難病持ちの職場復帰
1年間の休職を得て、元の職場に復帰した。同じ部署の同じ仕事にである。復職にあたり、主治医と人事と相談・調整し、最初は時短から始めることにした。時系列にすると下記の通りだ。
1月:10時AM-4時PM 水曜日休み、週4日勤務
2月:10時AM-5時PM 水曜日休み、週4日勤務
3月:10時AM-6時PM 水曜日休み、週4日勤務
4月:9時AM-6時PM 水曜日休み、週4日勤務
5月:9時AM-6時PM 水曜日休み、週4日勤務
6月:9時AM-6時PM 水曜日休み、週4日勤務
7月:9時AM―6時PM 週5日勤務、完全フルタイム復活予定
元々フルタイムの正社員であり、その状況に戻る前提で半年間かけ、徐々に就業時間を延ばす形にした。なにしろ1年以上休職により働く感覚は遠のいているし、体力もかなり落ちている。どこまで仕事ができるのか、主治医も自分もわからない。そこでかなり慎重に、短い時間から仕事を始めることにした。また、週の中日に休みを入れ、体調のリカバーを目指した。
社会保険を維持するために、週○○時間以上働かなければいけない。雇用形態を契約社員ではなく正社員を維持するには、半年以上時短を続けるのは許可できない、という制約もあった。このあたりは勤め先の就業規則等によって異なるだろうが、自分の場合は保険と正社員という2つのキーワードを軸に、上記のように勧めることになった。
給与は、年俸制ではなく、時給換算になった。毎月就業時間が異なるので、月ごとに契約書にサインをした。時給で働くと、残業代が発生することになったのだが、私は上司に残業の許可を得るのがためらわれ、この5か月間、残業代はもらっていない。年俸制では、毎月35時間見込み残業だったから、その感覚を継続したことと、国をまたいでシンガポールにいる上司に話すのが億劫だったためである。同じ会社では、国が違うと就業規則が異なるようで、日本の勤怠システムを完全に理解しきれていない上司とは、何度か揉めた。上司との面倒なやりとりを避けるために、残業代は手放した側面もある。
働く場所については、週2日在宅、2日オフィスへ出勤としていた。1月から3月はそのように進める予定であった。そこへコロナ禍が起こり、2月の中旬から部署全体が在宅ワークへと移行した。私のコンディションは関係なく全社としてテレワークが実施されている状況である。現時点では6月末まで、在宅ワーク継続予定だ。
復職してみると、往復2時間の通勤はやはり体への負担が大きいことがわかった。復帰直後は東京都の発行しているヘルプマークを鞄につけていたが、朝晩の通勤ラッシュでは効果はほぼない。見てもみぬふり、そもそも何のマークか認識していないという人が大多数だった。(もちろん親切な人はいるし、個々の見えない事情があるだろうから、無反応な人を非難するつもりはない)よって満員電車の中、押し合いへし合いつつ立っているしかなかったりするのだが、なにせ体力がないし、人混みにも慣れていない。そして在宅勤務用に、毎日パソコンをリュックに詰めている。トリプルで辛い状態だった。この時期に全社としてテレワークが導入されたことは、なんともありがたい限りである。
会社とチームメイトの理解の下、こうして時短調整をしつつ徐々にフルタイムへと移行しているのだが、もちろん全てが順調にいったわけではない。下記が問題になった点だ。
1)病気に対する理解
2)コロナ禍での就業
3)雇用形態
当初は1月から3月の3カ月でフルタイムに復帰を目指していたのだが、2月からコロナが流行し始めた。自己免疫疾患である私は、この未知のウイルスが怖かったし、慎重に対処をしなければいけなかった。よって主治医の判断も添えて、4月以降も時短とテレワークを申請したのだが、上司から、そんな話は聞いていない。何故まだ時短が必要なのだと、かなり文句を言われた。
今考えると、上司もコロナのことで心配があったり、テレワークがきちんと機能するのか不安だったのであろう。後から知ったのだが、5月に二人退職者がいることも、人員確保の面で苦労があったに違いない。しかし当時は、一方的に非難されたのでかなり参った。見た目がほぼ普通であるし、時短とはいえ元の業務を行っているから、負荷のかけられない体になってしまったことが理解できないのだと思う。元の体には戻らないという現実は、当人だけではなく周りも受け入れ難いものなのだと感じた。
会社としては、私のように長期で休職した社員の前例がなく、試行錯誤だったようだ。色々と譲歩はしてくれたと思うが、その中で、時短を半年間以上継続するならば、正社員ではなく契約社員にすると言われた。周囲に育児のため時短の正社員の方も数名いるのだが、そのパターンとは異なるとのことであった。正社員を維持したい私には、半分脅しのようなものである。幸いフルタイムに戻れるくらい順調に回復しているが、7月以降は選択肢なくフルタイム復帰となった。
就業規則も読んでみたが、解釈がいろいろと取れるように書いてあり、もしかしたら正社員で時短継続というのもできたのかもしれない。一方で、何度か相談した社会労務士からは、一般的には企業として配慮しており、訴える(文句をつける)には至らないように思える、という言葉ももらった。
結果的に、時短調整は半年間で十分であり、不幸中の幸いでテレワークを実施できている。7月にフルタイム復帰は順当なところだが、あとは今後も続く仕事のプレッシャーとどう折り合いをつけていくか、というのが課題である。
この病気になった主な原因は、この仕事だと私は考えている。転職歴が4回あるが、こんなにも精神的に追い詰められる仕事は初めてだ。実際この5か月間でも、仕事のストレスでちょっとした発熱や体調不良は繰り返している。血液検査の数値に悪影響を及ぼすほどではないが、心身への悪影響は日々感じている。これはどうにかせねばならない。
復帰直後は転職活動する余裕はなかったが、今はある。数週間前から、転職活動を始めた。この病気は完治しないから、寛解を保つために体調不良の原因は取り除くしかない。そのための努力はすべきなので、しばらくは転職活動を頑張ることになる。
ここで声を大にして言いたいのだが、難病持ちでも仕事はできる。以前のようにバリバリ残業、最前線でガツガツこなすことは、正直無理だ。それでも仕事はできる。社会から断絶するのではなく、経済的自立を捨てるのではなく、一人の人間として自活していくことは可能だ。私は今も、自分の稼いだお金で賃貸マンションに独り暮らしをしている。以前とは同じではない。人並みの体力と持続力はない。けれど会社の要求するレベルで仕事はこなせる。しかし残業や昇進は難しい。それは諦めるか、今後の回復状況によるだろう。
コロナ禍により、「新しい生活スタイル」というものが推奨されている。難病発症も同じことだろう。人生は続く。けれど病気を発症した前と後では状況がことなる。だから自分を調整していく。自分の場合は、お金と出世を諦めつつ、プレッシャーの少ない職を選ぶ方向に進みつつある。何を取って、何を手放すか。そこを見極めることが一番難しいのかもしれない。しかし取捨選択すれば、仕事は継続できるのだ。
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