14話「名前」






   14話「名前」



 

 岡崎との食事は、想像以上に楽しいものだった。意外にも押しが強く、最近は岡崎の対応に戸惑っていた翠は、少しだけ警戒をしていた。

 だが、岡崎との話はとても有意義なものだった。

岡崎が話してくれたのは、ギリシャにある「one sin」の本店の事だった。店長になる前の研修で、本店へと行ったことがあるというとは、初めて聞く話しだった。

 観光はあまり出来なかったようだが、本店の店内やスタッフの話、ギリシャの人々や食事など、いろんな事を教えてくれた。



 「わぁー!話しを聞くと、ますます行ってみたくなりました。」

 「一葉さん、本当にギリシャが好きなんですね。」

 「憧れなだけで、特別詳しいわけじゃないんですけど。one sinの本店にも行きたいです。」

 「すごく豪華な内装でしたよ。」



 そう話しながら、岡崎は赤ワインを一口飲んで微笑んだ。

 岡崎が選んでくれたお店は、最近オープンしたばかりだというレストランだった。とても混んでいたが、岡崎の知り合いのお店という事で特別に入れてくれたのだった。

 パスタやハンバーグ、オムライスなどの定番料理があり、中でもオムライスが人気という事で翠はそれを選ぶと、何故か「一葉さんらしいですね。」と笑われてしまった。

 岡崎さんはお店の人からステーキを推されて、それを食べていた。



 「岡崎店長ってお酒飲むんですね。お好きなんですか?」

 「意外ですか?自宅でも飲むんですよ。」

 「そうなんですね。じゃあ、お強いですよね、きっと。」

 


 そう言うと「二日酔いはしたことないですね。」と教えてくれた。岡崎さんの酔っぱらっている姿は想像できないな、と思いながら赤ワインを追加で注文している岡崎さんを見てしまう。



 「一葉さんは、飲まなくてよかったんですか?」

 「……今日は寝坊してしまいましたし、明日は絶対に早く起きたいので。それに、家に帰ってからやらなきゃいけないことがあるので。」

 「………冷泉さんのために、ですか?」

 「……はい。時間も少ないので。」



 好意を寄せてくれているのに、他の男の人の話しをするのはマナー違反だったかもしれない。けれども、ここでしっかりと岡崎さんに話しておこうと思ったのだ。



 「一葉さんは、冷泉さんが本当に好きなんですね。」

 「はい。自分でもどうしてこんなに好きになったのかわからないんですけど。でも、一緒にいて幸せな気持ちになったり、もっと側にいきたいとか、笑ってほしいとか、こっちを見てほしいとか。そう思ってしまうんです。………かなり未練がましい考えですけど。」



 自分の想いをつい語ってしまい、恥ずかしくなってしまい最期に、そう言ってしまうが、岡崎は優しく笑って「そんな事はないですよ。」と言ってくれた。



 「女の人にそんなに想われて嫌な気持ちになる男性はいないと思います。それに、こんなに可愛らしいあなたに言われるのですから。」

 「……岡崎店長だけですよ、そんな事言ってくれるのは。」

 「冷泉さんは、言ってくれないのですか?」

 「あまり言葉では伝えてくれないので。」

 


 翠は、色に嫌われているとは思ってはいなかった。そうでなければ、あんなに優しくしたり、頭を撫でたり、そしてキスしてくれたりはしないだろう。でも、「可愛い。」という、言葉は出てこなくて「綺麗だ。」と言われるのは、きっと容姿の事なのだと思っていた。岡崎も翠の容姿の事を言っているのかもしれないが、二人の褒め方はどこか違うような気がしていた。


 それは、色が自分を恋愛対象として見てないからなのかもしれない。そう思うと、今更だけれど翠は悲しくなってしまう。



 「私は、とても可愛いと思いますよ。翠さんの事。」

 「岡崎店長……。あの、私っっ!」



 そこまで言うと、その先の言葉を言うのを止めるかのように、岡崎はゆっくりと首を横に振った。

 それを見つめて、翠は岡崎の言葉を待った。自分が次に何を言うのかを岡崎は理解していたのだと、翠にもわかっていた。



 「私も、翠さんと同じ気持ちなんです。だから、少しだけ待っててもいいでしょうか?」

 「……でも、私……。」

 「それと、二人の時は名前で呼ばせてくださいね。」

 「…わかりました。」



 岡崎は、翠が頷くと嬉しそうに「ありがとうございます。」と微笑んだ。


 岡崎に名前を呼ばれると、翠は何故かちくりと胸が痛む。その理由がやっとわかった。



 (冷泉様は、私の名前を呼んでくれたことがないんだ。)



 それを理解すると、今までの時間がとても薄っぺらいもののように感じてしまう。やはり彼は、だれかを重ねて翠を見ていたのだろうか?

 それでもいいと思っていた。けれども、こうやって名前を呼ばれることを、恥ずかしいけど嬉しいと思える感覚を知ってしまうと、色にも呼んでもらいたい。そう強く思ってしまうのだ。



 そんな切ない気持ちと、岡崎への罪悪感を感じながら、味を感じなくなったオムライスを一口、口に入れた。



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