとか」

 志郎の憶測を吟味する余裕などなかった。一体の妖がカナメの姿に気付いたのだ。妖は喉から割れた雄叫びを放ち、すり鉢の壁面を伝うようにしてカナメに敵意を向ける。

 思わず、カナメは委縮する。

 触れただけで感染する。

 志郎の言葉が脳裏に過ぎった。それを妥当な判断だと感じている自分がいる。

 無差別感染型の妖、そんなものを過小評価するほど修練所も浅はかではない。過小評価せざるを得なかった原因があるとすれば、感染する相手がいなかったということだろう。生命が存在しない岩山に潜伏していたからこそ、あの妖は無害だったのだ。そこに桔梗隊は踏み込んでしまった。妖は真価を発揮する。害悪を思う存分に振り撒き、その結末がこれだ。

「撤退するわ! あんなの、私たちじゃ手に負えない!」

 志郎を振り返ってカナメは叫ぶ。妖に背中を見せるなんて恥だと、五分前の言葉を顧みることはできない。言葉と行動は伴わない。恐怖の前に人間はちっぽけだ。

 だからこそ、彼女は敵から目を逸らしてしまった。

 カナメの左手に何かが飛来した。突如訪れた冷感に肌を粟立たせ、左手を見遣る。そこには黄緑色の粘液が纏わり付いていた。妖の体液だと、即座に理解する。

「ヒィ――ッ」

 引き攣った声を漏らしてカナメは左手を振る。乱暴に体液を振り落として左手を掴む。凝視する先で、左手の甲がぼこりと膨らんだ。肌に亀裂が走り、二つに分かたれる。

 そこに生じたのは、真っ赤な瞳を伴った巨大な目玉だった。

「いや!」

 恐怖に襲われ、カナメは目玉を掴む。引きちぎろうと、抉り取ろうとする。

 されど、目玉を掴んだ指の隙間から新たな目玉が現れた。カナメを嘲笑うかのように、歪んだ目玉が。ぼこり、ぼこり、肌が膨らむ。手の甲から始まって指の付け根、関節、掌、爪の隙間。僅かな隙間も残さずに、一斉に目玉が左手を覆い尽くす。

 左手だけでいくつあるのだろう。数え切れないほどの目玉がカナメを見つめる。

 カナメの心を視姦する。

「あ……あぁ……」

 開いた口唇から涎が垂れる。面影を失った左手を見つめて放心する。

 そんなカナメの心をさらに絞め付け、壊死させるかの如く目玉は浸食を始めた。

 左手から手首へと、目玉は広がっていく。

「イヤアアアアアアア――――――!」

 カナメは絶叫する。もはや彼女に理性は残されていなかった。

「やだやだやだやだやだ」

 手を岩に打ち付ける。腕を掻き毟る。いくつかの目玉は潰れて、弾け、黄緑色の体液を散らす。そこにカナメの血潮も混じる。岩に打ち下ろした手首が鈍い音とともに百八十度曲がった。折れ曲がった。それを厭う余裕すら残されていない。激痛が恐怖を紛らわすことはなかった。

 それでも浸食は止まらない。潰した目玉の倍の数だけ、目玉は増え続ける。

「やだやだやだ、妖になんてなりたくない――」

 カナメはさらに叫び、折れた手首を引きずって、もう一度腕を叩きつけようと振りかぶった。そして、振り下ろした腕が岩に当たることはなかった。空回りして、肩が軽くなる。

 感覚が喪失した。

「あぇ……?」

 腕が消えた。三メートル先に何かが落ちる。肩を視る。そこには肉の断面があった。

 ふと空を仰ぐ。そうだ、今夜は月が出ていた。森の中では遮られていたから忘れていた。

 地面を視る。影が落ちていた。カナメのものだけではない。もう一人、人間の影が。

 揺らぐ瞳を持ち上げてカナメは横を見る。そこには志郎が佇んでいた。彼の左手には短刀が握られている。月明かりを反射する銀鏡の刃は、濁った血潮に塗れていた。

「わ……たしの、うで……」

「妖になりたくないんでしょう?」

 平然と答え、志郎はカナメの右腕を掴む。

「こっちも体液に触れた」

 そして切り落とす。カナメの制止の言葉など届かない。放り投げられた右腕は、地面に落ちたところで目玉を咲かせた。

「これも危ない。けど、厚着でよかったね」

 狩衣を剥ぎ取られる。裸に剥かれることに、もはやカナメが抵抗を示すことはなかった。

 十五分後、救援隊が駆け付ける。だが、彼等にやるべきことは残されていなかった。

 十八体の妖の死骸と、両腕を失った少女。無傷の少年と、黄緑色に染まった傀儡が一体。

 少年は成果を誇る様子も見せず、無感傷の瞳で周囲を睥睨していた。

 少女はすでに心を鎖しており、志郎の言葉だけが真実の手がかりとして残される。

 カナメは修練所を去った。査問会が志郎を罰することはなく、彼は修練所に残された。

 悪い噂と偏見の眼差しだけが、彼を取り巻きながら。



「それが、玄隆殿が志郎くんを見いだした理由ですか」

「それ、とは?」

「僅か九つの少年が十八体もの妖を一人で討伐せしめた。類稀なる退魔師としての素質と天賦の才。志郎くんならば神楽を祓うこともできるかもしれないという期待です」

「それも確かにあるが、儂が志郎を見いだした理由は別にある」

「他にも、何が」

 首を傾いだ聰明を一瞥し、玄隆は「カナメという少女」と切り出した。

「優秀な子供だった。柊の次期頭首に相応しくならんとして研鑽を惜しまず、情熱は元より、その才能に於いても志郎に比肩するものがあった。だが、全てはあの夜に潰えた」

「それは――……志郎くんに両腕を落とされたことで」

 察するところがあったのだろう。聰明の表情が険しくなった。

「査問会での出来事だ。妖に堕ちた十八名のことはともかくとして、未だ人間であったカナメの腕を切り落としたことについての言及は免れなかった。人間とは勝手なものだ。他にもっと方法はなかったのかと、志郎の判断を疑ったのだ。だが、志郎はこう答えたよ」

 それが、最も被害の少ない方法だった。

「柊カナメのそれまでの人生。積んできた努力と研鑽。腕を失うことによって生じるであろう落伍者としての未来。彼女が最も大切にしてきた未来から切り離されるという残酷な末路。志郎はそのどれにも目を向けていなかった。天秤の針はどのような背景にも左右されず、生かすことができるのかできないのか、それだけに任せられていた。志郎にとっては、どのような結果であれ、生き延びることだけが価値あるものだったのだ」

 そこで玄隆は言葉を切った。

 姫神の悲劇によって父母を奪われ、一族を失くした少年の姿が。

「だが、志郎は心を殺していたわけではなかった。平然と機械のように行えたわけではない。それが最も被害の少ない方法だったと訴えた志郎の表情は、歪んでおったよ」

 無感情で切り落としたわけではない。無関心でカナメの未来を摘んだわけではない。

「志郎は理解していた。自分の行為が柊カナメの命を救いはしても、魂を救うことはないと。その先に残されるものは虚無と喪失、生きる意味を失くした地獄だと。それでも志郎は躊躇わなかった。形骸に成り果てるのだとしても、柊カナメを生かすことを選択した」

 それこそが、土御門玄隆が近衛志郎を見いだした理由だ。

「感情と行動を切り離す。それは、退魔師にとって最も越え難き一線だ。だが、志郎は僅か九つで会得していた。ひどく合理的だ、志郎という人間の習性は。冷酷にして冷徹、人間としては欠陥とも見做せるほどの冷淡な行動理念は、救える命にのみ依存する」

 そういう人間は珍しく、そして狂気に満ちていると玄隆は付け加えた。

 それが報われない生き方であることには、目を伏せて。

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