罪悪感と向き合う姿勢
私が回復しようとしなかろうと
世間には微塵も影響がなく
私が幸せだろうと不幸せだろうと
他人は全く気にしない
皮膚筋炎発症、投薬開始から約10カ月。
随分回復したなと、キッツは思う。
それはひとえに、家族、親戚、友人、同僚、医師、看護師……。キッツに直接関わり支えてくれた人々のおかげだ。本当にありがたいことだと思う。
これらの人たちのためにも、病気を克服し、限りなく元の状態に戻りたいと思う。それがキッツの考える、彼女に関わる人々への誠意だ。
こう考えるに至るまでに、キッツには心の中ではモクモクと暗い気持ちが渦巻いていた。
それは、罪悪感である。
若くて働き盛りのキッツが、突然無力なお荷物になってしまったことへの罪悪感。41歳のキッツの年代でいえば、年老いた親の面倒を看ることはあっても、親に自分の面倒を看てもらうことは普通はない。
同年代の人間は、バリバリと働き、社会に貢献し、自立または家族を支えている。それなのに、キッツは汗水たらして労働することもなく、傷病手当をいただき生活をしている。
キッツにとって、自立とは人生のキーワードだった。
自分の食い扶持は自分で稼いで生活する。プラスして、自分で稼いだ金で、家族や親族に貢献していく。彼女の夫が病気で働けないならば、彼女が大黒柱になり家族を食べさせていく。将来親が施設に入ることになったら、彼女も金銭的にサポートする。姪っ子甥っ子が習い事をしたいならば、月謝のひとつでもキッツが出していく。そう考え、実際そうしてきた。
キッツは大学卒業後就職し、途中1年間の留学を挟んだものの、ずっとサラリーマンとして生きてきた。一生懸命働いて、お金を稼いだ。アメリカで過ごした10年間は、キッツのパートナーが依存症にかかり、その対応でたくさんのお金が飛んで行ったが、すべてキッツが働き支払った。帰国後就職した会社では、外資が日本の会社を買収したばかりでカオス真っ只中。そのカオスをなんとか乗り越えるべく、日本と海外との間に立ち汗水たらして働いた。
大変だった。
けれどキッツは満足していた。
それだけのことが出来る自分に誇りをもっていた。
しかし皮膚筋炎発病をきかっけに、全てが吹き飛んでしまった。
キッツの誇りも、キッツの自尊心も、全て病気に奪われてしまった。
悲しかった。
働きすぎのキッツを労って、神様がお休みをくれたんだよ、と励ましてくれた友人も多かった。そういう見方もできる。実際ここで皮膚筋炎を発症しなければ、もっと悪性の病気にかかり死んでいたかもしれない。だから、見方によっては良いタイミングで長期休暇となったのだろう。
けれどキッツはそんな休みが欲しいわけではなかった。キッツが欲しかったのは自立。自分で働き、自分で稼いだ金を、自分の好きなように使うこと。
この病気は、完治はしない。これからもステロイド剤を一生飲み続け、自分の体力と病状と副作用と折り合いをつけながら、生きていかなければならない。今までのようにバリバリとは、とても働けない。
ちくしょう。
そう思った。
悲しみと怒りが混ざって、悔し涙やら、虚しさのため息やら、色々なものが出た。
そして心の底に溜まったものが、罪悪感。
家族のお荷物。
社会の役立たず。
美味しいものを食べるたびに、好きな映画を一人見るたびに、自立どころか、役立たずの自分が何を呑気に仕事もしないで楽しい時を過ごしているのか。そうキッツは思ってしまう。
“自宅療養・外来医療中の10か条“という話でも書いたが、療養期間中に好きなことをするのは必然だと考えている。病は気から、とも言うが、心の持ちようが回復には大きく関わってくる。だからこそ、心を穏やかに前向きに保つためには、好きなことをしていたほうが良い。しかしながら、好きなことをしていると、働きもしないやつが何を楽しい時間を過ごしているのだと、反射的に思ってしまう。
このジレンマが、退院したあたりからずっと続いていた。
しかし最近のキッツは思うのである。
「私が楽しかろうが苦しかろうが、大勢に影響はない」
読みたかったマンガを大人買いして一気読みしようが、朝布団の中でゆっくりとまどろもうが、散歩に最適な靴を新調しようが、誰も気にしないし、気付きもしない。
あえて極端な例をあげるが、キッツが栄養たっぷりの美味しい食事を一食抜かしたところで、アフリカの飢餓に苦しむ子供にその食事が届くわけではないのだ。アフリカの飢餓をなくそうと思ったら、病気療養や自立とは全く別の話になる。寄付するだけでは足りない。飢餓に苦しむ人がいる国の根本から変えていく必要がある。他国の根幹を変えるという事業は、人ひとりの力をどれだけつぎ込めば出来るのだろう。国境を越えた医師団や、海外青年協力隊、国連、色々な形での関わり方はあるだろうが、それは飽食国家日本に生きる個人の食生活とは、全く次元の異なる話である。
理不尽でも、現代の社会とは、そういうものなのだ。
キッツは、現代の日本に生まれて本当にラッキーだと思う。
それは、若いころバングラディッシュに単身旅行をし、希望のない貧困を目の当たりにしたからであり、伴侶が自国崩壊を経験した旧ソ連の移民であるため、実感していることである。
私は幸運だ。
難病にかかったが、それでも私はこうやって生きて、人生を楽しむ余裕がある。
世界は不平等で、苦しいことはたくさんあるし、楽しいこともたくさんある。
上を見ても、下を見てもきりがない。
そんな世の中で、自分は生きていくのだ。
罪悪感はある。
でも、それでいい。
自分が幸運にも得られるものを活かし、病気と共存していく。
人は変わるもの。
きっとそれは成長と呼ばれ、成長は若者だけに与えられた特権ではなく、いくつになっても出来るものなのだ。
キッツは、自分も丸くなったものだと、にやりと笑った。
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