1話「熱い視線」
1話「熱い視線」
鏡の前に立ち、一葉翠(いちは すい)は全身をくまなくチェックしていた。チェック柄のシャツには首元にリボンがついており、それが曲がっていないか確認をする。黒のマーメイドスカートにもゴミなどが着いてないか、後ろまでしっかりと目を配る。同じ黒のタイツの破れ、靴の汚れも全く無いことを見て、翠は「よしっ。」とひとり呟く。
黒のレースのシュシュで髪を結ぶ。金色の明るい髪は子ども頃は大嫌いだったが、今で褒められることも多くなったし、いい思い出も増えたのでそれほど嫌いではなかった。ポニーテールにすると、ウェーブが綺麗に見えるので、最近、翠のお気に入りの髪型だった。
「一葉さん、朝礼始めるよ。」
「はい。すぐに向かいます。」
最後にメイクを確認し、鏡に微笑む。この表情で今日も頑張るぞ!という、翠の習慣だった。
更衣室から店内に入ると、すでにほとんどのスタッフが並んでおり、翠はその端に立った。すると、奥から支店長の岡崎さんがゆっくりと出てきた。
『おはようございます。』
皆が挨拶をすると、優しく笑い皺を目に作りながら「おはよう。」と返事をした。
長身細身で髪をびっしりと整えた岡崎さんは、とても紳士的な印象の持ち主だった。もう30才後半だというのに、濃いブルーとブラック、そしてグリーンが混ざったチェックのシャツに、ネクタイ、黒のジャケットとズボンがとてもよく似合ってかっこいい。
「では、朝礼を始めます。」
新商品の話や、担当毎に今日の来店予定のお客様の確認、緒連絡などを終えて、開店時間になる。
毎日、沢山のお客様が来店させるわけではないが、一人一人がゆっくりとお買い物をされるので、忙しい事が多かった。
「いらっしゃいませ。」
今日一人目の来店は、店長の担当のお客様だった。年齢も近いとあって、とても楽しそうに会話をさせていたので、翠は挨拶をした後は、ゆっくりと違う場所へ移動して、商品の整理などをして過ごしていた。
翠が勤めているのは、高級ブランドショップ「one sin」という店だった。ハイブランドとして有名で、本店はギリシャにある。バックは五十万以上で数百万のものも多く、庶民には憧れのブランドだった。
翠自身は働くまで全く縁がないお店だと思っていたが、今では「one sin」の制服を着ているのだから不思議なものだ。だからと言って、バックを買えるほど裕福ではなかったけれど、、。
それでも、この仕事が楽しく、そして夢があるので毎日がとても充実していた。
ちょっとした事件が起こるまでは。
その日のお昼過ぎ。担当したお客様が帰るのを見送った後、店内に戻ると慌ただしい雰囲気が店内で見られた。いつもはゆったりとしているため、とても珍しい事だった。
何事かと店の奥まで近くまで行くと、ちょうど一人のスタッフと話をしているところだった。
翠は聞こえて来た言葉を耳にして「魔法の言葉だ、、、。」と、思ったことが無意識にポロリと口から出てしまう。
久しぶりに聞いた言葉に惹き付けられるように、そのお客様のところに、翠は歩いていった。
『お話し中、失礼致します。』
そう声を掛ける、が、それは日本語ではなかった。対応していたスタッフは驚きながら翠を見つめていた。
「ここは、私に対応させてもらえませんか?」
「あぁ、、、助かるよ。」
そう言って、スタッフはお客様に深くお辞儀をして、翠の後ろに付いた。
『お客様、私一葉が担当させてもらいます。』
『あぁ!話せる方がいらっしゃったか。ありがたい。』
そう言って笑ったのは、黒髪に褐色、そしてブルーの瞳。外人の男性だった。そして、顔には皺が目立つご老人だ。翠が少し見ただけでも、身につけている物を高価なものだとわかった。だが、それがとても似合っており、いやらしさがまるでないのだ。
『私もギリシャ語を久しぶりに話せて、とても嬉しいです。』
そう言うと、その老はニッコリと笑ってくれた。ギリシャ人のお客様は、奥様のために日本限定の物を買いに来られたようだった。
『仕事でアメリカに行くと嘘をついてきたんだよ。サプライズをしたくてね。』
奥様は日本好きらしく憧れているのだが、足が悪くて旅行にも行けないという。そのため、奥様お気に入りのブランドで日本限定の桜の刺繍が入ったバックと財布を選んで購入してくれた。
このビルの上に、日本の伝統工芸品や着物屋さんがあると案内すると、とても喜んでいてくれていた。
『お嬢さん、本当にありがとう。あなたに会えた事をとても感謝してます。ぜひ、ギリシャにもおいでなさい。』
そう言って、老人は帽子をとっても挨拶をして帰っていった。
このような仕事をしていると、思いがけずに感謝をされる事が多かった。担当になったお客様に買い物でもないのに、お土産をいただいたり、「お取り寄せしてくれて、ありがとう。とても欲しかったから嬉しいわ。」と、とびきりの笑顔を貰ったり。
この瞬間があるからやめられない。翠は、そう感動を噛みしめながら店内に戻った。
すると、店長とギリシャ人のお客様に対応していたスタッフが、迎えてくれた。
「一葉さん、ありがとうございます。何語かもわからずにとても焦ってしまって、、、。」
「一葉さんはお婆様がギリシャの方でしたよね。今回は本当に助かりました。」
職場のスタッフまでにも褒められてしまい、休憩の時にはお菓子までいただいてしまった。
今日はとっても素敵な日だなと思いながら、翠が微笑んで2人と会話していた時。
翠を見つめる1つの視線に、翠も他の誰も気づくことはなかったのだった。
それから1週間が経ったある日。
夕方の時間に、ある男性が来店した。とても目立つ格好をしているため、すぐにスタッフや他のお客様も目がいってしまう。
若い長身の男性で、ちょっと切り目気味のすっとした瞳に整った鼻筋、そして、艶のある黒髪。モデルのような綺麗な顔だけでも注目を浴びてしまう。
だが、その男性はそれだけではなく、今時は珍しく和服を着ているのだ。淡茶色の無地の着物に焦げ茶色の男締め、そして足袋と下駄まで茶色で統一されていた。男締めに華やかな花が刺繍されており、それがとても際立っていて、おしゃれだった。
和装の男性は「one sin」の常連だった。翠も何度か遠くから拝見したことはあるが、ほとんどお会いしたことがなかった。「いらっしゃいませ。」と挨拶をしていると、先輩スタッフが急いで男性のもとへと向かった。和装の男性の担当スタッフだ。
それを見て、翠は他のお客様の対応をしようと下がろうとした。が、それは叶わなかった。
何故か和装の男声に片腕を掴まれて、強く引き寄せられたのだ。思ってもいない方向に引かれたためバランスを崩して倒れそうになった。
心の中で、「あ、倒れちゃう、、!」と思いおもわずギュッと強く目を瞑った。が、その衝撃は全くなくその代わりにとても暖かいものに包まれる感触があった。
目を開けると、目の前はあの淡い茶色の生地が広がっている。見上げると、そこには綺麗な顔のあの和装男性がいた。
「、、、えっ!?」
と、驚いて離れようとするが、強い力でガッチリと体を支えられてしまっている。
助けてもらったといえ、もとわといえば、彼が突然腕を引っ張ったからだった。
とはいえ、お客様に強くも言えず、困り果てていると。その和装の男性は、翠を見てニヤリと笑った。
「今日はおまえが担当して欲しい。ぜひ、話がしたいんだ。」
そう言って、和装の男性は爽やかに笑いながら、翠を見つめながらそう言った。
翠は、男性の熱から伝わる熱と突然の言葉に、頭がくらくらしてしまった。
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