16話「甘い和菓子の味」
16話「甘い和菓子の味」
「ど、どうぞ……。狭い部屋ですが……。」
翠は緊張した面持ちで、部屋のドアを開けた。目の前にいる人は、平然と「あぁ。邪魔する。」と、行って翠の部屋へと入室した。
この家に翠以外の人間が入るのは珍しいことだった。数少ない女友達が何回か入った事があるぐらいで、男の人が来たのは初めての事だった。
しかも、それは翠が大好きな人なのだから、それは大事件だった。
「椅子が1つしかないので、こちらの低いテーブルでもいいですか?あ、このクッションどうぞ。」
「おい。おまえ、少し落ち着け。」
「………はい!あ、お茶出しますね。」
「………いいから、座れ。」
翠は素早くお茶をいれて、昼に色からいただいた和菓子をお茶請けに出してから、色の隣に座った。
いつもよりも小さいな家に、小さなテーブルなので、距離がグッと狭くなるのを感じてしまう。
ちらりと、隣の彼を盗み見ると、いつもとは違うスーツ姿に端整な顔立ちの彼の横顔があり、ドキリとしてしまう。和装の時の首元や腕がちらりと見える色気とは違って、スーツも男性独特のかっこよさがにじみ出ている。
ドキドキしながら、見つめてしまうと彼は、視線を感じたのかジロリと睨むようにこちらを見て、少し強い口調で話し掛けた。
「なんだ、さっきからジロジロ見てきて。」
「すみません!……なんだか、自分の部屋に冷泉様がいるのが信じられなくて。」
「おまえが誘ったんだろ?」
「えぇ!……そんな………。でも、そうなんですけど。」
色はからかいのが面白いのか、にやりとしながら翠の反応を楽しんでいた。その様子は、料亭で家庭教師をしている時と何ら変わりはなかった。
緊張してしまっているのは自分だけだとわかっていたが、やはり少しだけ悔しい気持ちになってしまう。惚れた弱味というのは、こういう気分なのかな、とさえ思ってしまう。
何故、翠の家に色が来ているのか。
それの理由は、今日の昼休みの時間の会話から始まっていた。
少し暑いぐらいの午前中。
木陰で翠が作ったお弁当を色と2人で食べていた。「朝食食べてなかった。」という色は、あっという間に半分以上を食べてしまっており、自分が作ったお弁当がなくなっていくのを見るのは、翠も嬉しかった。
予想以上に喜んでくれたのがわかり、翠は「これこそ、早起きは三文の得かもしれない!」と思っていた。
翠も弁当の半分を食べた頃に、色が今日訪れた理由を話始めた。
「今日、俺の店が突然常連客の予約が入った。ここら辺の店も全て満室になってる。」
「そうなんですねー!お休みの前日だから混んでしまいますよね………。それなのに、いつもすみません。」
「それはいいんだが。だから、今日の家庭教師は別の場所でしようと思う。」
そう聞いてから、翠は家庭教師をすることになった時の事を思い出した。2人はどこで勉強をするので、もめてしまったのだ。
そうなると、どこにしようかと迷ってしまう。
翠はどこかの店が良かったが、色は静かな場所がよかったようだった。
そこまで思い出して、翠の中で自然に言葉が出ていた。
「私の部屋にしますか?」
自分の口から出た言葉なのに、翠はそれを聞いて顔を赤くした。大人の女が男性を部屋に誘うと言うことは……と考えてしまうと、大胆な事をしてしまっているように思えてきたのだ。
だが、翠としては色はもう「お店のお客様」だけの関係ではなくなったし、家庭教師をしている間に、彼の事を前よりは理解しているつもりだった。それに何より好きな人を家に招くのは、嬉しいのだ。部屋を見られてしまうのは恥ずかしいけれど、それよりも色に来てほしいという気持ちの方が勝っていた。
「おまえ、前はあんなに嫌がってたじゃないか。」
「それは、冷泉様とあまり関わりもなくて。少し抵抗があったので………。」
「俺に襲われるとでも思ってたんだろ?」
「そ、そんなことないですっ!!」
焦って返事をしてしまうと、かえって怪しくなってしまったようで、色は疑いの目で見ていた。その後、すぐに口元をニヤつかせてた。
「なんだ、襲って欲しいか?」
公園という場なのに、色は翠に近づき耳元で妖艶に囁いた。
彼が冗談で言っているというのはよくわかっている。けれども、胸がズキッと痛んだのを感じた。
(私は本気で、冷泉様が好きなんです。愛しているから、1度でいいから全てあなたを欲しいと思ってしまう事があるんですよ。冷泉様……ここで頷いたら、どうするんですか?)
返事をせずに固まったまま、微かに視線をそらしながらも色を見ようとする翠を見ると、色はすぐに表情を変えた。申し訳なさそうで、それでいて、戸惑う様子だった。
「そこで黙り込むなよ。……冗談だ。」
色は自分の弁当から、プチトマトを手で取り、翠の口元に持っていった。食べろ、という意味だとわかり翠は小さく口を開けると、そこに小さなトマトが入ってくる。微かに色の指が自分の唇に触れ、ドキリとしてしまうが、それを誤魔化すように、歯を立ててプチトマトを食べる。
プチンと割れ、甘酸っぱい液体が口の中に広がって、翠は少しだけ顔をしかめながら、プチトマトの味を噛み締めた。
「じゃあ、今夜はおまえの家だな。迎えに行くから待ってろ。」
有無を言わせぬ言葉に、頷きながらも夜の事を考えてしまう。もちろん、その言葉に反対する理由もない。
楽しみなのに、どこか悲しいのはいつもの事だ、と自分に言い聞かせて、翠は無言のまま残りの弁当を食べることに集中した。
こんな事があり、今に至るのだった。
色は「さっさと始めるぞ。」と、お茶を一口飲んだだけで、すぐに本を出して準備を始めていた。
「今日は、冷泉様から貰ったギリシャの写真集を見ながらお話したいと思います。」
翠が通勤用の鞄から写真集を取り出した。袋に入れて大切にしており、表紙を見るだけでも幸せな気持ちになる。
「……おまえ、その写真集持ち歩いてるのか?」
「はい………?仕事の休憩中とか眺めてるんです。けど、ダメでしたか?」
「いや、なんでもない………。」
驚いた顔をした後、気にした様子もなかったので翠は不思議に思いながらも、ギリシャ語で会話を始めたら。
今日はギリシャの写真を見ながら観光名所の話をしたり、料理の話をしながら日本と比べてみようと考えていた。日本料理の説明もすることがあるだろうと思ったのだ。
しかし、これがなかなか難しかったようで、日本語だけのものなのか、ギリシャ語でも同じような言葉があるのかを、確認しつつ丁寧に話をしていくうちに、あっという間に時間が経っていた。
いつもならば、仲居さんが食事の声掛けをしてくれるのだが、今日は誰もいないので、大分時間をオーバーしてしまっていた。
「お茶入れ直しますね。」
「いや、このままでいい。和菓子食べたら、夕飯食べに行くぞ。」
「あ、はい。いただきます!」
ピンク色の花の形をした和菓子を一口食べると、白餡の甘さで一気に笑顔になる。集中して頭を使い疲れていたのか、体に甘えものが与えてくれる力が溶けていくようだった。
「やっぱり和菓子大好きです。それに、懐かしい気持ちになるんです。」
「懐かしい気持ち?」
「はい。よく覚えてないんですけど、昔よく食べていたような気がするんです。それを思い出そうとすると、嬉しくなるので。もしかしたら、大好きだったのかもしれませんね。」
そう言いながら残っていた半分も口に入れる。何も覚えていないが、懐かしい味がするという感覚だけはあった。
「和菓子、か………。」
幸せそうに和菓子を食べる翠を見つめながら、色もどこか遠くを見つめるように目を細めた。
「冷泉様?どうかしましたか?」
「いや、何でもない。…その和菓子、新作だったんだ。」
「そうなんですか?!とってもおいしかったです。」
「そうか。……俺にも味見させてくれ。」
突然翠の唇を貪るようにキスをしてくる色に驚き体をビクリッと震わせてしまうが、そこからは熱に溺れるだけになってしまった。
いつもと違う部屋で、いつもと違う服装の彼。そして、口の中を味わうような深すぎるキスのせいで
、いつも以上に色に溺れてしまっていた。
「甘い、ですね。」
「おまえは甘さ控えめの方が好きなのか?」
「………とっても甘い方が好きです。」
キスをもっととせがむ、うっとりとした声に答えて、色は更に翠に深くて甘いキスを落とした。
今日は誰からも邪魔が入らない。
いつもより長い時間の戯れに、二人は酔いしれていた。
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